- はじめに /市毛 勝雄
- 第一部 提案 「この言語技術」で思考力・表現力が高まる
- 「小論文の書き方指導」で思考力・表現力を高める /市毛 勝雄
- (併せて学習指導案の現代化を提案する)
- 私は納得できる言語技術の概念論に出会ったことがない /渋谷 孝
- 要約指導で抽象的思考・表現力を高める /小田 迪夫
- 批評の技術――生きる力を支える―― /井関 義久
- コミュニケーション能力なのだ /宇佐美 寛
- 「この言語技術教育」で「思考力・判断力・表現力等」を育成するために /小森 茂
- 言語活動が必要な知識・技能を浮かび上がらせる /水戸部 修治
- 説得の文章表現技術で思考力・表現力を鍛える /大内 善一
- ――「批評文」を書くことの指導を通して――
- 批判的思考・自己内対話なしに「思考力・判断力・表現力」は高まらない /阿部 昇
- 根拠と理由を分けて主張する /鶴田 清司
- 「なぜ」とひたすら尋ねる論理力こそ /難波 博孝
- ――批評でも批判でもなく、問うこと――
- 言語活動を支える「思考・表現」のための技術 /光野 公司郎
- 習得と活用の接点 /佐藤 洋一
- ――「自分の考え」を持たせ言語化させる言語技術――
- 公的話法を支える「学習用語」の行為化を /野口 芳宏
- 分析批評の言語技術で主張できるようになった子どもたち /向山 洋一
- 第二部 提案授業内容と大会テーマ解明への提言
- 1 授業者による大会テーマの解明と授業提案
- 逸話教材による思考力・表現力向上へのアプローチ /師尾 喜代子
- ――出来事(エピソード)と主題とのかかわりから追求する力を育てる――
- 音読・段落・キーワードによる論理的文章指導 /篠原 京子
- 「書き慣れ」から、「〈言葉〉を楽しみ、〈書く〉を楽しむ」へ /森川 正樹
- ――「書くこと」領域を学級作りの柱として――
- 2 大会テーマを深める授業力とは
- 「大会テーマを深める授業力」を問ういくつかの枠がある /大森 修
- 「聞く」を軸として「話す・書く・読む」を絡める /吉永 幸司
- 論理的思考力・表現力を「構成」の指導で育てる /中村 孝一
- 具体的な場面で「子どもたちを変化させる」手立てを使いこなす力 /谷 和樹
- 学習指導要領に示された「言語活動例」を授業できる修業がすべての教師に必要である /甲本 卓司
- 論理的思考力・表現力が高まる言語技術 /深谷 幸恵
- 論理的思考力・表現力は「音読・キーワード・文章構成」で指導する /石田 寛明
- 言語技術教育の理想 /岩ア 淳
- 「論理的に書く力」のメタ評価が鍵に /左近 妙子
- 三つの力が必要 /兵藤 伸彦
- 説明文をモデルに論理的な発信技術を /松木 尚美
- 習得させるべき言語技術を明確にし、言語活動と適切に組み合わせる /伊藤 清英
- 思考力を鍛える「報告文」の言語技術 /鈴木 悟志
- 第三部 日本言語技術教育学会第一九回大会の報告
- /佐藤 洋一
- 編集後記 /佐藤 洋一
はじめに
わが日本言語技術教育学会は創立二〇周年を迎えました。学会の成人の年であります。
第二〇回日本言語技術教育学会京都大会テーマは「『この言語技術』で思考力・表現力が高まる」です。
期日は二〇一一(平成二三)年三月五日(土)、会場は京都女子大学附属小学校です。会場設定につきましては、吉永幸司校長をはじめ、同学園長芝原玄記先生他、多くの先生方のご厚意によって同校における学会開催が実現しました。心から感謝申し上げます。
本年の「『この言語技術』で思考力・表現力が高まる」という学会テーマは、新学習指導要領に「思考力・表現力の育成」が重視されているにもかかわらず、多くの新教科書はそれに応えているか、という疑問から設定されました。教え子の卒業生が一様に語る学校教育に対する不満は、社会に出たら記録・報告をたくさん書かされるのに驚いた、ところがその記録・報告の書き方を、自分たちは一度も教えられたことがない、というものです。
現在の教育の現状は「各領域の日本語の使い方を育成するのが各教科の使命である」という理念が忘れ去られ、小・中・高・大学すべての段階で、各教科は断片的知識の詰め込み教育を行っています。PISA調査において、生徒に「自分の考えを自由に記述する解答欄」に白紙解答が多くて問題になったのは、そのためです。この現状を打開するにはただ一つ、各教科で「思考力・表現力が高まる言語技術」を教える授業をする他はありません。
今回の学会では、現役のベテラン先生が三人、それぞれのお考えによる「思考力・表現力が高まる言語技術」を教える授業をします。そして、その後の検討と討議によって、たくさんの言語技術を学ぶことができます。
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右のような「生徒の思考力・表現力を高める言語技術」がある一方、教師の「授業指導の言語技術」があります。
これまでの国語のベテラン先生は、「国語教育は『心』で行うものである。『小手先の技術』で行うものではない」と言い、優れた研究授業を「盗むように学べ」と言いました。ところが新人先生は、研究授業の「指示・発問」に対して解答することはできる(大学を卒業しているから当然です)けれども、「指示・発問」が授業の中で果たしている価値・役割を理解するだけの経験・知識がありません。(赤刷り教科書に頼っている人も同様です)
その「経験・知識」を補うのがベテラン先生の「授業指導の言語技術」です。もしもこの技術が存在せず、「経験」(という名の時間)だけが必要ならば、現在の新人先生が経験を積んでベテランになるまでの十年間、授業の質は低落し続けることになります。そうなったら大変です。このように考えると、「言語技術」というものは新人先生だけではなく、ベテラン先生にも「授業指導の言語技術」が必要だということがわかります。
この「授業指導の言語技術」の前の段階として、「授業理解の言語技術」というものがあります。優れた授業を参観していて「適切な指示だ、うまい発問だ」と感心したら、その感心した先生は一流の「授業理解の言語技術」の持ち主です。この技術の低い先生は、優れた授業を見ても「授業がすらすらと自然に流れていた」と、天然現象を見たような感想を言います。授業技術の一つ一つや、その組み立て方を知らないからです。
本学会の諸先生は今度の研究授業を見て、「これが言語技術なのか」という驚きを一つでも多く発見してください。優れた研究授業を見て驚きの数の多い先生ほど「授業理解の言語技術」は高いのです。その「驚き」を語り合うのが授業後の「検討と討議」の時間です。(下手な授業技術を取り上げてけなすのは時間の無駄ですからやめましょう)
本大会で会員諸君が各種の、数多くの「言語技術」を発見する機会となるよう、心から願っています。
二〇一一年三月日 本言語技術教育学会会長 /市毛 勝雄
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- 明治図書