- はじめに
- 第1章 解釈と授業づくり
- 1 解釈と個性ある授業
- 2 授業づくりにおける解釈
- 3 解釈の技術を求めて
- 4 3つの解釈の視点
- 5 解釈力の鍛練
- 6 授業の解釈と授業づくりにおける解釈
- 7 授業展開と解釈
- 8 子どもの解釈と授業目標
- 9 解釈から行動目標へ
- 10 子どもの教材解釈と授業展開
- 第2章 チーム・ティーチングと解釈
- 1 チーム・ティーチングと授業展開のタクト
- 2 解釈の転換と授業の見直し
- 3 自己決定と授業展開
- 4 多様な解釈とチーム・ティーチング
- 5 記録に基づく反省と解釈
- 6 解釈とタクトの鍛練
- 第3章 授業案と解釈
- 1 授業案における「教師の解釈」欄
- 2 「単元(題材)設定の理由」欄における解釈
- 3 「単元(題材)設定の理由」欄にみる解釈の構造
- 4 「単元(題材)設定の理由」における解釈の構造の違いと授業づくり
- 5 「多様な解釈」と授業案検討
- 6 解釈の矛盾と授業づくり
- 7 子ども研究に基づく解釈
- 8 子どもの実態の解釈と指導の形態
- 9 解釈集としての授業案
- 第4章 ある解釈と実践
- ―ドナルドの教育―
- 1 「ドナルドと呼んで」
- 2 診察台のドナルド
- 3 実態の〈肯定的な解釈〉から教育へ
- 4 ジョン・K・ウィングの解釈
- 5 熟練教師の心得―注意の獲得から―
- 6 熟練教師の解釈と教材・教具―3R’sの指導へ
- 7 ドナルドの成長
- 8 ウイットマーの得たこと
- 第5章 解釈と教室空間
- 1 解釈と解釈がつくりだすもの
- 2 解釈の変化と教室空間
- 3 喫茶店風な教室空間の出現
- 4 喫茶店風な教室空間の意味
- 5 許容の空間―最初の情緒障害学級の教室空間―
- 6 ブースという空間
- 7 養護学校の教室空間へ
- 8 自閉固有の問題への注目
- 9 構造化された教室空間
- 10 教室空間と授業展開
- 11 教室空間の歴史からみえること
- 12 授業における interpretation の変化
- おわりに
はじめに
特別支援教育の流れは速い。新しい言葉で語られる内容が教育実践として根づかないうちに次の専門用語らしい言葉が出回る。教師の間でも新しい言葉が矢継ぎ早に使われる。しかし,語られる言葉のようには,実践は変わっていないのである。まして発展などはしていない。
〈授業技術論〉というシリーズ名自体が新鮮な感じはしない。このシリーズで取り上げる「解釈」「示範」「教具」など,どこにも新鮮さはない。しかし,授業づくりでは,これらの用語がしっかりと骨格をつくっている。授業という身体の表面には現れていないが,その内側でしっかりとその働きをなしている。特別支援教育の授業づくりでもこれらの働きは確かになされている。骨格だけにこれらの働きがしっかりしていないと,やがてその実践はバラバラになる。そこで,いままさに行われている授業実践の中に,これらの用語で語られる働きを確認し,研ぎあげ,手ごたえのある授業をつくる手がかりとしたい。
教師自身が活きる授業の技術や方法は,子どもに学び,自分の授業を振り返り,他の教師の実践から気づき,それぞれの教師が自らつくりだすものである。そして,それぞれの教師が一人一流をもつのである。一人一流をもつとは,自分のやり方,流儀をもつということである。
自分の授業をつくることである。
技術としてのやり方は,だれがどこでいつやってもできるということである。授業展開の技術について書くということは,授業を行うとき,どの教師がいつどこでやっても授業展開できるやり方を示すことである。ある教師にはできてある教師にはできないやり方では技術とは言えない。
しかし,そういうような技術という捉え方は,教師の個性も子どもの個性もはぎ取ったのっぺらぼうとのっぺらぼうの間に成り立つものでしかない。だから,人間と人間とが向かい合い触れ合う現実の授業実践においては,学問上,論文上で技術化されたやり方は再びそのやり方を行う教師にあったやり方につくり直されているのである。そのつど,授業技術の人間化,あるいは個性化が行われている。子どもの個性を大事にする教育,ことに特別支援教育は,子どもの個性と教師の個性がむき出しでぶつかる場である。特別支援教育を担う教師には,〈授業技術の個性化〉をより一層進めることが求められている。
現在の特別支援教育,ことに特別支援学校での授業は,チーム・ティーチングがほとんどである。同じチームを組む教師たちは,知識と技術を共有し,それぞれ一人一流に磨いてきた腕を,そのつどの授業において中心指導の教師のタクト(指揮)のもとにチームとして発揮するように努力することが求められる。とくに,授業における教師のタクトは,臨機応変の才を意味している。中心指導の教師は,その才を発揮して〈チームの授業〉を展開していくことが大事になる。
オーケストラでは誰がタクトを振るかによって同じ作品を演奏しても違ってくる。その違いは,作品解釈の違いによると言われる。授業においても,同僚性の高いチームでは,誰がタクトをとるかによってかもし出される雰囲気が異なり,味が違う。その違いは,教材解釈や子どもの実態における解釈の違いに由来する。いや,教師個々がバラバラに活動しているのではなく,教材や実態に関してきちんと解釈をもっているチームは,個々の成員が役割を分担・連携していてチームとしての味をもつのである。
チームの授業づくりは,子どもの実態について,チームを組んだ教師の中で話し合われ,ひとつの解釈(見方)がつくられるところから始まる。そして,中心指導のタクトのもと,チームで授業内容を選択し,授業目標を設定する。そして,教材を考え,さらに教材解釈を深める。いわゆる教材研究をするのである。それが,研究授業であれば,あらためて授業案(細案)を作成することになる。日々の実践では,細案は書かずに,略案を基に打ち合わせをして,教師たちは自らの頭の中にこれから行う授業を思い描いてみる。授業のイメージ・ワークをするのである。そして,教室へ向かう。
この一連の授業づくりの過程では,子どもの実態や教材を解釈すること,子どもや保護者,教師の願いを授業目標・内容に翻訳すること,授業展開を演出し,教授行為を演ずることが重要である。この解釈,翻訳,演出,演ずることの意味をもつ言葉として,interpretationを挙げることができる。
interpretationは,これまで解釈と訳されることが多かった。ここでは,解釈の意味を基にしながら,それだけに留まらないでinterpretationのもつ他の意味にも広げて使用することにしたい。interpretationは,「ラテン語のinterpretor(仲介する,解き明かす,通訳する,理解する,判定する)という動詞に由来し,しかもこのラテン語は,『間に立って(inter)』『繰り拡げる』(pretor,pres)は,『繰り拡げる』という意味のサンスクリット語prathと同根と言われる」という原義を有する語であり,「そうした解釈の際には,やはり総じて,誰かある人が,問題となっている文章や物事の中に立ち入って,その意味を解き明かし,繰り広げ,展開して見せるという働きが一貫して含意されているように思われる」と言われる(渡邊二郎『構造と解釈』日本放送出版協会 1988)。
授業づくりにおいて,その中に立ち入る人は,教師である。このinterepretationの中心には教師がいるのである。したがって,授業づくりは,教師が常に子どもと教材の中に立って授業展開していくのであり,まさにinterpretationの意味の生成過程〈解釈−翻訳−演出−演じること〉の中に,教師が立っていることである。筆者はそう考えている。
筆者は,この「特別支援教育の授業技術論」シリーズを,1時間の授業に焦点を当て,その授業展開に必要な授業技術についてのアイデアを書くつもりである。それぞれ授業技術についての考え方や工夫という意味でアイデア(idea)について検討する。そのような視点から書かれる第1巻は,まさに授業づくりの最初の段階における解釈という意味でのinterpretationについて,そのアイデアを検討する。
最後になりましたが,『特別支援教育の授業技術論』をシリーズ化する機会を与えていただいた教育書編集部の三橋由美子さん,また貴重なアドバイスとていねいな校正をしてくださった川村千晶さん,前著に引き続きこのたびも大変お世話になり,ありがとうございます。なお,本書でも,共同研究者やスーパーバイザー等の立場で,いろいろな学校の多くの授業を参観させていただきました。それらの授業で参観した記録及び授業案等を資料とさせていただきました。資料を提供いただきました先生方には,心より感謝申し上げます。
平成22年盛夏 千千の青葉にそよぐ涼風の中で /太田 正己
-
- 明治図書