- はじめに
- T 登校拒否の原因をさぐる
- 一 なぜ子どもは登校しなくなるのか
- 1 心理的な居場所を見失った子ども
- 2 登校拒否発生のメカニズム
- 二 母子関係の歪み
- 1 母子分離不安説
- 2 心理的捨て子体験
- 三 学校適応過剰
- 1 家庭原因説でとらえられない子ども
- 2 「学校」への過剰な適応
- 3 適応過剰から登校拒否へ
- 四 なぜ適応過剰になるのか
- 1 失われた子どもの世界
- 2 学校における管理
- 3 受験体制
- 五 その他の原因
- 1 友達のいない子ども
- 2 勉強がわからない子ども
- 3 いじめによる不登校
- U 登校拒否の子どもの心理と行動
- 一 なぜ子どもは見えないか
- 1 内面の変化をとらえる
- 2 否定的事実のなかに肯定的事実を見る
- 二 登校拒否の子どもにみられる一般的傾向
- 1 不安傾向と身体症状
- 2 エネルギー枯渇
- 3 退行
- 三 適応過剰の子どもにみられる傾向
- 1 強迫的傾向・苦痛・自己抑圧
- 2 失敗を恐れる傾向
- 3 「ねばならない」で考える
- 4 良い子タイプと競争タイプ
- 四 登校拒否と分裂病
- 1 あらかじめ予測できる行動
- 2 振子現象
- 3 分裂病の子ども
- V 登校拒否の子どもとどうつきあうか
- 一 親と教師に何ができるか
- 1 親が本気になれば子どもは登校するか
- 2 子どもと共存する
- 二 登校拒否の子どもとつきあう四つの原則
- 1 否定的に見ない
- 2 「待つ」ことが基本
- 3 「励ます」ことはいいことか
- 4 生活を立て直せば登校できるか
- 三 登校拒否の子どもとつきあう具体的な方法
- 1 子どもとの関係を結ぶ
- 2 抑圧から開放する
- 3 居場所を確保する
- 4 進路の再選択
- 5 保健室登校の子ども
- おわりに
はじめに
「四辻=三叉路」的発想
ある夏の日の夕方、Aさんを訪ねたときのことである。
Aさんの家は町の中心部から車で一五分ほど離れた山のなかにある。Aさんを訪ねるのは初めてであったが、近くで聞けばなんとかなるだろう、そうおもってでかけた。時間は午後六時を少し回っていたので、夏の季節とはいっても山のなかはすでに薄暗くなりはじめていた。
家並みが途絶えてしばらく走ると一軒家があったので、そこで道を尋ねてみた。年のころ四五、六の眼鏡をかけた主婦がでてきて、つぎのように教えてくれた。
「この道を三〇〇メートルほど行くとバス停があります。そこを左に入ってください。少し行くと三叉路がありますから左に曲がってください。すると左下に一軒家があって、もう少し行くと右上に会所があります。……」
わたしはバス停のところを左に折れて、急な坂道を上っていった。ところが、いくら進んでも三叉路がない。ようやく三叉路にでたのは車を五分ほど走らせた後だった。
わたしは教えられたとおりに左に曲がったが、手がかりはそこで切れてしまった。目印となる一軒家もなければ会所らしい建物もない。それどころか、道はだんだん狭くなり、どんどん山のなかに入っていく。迷路にはまりこんでしまったのである。
なぜ三叉路で手がかりを失ってしまったのか。それは、わたしが「四辻は四辻である」という発想に立っていたからで、「四辻は三叉路でもある」という発想に立っていたら道に迷うこともなかったのである。
実は、バス停を左に折れて少し行ったところに四辻があった。そこを左に曲がれば、すぐにAさんの家にたどりつくはずであった。しかし「三叉路を左に曲がる」と教えられていたので、その四辻を通り過ぎてしまった。
わたしたちは四辻と三叉路を別のものと考える。しかし、四辻が三叉路になることもある。現に眼鏡の主婦は四辻を三叉路と表現した。間違えたというより、四辻は進行方向に道が三つに分かれるから三叉路と表現したのだろう。そうであるなら、四辻にでたときに「ここが主婦のいう三叉路かもしれない」と見るべきだったのである。
登校拒否の問題は「四辻=三叉路」的発想でとらえる必要があるとわたしはおもっている。「四辻=四辻」という常識的発想では、登校拒否の本質を明らかにすることができないだけでなく、逆に子どもを絶望の淵に追いつめてしまうことになりかねない。
たとえば、登校拒否の子どもは何をすることもできない無力感に襲われるが、その子どもを励ましたり目標をもってがんばらせようとする親や教師が多い。すると、子どもは健気にがんばろうとするが、何をすることもできない心と体になっているので、がんばることができない自分にいらだち絶望感を深めてしまうことになる。気力を失っているなら励まして気力を充実させようと考えるのは、「四辻=四辻」的発想である。励ましてがんばれるくらいなら登校拒否にはならない。
登校拒否の子どもはさまざまな疑問を投げかけてくる。なぜ登校しないのか。なぜ気力をなくすのか。なぜ行動が乱れるのか。なぜ校則に違反するのか。そうした疑問に適切に答えるには、ちょっと発想を変えてみることである。
たとえば、他人のまなざしに強くとらわれる傾向があって、それが原因で登校できなくなった子どもが、私服で登校してくることがある。そんなとき、「人目をひどく気にする子どもが、わざわざ人目につくような服装をするのはなぜだろう」と考えてしまう。そのような常識的発想でとらえようとするから、子ども理解の迷路にはまりこんでしまうのである。そんなとき、「人目を気にするから、人目につくような服装をするのではないか」と考えてみることである。
学校適応過剰の子どもには一般に「人目を気にする」傾向があるが、それは二つのあらわれ方をする。一つは「人目を気にするから目立たない服装をする」というあらわれ方で、もう一つは「人目を気にするから目立つ服装をする」というあらわれ方である(前者を「良い子タイプ」、後者を「競争タイプ」とわたしは呼んでいる)。一つの傾向が相反する二つのあらわれ方をするのである。
今日の不登校問題の実体を明らかにしていくには、「四辻=三叉路」的発想に立ってみることである。そのとき、なぜ不登校になるのか、なぜ行動が乱れるのか、どうすれば不登校から立ち直れるのか、などが明らかになってくる。
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明治図書















