- まえがき
- T 国語科を中心とした言語活動の充実
- 〜論理的な思考力・表現力を育てるために〜
- 一 言語活動の現状と課題
- 1 言語活動の充実をめぐる背景と陥りやすい問題点
- 2 言語活動の充実のために〜自分の考えを丁寧に言語化する〜
- 二 「根拠・理由・主張の3点セット」による論理的思考力・表現力の育成
- 1 子どもたちの実態〜学力調査に見る問題点〜
- 2 根拠・理由・主張の3点セット
- 3 理由づけ(事実・データの解釈)の重要性
- (1)小学校二年生の授業
- (2)NIEの実践
- (3)アメリカ合衆国の理科の授業
- 4 文学教材の授業事例
- (1)「大造じいさんとガン」(小学校五年)
- (2)「扇の的」(中学校二年)
- 5 社会科の授業事例
- 6 理由づけのポイント
- 7 根拠・理由・主張の3点セットの効用
- 8 説明文の学習指導への可能性
- 三 すぐれた言語活動の事例〜キリン号の紹介文を書こう〜
- ■「じどう車くらべ」(小学校一年)
- 1 授業の目標
- 2 授業の概要と特徴
- (1)学びの場への誘いの巧みさ
- (2)学習者の生活経験の想起
- (3)学びを支援する文化的道具(教科内容)
- (4)アプロプリエーションとしての学び
- (5)多様な紹介文の生成と聞き合い
- 3 まとめ
- U 論理的思考力・表現力育成をめざす言語活動の実際
- 一 論理的な理由づけによって新入生に学校の良さを伝える
- ■「グループディスカッションをしよう」(中学校一年)
- 1 授業のねらい
- 2 学習材の内容
- (1)教材内容
- (2)教科内容
- (3)教育内容
- 3 実践の主張
- 4 指導計画
- 5 授業の実際
- 6 評価
- 7 まとめ
- (1)成果
- (2)課題
- (3)おわりに
- 【田上実践へのコメント】
- 二 「盆土産」に学んで自分の物語をつくろう
- ■「盆土産」(中学校二年)
- 1 授業のねらい
- 2 三つの言語活動について
- (1)「単元を貫く言語活動」の意義
- (2)「小さな言語活動」を支える「三角ロジック」の理論
- (3)言語活動の段階性
- 3 言語活動の具体的な内容
- (1)言語活動のねらい
- (2)「単元を貫く言語活動」
- (3)「三角ロジック」
- (4)言語活動の段階性を考慮した学習過程
- 4 授業の実際
- (1)第一次の実際
- (2)第二次の実際
- (3)第三次の実際
- (4)第四次の実際
- (5)言語活動を支える教師の手だて
- 5 学習者の学び
- (1)純平の学び
- (2)真衣の学び
- 6 実践のまとめ
- (1)成果
- (2)課題
- 【木実践へのコメント】
- 三 作品のなぞを解く対話活動
- ■「故郷」(中学校三年)
- 1 授業のねらい
- 2 学習材の内容
- (1)教材内容
- (2)教科内容
- (3)教育内容
- 3 実践の主張
- (1)知識・技能の具体化とその習得・活用方法
- (2)三角ロジック(トゥルミン・モデル)【主張・根拠・理由づけ】に基づく対話活動
- (3)発問の工夫
- (4)見通しと振り返りの工夫
- 4 学習計画
- 5 授業の実際
- (1)第一次の授業の実際
- (2)第二次の授業の実際
- (3)第三次の授業の実際
- (4)第四次の授業の実際
- (5)第五次の授業の実際
- (6)学習者の知識・技能の習得に向けた実践
- 6 まとめ
- 【長元実践へのコメント】
- あとがき
まえがき
本書は、鶴田清司・河野順子編『国語科における対話型学びの授業をつくる』(二〇一二年、明治図書)に続く第二弾である。
前著と同様、基本的なコンセプトは、理論と実践の統合による新しい授業実践の開拓である。理論なき実践は偶然であり、実践なき理論は空虚である。しかし、その統合は言うほどたやすいものではない。
鶴田も河野も、この問題に挑戦し、その端緒を開く研究成果として、学位論文を世に問うている。鶴田は、新しい解釈学理論と文学教材の授業を架橋する『〈解釈〉と〈分析〉の統合をめざす文学教育〜新しい解釈学理論を手がかりに〜』(二〇一〇年三月、学文社)、河野は、メタ認知理論と説明的文章教材の授業を架橋する『〈対話〉による説明的文章の学習指導〜メタ認知の内面化の理論提案を中心に〜』(二〇〇六年二月、風間書房)である。
そこで得られた知見や方法論を生かしつつ、さらに鶴田と河野の研究をコラボレートするための場が本シリーズであると言ってもよいだろう。
第一弾では、国語科における対話型学びの授業をつくるという基本的な立場から、一方的な知識伝達型の授業ではなく、教師と子どもの、あるいは子どもと子どもの協同的な学び合いを生かした授業づくりの事例を紹介した。ただし、単に共同行為としての学びという側面だけを一面的に強調するのではなく、授業で何を教えるのかという観点から、鶴田の提唱する〈教材内容〉〈教科内容〉〈教育内容〉の区別とそれぞれの明確化ということも意識した授業づくりの提案を行った。いわば社会文化的アプローチと教科論的アプローチを統合するという困難な課題に挑戦した書であった。幸いなことに版を重ねている。
第二弾となる本書では、論理的な思考力・表現力の育成を重視した言語活動のあり方について提案することにした。前著同様、ここでも、子どもの興味・関心・意欲を重視する単元的な言語活動を一面的に強調するのではなく、それが単なる活動主義(はじめに活動ありき、活動あって学びなしという事態)に陥らないようにするために、基礎的・基本的な知識・技能の活用という観点、それからその基盤となる思考力・判断力・表現力の育成という観点を意識した授業づくりをめざすことにした。本書でも、前著の基本的な問題意識・課題意識(教科内容の理解としての学びと社会文化的実践としての学びの両立)は受け継がれていることになる。
なお、論理的な思考力・表現力育成のための基盤となる理論的フレームとして、近年、鶴田が提唱する「根拠・理由・主張の3点セット」(従来言われてきた「三角ロジック」)の考え方を共有し、さまざまな言語活動を支える基本的なコンセプトに据えたうえで実践に取り組んでいただいた。
このような理論と実践の統合という目論見が成功しているかどうかは読者の判断に委ねたい。忌憚のないご意見・ご批判を期待したいと思う。
本書は、第T章が総論(理論編・鶴田が執筆)、後半が中学校の実践報告(実践編)となっている。
総論では、編者の問題意識に基づいて、国語科における言語活動はいかにあるべきか、現状の問題点もふまえて、その本来の目的と方法について述べた。
実践編は全部で三本収載した。いずれも、現在の実践研究の課題となっている「単元を貫く言語活動」のあり方を追究している。単なる授業報告ではなく、先に述べた問題意識や理論的知見もふまえた実践の成果を明らかにするために、実践記録のスタイルをある程度統一した。基本的に、「学習材の内容」「実践の主張」という項目に沿って記述している点が特徴である。
「学習材の内容」は、従来の「教材研究」に相当する部分であるが、その学習材(教材)における目標・ねらいを明示するために、編者(鶴田)の提唱する〈教材内容〉〈教科内容〉〈教育内容〉という三分法を採用した。
これについて、改めて説明しておきたい。
a〈教材内容〉
これは教材固有の内容をさす。文学教材では、作品に表現されている内容(筋・人物・場面・事件・主題など)、説明文教材では、文章に書かれている内容(事実・意見・主張・要旨など)について理解させることをめざす。いわば「教材を教える」という立場である。これは文章の内容を正しく読みとるという点で、最低限必要な過程・内容である。ただし、これだけでは特殊で個別的な知識にとどまる危険性がある。特に説明文の場合は、自然現象や社会事象を扱うことが多いため、ともすると理科や社会科の学習に近いものとなりやすい。
b〈教科内容〉
これは、もともと一九六〇年代の民間教育研究運動における「科学と教育の結合」という考え方に基づいて形成された概念である。つまり、各教科の基礎となっている学問の体系(知識・技術)が指導事項の中心になる。国語科の文学領域で言えば、文学表現の原理・方法およびそれに基づいた「読みの技術・方法」がそれにあたる。同じく説明文領域で言えば、説明的表現の原理・方法およびそれに基づいた「読みの技術・方法」がそれにあたる。
この三分法は、「読むこと」の領域だけにとどまらない。「書くこと」においても「話すこと・聞くこと」においても、特に国語科として習得・活用すべき知識・技能の明確化という点で、単なる活動主義に陥ることなく、〈教科内容〉を中核にした授業の構想・展開を保障することになるだろう。
いずれにしても、bの〈教科内容〉は、aの〈教材内容〉よりも一般的・法則的な内容である。
c〈教育内容〉
これはbの〈教科内容〉よりももっと広く、教科の枠組みを超えて広く指導するものである。身近なレベルでは返事や挨拶の仕方に始まり、ものの見方・考え方、学び方などがそれに当たる。文学の授業では、特に人間の真実や本質、さらに人間としての生き方などの価値的な部分も含まれてくる。説明文の授業では、自然観・社会観などにあたる。それは一学問領域という枠を超えて、文化・社会・道徳などの広範囲な指導事項に及んでくる。
以上から、国語科(文学・説明文の読み)の授業で何を教えるかという国語科内容論として、次の図に示したように、a〈教材内容〉、b〈教科内容〉、c〈教育内容〉を三層構造として設定することができる。
この区別に従うと、例えば「故郷」(魯迅)の授業目標は、次のように設定できる。
a 私の考え方がどのように変わったかを知ることができる。
b 色彩語や比喩表現などに着目して、描写の効果を考えることができる。
c 社会の変革を願う人間の生き方について考えることができる。
こうした区別によって、授業者が本単元(本時)で何を中心的なねらいにしているかが一目で分かるようになる。
ここで留意すべき点は、次の4点である。
@aのレベル(教材を教える)にとどまってはならないこと。
A国語科である以上は必ずbを指導すること。
Bbまたはcを指導するときは必ずaをふまえること(文章の豊かな理解が前提)。
Ccを指導するときは必ずbを含むこと(国語の学習が前提)。
こうした区別によって、その授業で何を教える(学ぶ)のか、その基本的な目標や構造が見えやすくなるというメリットがある。
次に、「実践の主張」は、何を新しく提案し、主張したいのかということを明確にすることをめざしている。従来、現場の実践報告は、ともすると、「このような発問をしたらこのように子どもが動いた」というような単なる授業記録にとどまるケースが少なくなかった。いくら授業を客観的に記述しても、それだけでは読者に対するインパクトに欠けることになりやすい。そもそも、実践とは先行の授業の模倣や追試にとどまるものではない。むしろ、新しい問題提起なのである。本書は、タイトルにもあるように、国語科における言語活動を充実したものにするためにはどうしたらよいか、特に論理的な思考力・表現力を育てるという観点からの問題提起である。
こうした試みが成功しているかどうかについては読者諸賢のご判断に委ねたい。
なお、すべての実践提案に対して、鶴田がコメントを付けた。その実践の特色や意義などがコンパクトに書かれてある。実践の概要を把握するという意味で、最初にここからお読みいただくのもよいかと思う。
本書が国語科教育界に新しい風を送り込めれば幸いである。
二〇一四年三月三十一日 編者 /鶴田 清司・河野 順子
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- 明治図書
- なかなかむずかしい2016/8/5しいちゃん