若い教師への手紙2
子どもを見る目活かす知恵

若い教師への手紙2子どもを見る目活かす知恵

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子どもの見方,とらえ方を著者の長い経験をふまえて語り,子どもを伸ばして育てることの真の意味を問いかける。実践子ども入門ともいえる解説書。


復刊時予価: 2,871円(税込)

送料・代引手数料無料

電子書籍版: なし

ISBN:
4-18-049901-0
ジャンル:
授業全般
刊行:
4刷
対象:
小学校
仕様:
A5判 204頁
状態:
絶版
出荷:
復刊次第

目次

もくじの詳細表示

第1部 子どもを見る目――子どもをどうとらえるか――
一 子どもが教師の思うように動いてくれないということ
二 ほんとうの子どもは、そのもうひとつ向こうにいる
三 子どもが教師の思うようにならないということは、ほんとうは、すばらしいことであるかもしれない
四 視点を変えて子どもを観る
五 縛られた頭、縛られた目で子どもを観てはならない
六 「千の子どもに千の花」
七 やんちゃな子にはやんちゃな子の光 おとなしい子にはおとなしい子の光
八 先生のいうことを聞かない子だって、そういう子しかもたない光をもっている
九 わるいことをする子もわるいことをしたくてしているのではない
一〇 子どもは、さまざまな家庭事情を背負って生きている
一一 子どもは、地域社会や世の中のおとなの生き方の論理をいつの間にか背負わされている
第2部 目を磨き、目を養う
一 「見れども見えず」ということ
二 「生きている」ということのすばらしさが見える目
三 子どもが生きていることがまばゆく見える目
四 「とらわれ」を断ち切る
五 「迷盲」を破る
六 「高あがり」、「思いあがり」が「目」を狂わせる
七 「エコヒイキ」だけは固く自戒しよう
八 子どもの作文から学ぼう
九 作家の目に学ぼう
一〇 「人間」をみがく
一一 教育の道は甘くはない
第3部 子どもを活かすために
一 何がまちがっても、絶対まちがいなくやってくること
二 「自主性を育てる」ということ
三 「バカにはなるまい」
四 「こころにスイッチを」
五 教育においては、物の貧しさより豊かさの方が恐ろしい
六 豊かさの中でどうすればいいのか
七 「欲望」にどう対処するか
八 「欲望」や「衝動」の奴隷にならない工夫
九 「勤労」を見直そう
一〇 「働く姿」を見せる
一一 学習指導の中でも
一二 「心身とも健康な」子どもをとり戻すために
一三 人間らしい心情を育てる
あとがき

第1部 子どもを見る目――子どもをどうとらえるか――(冒頭)


     一 子どもが教師の思うように動いてくれないということ


 Mさん、あなたの

「一生懸命になればなるほど、子どもが離れていってしまうのです。どうして子どもは私のいうことを聞いてくれないのでしょうか」

という真剣な問いかけの手紙、半世紀前の私を思い出しながら、感慨深く読ませてもらった。私自身もこのおなじ悩みから、どうしても脱却することができないで苦しんだ教師であったからである。あせればあせるほど子どもが離れていってしまう。その、教師と子どもとの距離を埋めるために、かんしゃくをおこして叱りつけることが逆効果しかないことがわかっていながら、叱りつける以外、方法を見出すことのできない私であった。

 あの頃の私たちの初任給は「八級下俸当分四八円」ということになっていた。これを日給に換算すると「一円五十何銭何厘」ということになった。その頃の私の日記を開いてみると「毎日、子どもを叱り賃に一円五十何銭何厘はちと高すぎる」と書いている。子どもを叱ってばかりいて、こんなにたくさんもらってもいいものだろうか、という思いであったのだ。

 私は、最初、子どもと遊ぶことによって子どもとの間の溝を埋めようと試みた。校時と校時との僅かな休み時間も、私は必ず子どもと遊んだ。だが、体には汗しているくせに、遊びの中に没入できないのだ。遊んでいても「子どもにおもねっているさもしい自分」が見えて、どうしても遊びの中に没入できないのだ。私の過剰な自意識が、遊んでいる時にさえも距離をつくってしまうのだ。

 私は、教員として不適格に生まれついているのではないかという思いがだんだん深まってきた。先輩から「教育は愛に始まって愛に終わるといっていい」と、何べんも聞かされたが、あの頃の私の気持ちは、とても「子どもがかわいい」などといえる状態ではなかった。「憎い」といい切ってしまうとウソになる気はしたが、「かわいい」と「憎い」とどちらに近いかといわれると、あきらかに「憎い」に近いのが私の実態であった。

 そういう私と子どもとの間の距離を徐々に縮め、埋めていってくれたのは、私にとっては、どうも「作文(綴り方)」であったような気がするのだ。

 ところがその「作文(綴り方)」なのだが、この仕事を愛する人というのは、たいてい文学が好きだとか、子どもが大すきだという人がほとんどのように思うのだが、私の場合はそんな立派なことではなかった。子どもが大すきどころか「憎い」に近いような私であったし、徹底的な貧乏の中で育ったコチコチの私に、文学などわかるはずはなかった。そんな私に「作文(綴り方)」との間に縁が結ばれるようになったのは、当時「綴り方」といっていたこの時間の過ごしようがわからなかったからなのだ。他の教科は「教科書」があるから、それを使って「教生(教育実習生)」のとき教えてもらった教法で授業を進めることができるのだが、この時間は、私にとって「綴り方」ではなくて、全く「あずり方」の時間であった。何とか、一時間が過ごせるようになりたい、そんな思いで「綴り方」の本を読むようになった私であったのだ。

 しかも、いちばんはじめに求めて読んだのが、全く偶然であったのだが、富原義徳という方の「土の綴り方」であった。富原義徳先生は静岡県の方なので、近頃静岡県から講演などの依頼を受けて出向くたびにこの先生のことを尋ねてみるのだが、あまり知られていないらしいのはどういうことだろうか。「灯台もと暗し」ということであろうか。

著者紹介

東井 義雄(とおい よしお)著書を検索»

明治45年4月,兵庫県出石郡但東町に生まれる。

昭和7年3月,兵庫県姫路師範学校卒業。

昭和47年3月,兵庫県八鹿小学校校長を最後に教員生活40年で退職,日本作文の会会員。

現在,姫路学院女子短期大学並びに兵庫教育大学大学院講師

※この情報は、本書が刊行された当時の奥付の記載内容に基づいて作成されています。
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      明治図書
    • 子どもを「見」「活かす」力をさらに磨きたいです。
      2024/2/23
    • 東井義雄先生の『村を育てる学力』を読んだ。時代は違うが、教育の根本に流れるものは、今も変わらないと感じた。それはすなわち、子どもときちんと向き合い、その子のもつ可能性を引き出すこと。人づくりは、村(=社会)づくり。教育は農業と同じ、とかつて言った人がいた。まずは土づくり。良い土ができれば半ば成功。後は日光と水を与えれば、(子どもは)自然に育っていくと。東井先生の本には、教育の原点があると思う。日頃の業務に忙殺されて、大切な事を忘れてしまう今だからこそ、もっと読みたい。ぜひ復刊を願う。
      2024/2/19
    • 東井先生の教師としての在り方に感銘を受けて神奈川県から東井義雄記念館まで日帰りで行きました。先生仲間が読んでると聞き、欲しくなりました。
      2024/1/7ごっつくん
    • 欲しがってたら仲間が2冊目買ってまでふっかんしてくれました!それくらい価値ある書籍です!大事に読ませて頂きます!
      2024/1/7ナオ
    • 同僚の方におすすめいただきました!表紙から
      今の自分に必要な内容!だと思い、復刊投票させていただきました。
      2024/1/7

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