感性・心の教育3感性教育による学級変革

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支持的風土にあふれた学級づくり/信頼関係を育てる学級経営/「傷つき傷つけられる関係」から「癒し癒される関係」へ、他。


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電子書籍版: なし

ISBN:
4-18-028315-8
ジャンル:
学級経営
刊行:
対象:
小・中
仕様:
A5判 164頁
状態:
絶版
出荷:
復刊次第

もくじ

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まえがき
T 支持的風土にあふれた学級づくり
──「芋洗いの会」「一人一鉢運動」「名人を育てる」実践から── /小林 昭彦
1.学校を嫌う子どもたち
2.教師と子どもたちが感動を分かちあうことで実現する「愛の教育」
3.イキのよい教師の誕生
4.支持的風土にあふれた学級創り
5.新しい時代に向かって〜「ナンバーワン」ではなく「オンリーワン」を目指して〜
U 信頼関係を育てる学級経営
──高学年に視点をあてた構成的グループ・エンカウンターの実践── /山口 孝一
1.はじめに〜学級経営は子どもたちの人間関係作りの基盤〜
2.年間指導計画の中での構成的グループ・エンカウンターの位置づけ
3.方法と内容
4.効果的な構成的グループ・エンカウンターの改良〜学級の流れの中でねらいを定める〜
5.実践した構成的グループ・エンカウンター一覧
6.各エクササイズにおける男女の協力の割合
7.感音性難聴児A子の変容
8.A子に対する思いやりの深まり〜まとめと今後の課題〜
V 「傷つけ傷つけられる関係」から「癒し癒される関係」へ
──ホリスティック教育を実現させるための学級づくり── /矢崎 兼久
1.生徒の現状から感性・心の教育の必要性を感じて
2.いきいきわくわくの教育とは
3.学級でどんなことをしたのか
4.生徒と教師がどう変わったか〜「癒し癒される関係」の誕生〜
5.「偉い人」より「立派な人」に
W 日常生活の中に子どもの心を動かす実践を
──今こそ求められる心の教育── /善生 昌弘
1.心の教育に取り組むに至った経緯
2.「心の教育」の捉え方
3.学級の中に豊かな心を育てた教育実践〜日常生活の中で〜
4.今までしてきたことに自信をもとう
5.子どもたちと正面から向かい合う責任を胸に
X 自分の思いを豊かに表現できる子どもの育成 /阿部 行雄
1.はじめに〜感性の広がりをめざして〜
2.研究の概要〜「個の特性を生かす授業」と「豊かな体験活動」を取り上げる〜
3.研究の実践から〜「体験・交流」の生活科 /良さを認め合う図画工作科〜
4.おわりに〜研究の成果を含めて〜
Y よりよい親子関係・人間関係のために
──市民向けカウンセリング基礎講座開設の取り組みについて── /玉本 宏
1.大人たちを支えることの大切さ
2.学校開放講座の開設とカウンセリング学習
3.受講生の傾向
4.講座カリキュラムの概要
5.講座内容の受講生による評価と考察
6.受講生のその後
7.まとめにかえて〜二年間の取り組みの成果〜
心の教育と学級改革
T 「心の教育」と「死の教育」
──ペットとのふれあいと学習を通して── /的場 美芳子
1.命の尊厳を根底に据えた心の教育
2.死の教育(Death Education)の必要性
3.子どもたちの心の成長とペットの存在
4.子どもにとってのペットの死
5.ペットとの教育的ふれあいプログラム(Pet Education Partnership Program)
6.生死の実感の希薄な現代におけるペットの可能性
U 「おおみや ぬくもり やすらぎプラン」
──体験活動を通して「人としての温かい心」を育てる── /出野 宏
1.はじめに〜「いじめ対策地域連携モデル市町村」大宮市
2.大宮市学校教育の現状〜「ぬくもり」「やすらぎ」を忘れた子どもたち〜
3.「大宮市登校拒否・いじめ問題対策委員会」の設置
4.文部省指定「いじめ対策地域連携市町村」事業
5.「おおみや ぬくもり やすらぎプラン」の概要
6.「おおみや ぬくもり やすらぎプラン」の成果と展望
7.おわりに〜大人の「目」が子どもの「芽」を育てる〜
V 心の教育の中核
──生と死を考える教育── /高橋 史朗
1.中学生の震災体験
2.「心の教育」の課題・方向性・提言
3.「心の教育」のポイント
4.死の準備教育
5.生命の連続性、神秘性、独自性、一回性
6.体験活動を重視した「心の教育」の実践例
7.経済同友会の提言

まえがき

 神戸の児童殺傷事件を起こしたA少年の両親が手記を出版し、大きな反響を呼んでいる。この本を読む限り、A少年の家庭は一般の家庭に比べて特殊な家庭であったわけではない。むしろ、この本を読んだ多くの親たちが「ひょっとしたらうちの子だって」という感を深くしたのではなかろうか。A少年が連続通り魔事件頃に書いたとみられる「懲役十三年」と題する作文には、次のように書かれている。

 「止めようのないものはとめられぬし、殺せようのないものは殺せない。時にはそれが、自分の中に住んでいることもある。『魔物』である。……魔物は、俺の心の中から、外部の攻撃を加え、危機感をあおり、あたかも熟練された人形師が、音楽に合わせて人形に踊りをさせているかのように俺を操る。それには、かつて自分だったモノの鬼神のごとき『絶対零度の狂気』を感じさせるものである。到底、反論こそすれ抵抗などできようはずもない。こうして俺は追いつめられていく。『自分の中』に……」

 A少年は自分の中に、恐ろしいほどに冷たい心を内観し、それを「絶対零度の狂気」と表現した。そして、「人生において、最大の敵とは自分自身なのである」と書き、その自分の心の中の「魔物」と闘う者は、その過程で自分自身も魔物になることがないよう気をつけねばならない。深渕をのぞき込むとき、その深渕もこちらを見つめている、と自らの内面の激しい葛藤を吐露している。この作文の最後は、「人の世の旅路の半ばふと気がつくと、俺は真っ直ぐな道を見失い、暗い森に迷い込んでいた」という文章で結ばれている。

 十五世紀の中頃の作品と思われる能楽の『熊坂』は、牛若丸に討たれた盗賊熊坂長範の幽霊(シテ)を旅の修行僧(ワキ)が供養するという話であるが、その一節に次のような言葉がある。

  迷ふも悟るも心ぞや されば心の師とはなり

  心を師とせざれと古き詞に知られたり

 小笠原流礼法の七つの極意のうち、第七番目にこの言葉があり、この言葉は茶の湯の創始者とされる村田珠光の言葉であるという。ちなみに、「古き詞」というのは「涅槃経」の一節である。「心の師とはなり」「心を師とせざれ」とは一体いかなる意味か。簡単に言えば、「心の先生となりなさい。心を先生としてはいけません」という意味である。なぜ心を先生としてはいけないのか。そのヒントは次の一節にあるのではないか。

  心こそ心迷わす心なれ。心心に心許すな

 これは一体どういう意味か。心には「本当の自分」の心と「ニセものの自分」の心とがあり、「心こそ心迷わす心なれ」というのは、現象的なニセものの心こそ、本当の自分の心を迷わす心であり、本当の自分の心がニセものの自分に油断して心を許してはいけない、という意味である。前述したA少年の作文は、まさにニセものの自分の心に油断して心を許すと、「心の魔物」に操られてしまうことを表現したものといえよう。

 「心の教育」を実践するにあたって、この点に留意する必要があろう。昨年七月に仙台で開催された「感性・心の教育フォーラム」(参加者は二千名)において、パネラーの小林よしのり氏が、「心の教育」がオウム真理教のマインド・コントロールのようなものに陥りかねない危険性を指摘したが、確かに一歩間違えば、ニセものの自分の心を本当の自分の心と錯覚してしまう危険性がある。(詳細については、金美齢・小林よしのり・高橋史朗・濤川栄太『子どもは待ってる 親の出番』黙出版、参照)

 福沢諭吉は「独立自尊」を説き、「自由独立」を説いたが、自尊心に裏打ちされて独立心、自律心は育つものであり、独立心があってこそ「自由」になれるのである。「心の教育」の最大の課題は、本当の自分がニセものの自分の心の魔物を制御できる自律心、自己教育力を育てることにある。そのためには、本当の自分を発見させ、自己尊重から自己統御へと導くことが大切である。


   /高橋 史朗

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