- 初めに―金の卵
- 生きて学ぶ
- お父さんの断片
- 病室の学校
- 友として兄弟として
- 転校生Tくん
- 遊びに後悔なし
- 新聞配達少年の決意
- 一五歳の春
- 顔の喪失
- 初恋
- 高校に行こう
- 同級生
- 夜と昼との間に
- 自己表現の体験
- 生き方の発見
- 決意
- 自分には自分の生き方がある
- 母の教え
- お母さんと一緒
- 染物工場の母
- 勉強はしてもよいしなくてもよい
- 母上への手紙
- 母との別れ
- 終わりに
初めに―金の卵
一九六〇年代、全国各地から中学校を卒業した一五歳の少年・少女が、高度経済成長を支える「金の卵」として故郷を離れ、大都会に就職していった。しかし、現実は、その魅惑的で夢あふれる言葉とは裏腹に、過酷な労働条件の中で耐える生活を強いられた。中学校卒業の学力と、その低年齢に合わせたきつい仕事であった。私が、一九六〇年代半ば、一五歳で中学校卒業と同時に就職した時も、まだそんな「金の卵」という言葉が、かすかな光を放っていた時だった。
同級生の多くの者は、中学校卒業程度では道が開かれぬことを既に知っており、ほとんどが高校へ進学していた。三百人近い同級生で中学校卒業と同時に就職した者は、三、四十人前後であった。就職説明会に集合した人数の記憶が、今もはっきりとその数字を思い出させてくれるのである。
◇
「中卒」という履歴を得てから、実に四十年以上の時間が経過した。その間に様々な仕事を経験した。それは、造船所工員、アルバイト(家庭教師、土方、大工の手伝い、ボーリング場の椅子の取り付け、警備員、マヨネーズの販売など)、定時制高校や全日制高校の教師、私立の短期大学や四年生大学の講師、そして国立大学の助教授・教授なども経験してきた。
様々な地域でも暮らした。中学校を卒業すると同時に、収入は全て自分の賄となった。小遣いや生活費は、社会人である以上、自分の働き以外に、誰からももらうことを期待しない。もはや子どもではなくなっていた。学校を卒業した以上は、「一人前」の社会人として何でも自分で決めなければならないし、収入面でも自立しなければならないのである。
多くの人にも出会った。思い出すたびに手を合わせて感謝したい人がいる。一方で、今でも大声を上げて非難したいことや絶対に許せないこともある。多くのことと、多くの人に学びながら、時々の決断を行ってきた。その決断の原点となったのが、実質的な意味を失い死語となりつつあった「金の卵」である自分の姿であった。なぜ自分は、他の子どもたちと一緒に高校へ行けなかったのか。就職した自分を待ち構えていたのは何であったのか。教えられる側から教える側に回った今もなぜ学び続けるのか。
誰にでも、人生を振り返れば「原点」が見つかるだろう。生まれた地域かもしれない。学校での専門が、人生を決めることもあるかもしれない。ある人との出会いかもしれない。私の原点は、一五歳の「金の卵」の一人となった時だったと、今思うのである。
◇
最近、強く感じることがある。仕事柄、いろいろな人に会う機会が多いが、出会う人々が、その時々のある一面しか見ないで「私」を判断することの窮屈さである。現在の立場や職業、現在の主張だけが「私」を見る判断の基準となっているようなのだ。
原点を出発点に自分の生き方はつながり、いつもそこから新しい自分を構築しようとしていることなど一瞥されることもないかのようだ。果たして、人間はそんなに一面的なものだろうか。ある時点を見てもいくつもの面を持っているのが人間なのだ。ましてや長い間生きてきた人ならば、言い尽くせぬ想いがあるはずである。それを分かろうとせず決めつけるのは何と浅薄なことだろう。いかに人が人を誤解するものか、理解し合えないものか、否応なく認識せざるを得ないのである。
◇
毎日が本当に辛くて、地獄のようで、吐きたくなるほど哀しい日々の中で書いた詩がある。
誰も分かってくれない
と思った絶望の淵に
自分を理解してくれる
人が見つかるものだ
今も、人は人を理解しないものだ、とつくづく思う日々が続いている。それなら生きてきた「私」を書いてみよう。原点である「金の卵」に戻って自分を記録し、書き残しておこう。「私」を描くことで同じ時代を生きた人々と共感したい。そして共に分かり合いたい。私も、他の人を理解せずに生きてきたかもしれない。自己の胸襟を開くことで分かり合い、それがお互いを励まし、新たな生きる力になればと願うのである。
◇
子どもは、何人にとっても「金の卵」である。両親にとってはもちろん、家族にとっても、そして本人にとってもそうなのである。本書に書いたことの多くは、私の「子ども時代」であり、就職した時そう呼ばれただけでなく、今思えば全てが何ものにも代え難い黄金のような時代であったように思う。一生懸命生きた証がここにある。楽しさも辛さもあったが、子どもの時に自分で誓ったことからみれば生きてきてよかったと思える。こんな子ども時代を送ることができたことはとても幸せだし、その誓いのおかげかもしれない。
誓 い
いくら悩んでもよいが、決して後悔しないで生きていこう。悩んだら、とことん考え抜いて判断しよう。決まったら全力でそれに向かって精一杯努力しよう。失敗してもよい。判断が結果的に誤っていてもよい。考え抜いて決めたこと、自分の力の範囲で納得し決めたことなのだから。そして、精一杯努力したのだからよいではないか。後悔することのほうがよっぽど残念で悲しいのだから。
今、子ども時代を生きることが難しくなっている。自殺をする子どもが相変わらず多い。家庭、進学、いじめなど理由は多様だが、ニュースが報じられるたびに胸が締め付けられるようになる。痛ましく悲しいこのようなことがなくなることを願う気持ちもあって、今、まさに「子ども時代を生きる子どもたち」にも、本書を読んでもらいたいと思う。是非、中学生・高校生・大学生に読む機会があればと願う。小学生が読んでくれたら、さらに嬉しい。また、教師や教育関係者、そして保護者の方々にも〈子ども〉をどのように見ればよいのか、子ども時代をどのように過ごさせればよいのか、どのように教え育てればよいのか知ってもらいたいと思った。子ども時代をたっぷり生きなければ、大人になって自らの生き方を全うすることは難しいからである。
そこで、自分の子ども時代の時々のエピソードに合わせて、育て方についても書き込んだ。本書の初出が、教育書の『実践国語研究』(明治図書、二〇〇三年四月〜二〇〇六年三月)であるのもそのためである。エッセイ集として読みやすく書こうと努力もした。書名を「子ども時代―どのように生きるか どのように育てるか」とした所以である。漢字にルビを付けたのも、小・中学生の読者を考えてのことである。
本書が、小学生・中学生・高校生の子どもたち、教育関係者、保護者の方々に読まれ、〈学び―育ち―育てる〉という関係が少しでもよくなることを期待してやまない。
――すべては、子どもたちのために。
(写真省略)
先生のお考えは勿論分かりますが,子どもたちにエールを送ってくださっている著書です。是非とも小学校高学年や中学生に紹介してください。迷っているときに,何かを教えてくれる名著です。