- まえがき
- 1 言葉を生かすモノ
- 1 名前の効き目
- 2 教師と子供を幸せにするひとこと
- 3 イメージの共有
- 2 モノの提示で
- 1 物と場所の意識化
- 2 実物がないときは
- 3 ひねりとモノと
- 1 五分間の勝負
- 2 意外なモノの提示
- 3 知の発動
- 4 向かう体と声を育てる
- 1 人に向かっていない
- 2 場所を移動し物を持ち
- 3 ゆれのないモノ
- 5 おしゃべりへの対処
- 1 お話どろぼう
- 2 見ることで
- 3 三色の磁石
- 6 合唱指導法
- 1 80の声で
- 2 全校で三部合唱
- 3 教師の仕事
- 7 模倣できるモノ
- 1 うらわざ
- 2 模倣からの出発
- 8 数の威力
- 1 ふっとんだ眠気
- 2 「何行目」の明示で
- 3 「数」を支えとして
- 4 「数」の指示力
- 9 非指示?
- 1 身体が指示する
- 2 物が指示する
- 10 子供の話す力を高める
- 1 まずは思いを言葉に
- 2 段階というモノを単位にして
- 3 見ることによって聞く力を
- 4 対象に向かう力を
- 11 発問・指示づくりへの応用
- 1 良い話し合いのできる問題
- 2 良い話し合いの体験
- 3 教師と子供との共同作業
- 12 授業の中での個別指導
- 13 場の力
- 1 最後の五分間
- 2 かたりの場としての機能
- 14 身体かけと目かけと
- 1 まずは「身体かけ」を
- 2 「目かけ」も同時に
- 15 見るということ
- 1 神経症軍団からの脱皮
- 2 見られることで
- 16 知と意を見る目を
- 1 「波」が引き出す知と意
- 2 知と意を促す言葉を探す
- 3 技術の発見・子供の発見
- 17 瞬時を生きる力
- 1 瞬時を生きていくシステム
- 2 瞬時を生きていく体験
- 3 型を支えにして
- 18 脱皮と出会いと
- 1 喜びの共有
- 2 劇から授業へ
- 19 言葉が力を持つとき
- 1 信頼と自信と
- 2 “語る”ための技法
- 3 声の豊かさに支えられて
- 4 知覚を全開した身体から
- 20 子供の課題は私の中に
- 1 よい教材を求めて
- 2 鮮烈な歌声との出会い
- 3 技術・原則との出会い
- 4 新たなターニング・ポイントの中で
- あとがき
まえがき
拙著『AさせたいならBと言え』(明治図書教育新書)は、思いもかけぬほど多くの方に読んでいただいた。
教師だけでなく、子育て中の父母から、さまざまな仕事に携わる方まで、幅広く読んでいただいたようだ。この本の中で紹介した「心を動かす言葉の原則」は、子供だけでなく、人間の心を動かす生理的レベルでの原則だったからであろう。
私が提案した原則を簡単に言うと、次の二点になる。
原則1 AさせたいならBと言え
Aのことをさせたいときは、させたいことをそのまま言葉に出して言うのでなく、聞き手が「おや? はて?なるほど!」と思えるような、ひねりの利いたBの言葉を使うとよい。
原則2 効果的なBの言葉をつくるには「ゆれのないモノ」を挿入せよ
言葉の中に、「ゆれのないモノ」(物・場所・数・音・色)を挿入することにより、効果的なBの言葉をつくることができる。
原則1は、私が学校の授業や行事の指導を繰り返すうち、次第に煮つまってきた原則である。次に、『AさせたいならBと言え』の言葉をどうしたら生み出すことができるかを考えているうちに見つけたのが、第2の原則であった。
私は、子供の頃、人前で話すのが得意でなかった。とくに、知らない集団に入れられると、もう、それだけで涙が出てくるほどだった。私は、話すのが得意でない$g体を克服しないまま、教師になってしまった。
だから、原則化は、自分の弱点を克服しようとした結果なのである。『AさせたいならBと言え』の原則など必要ない人の方が多いに違いないのだ。ただ、私と同じように言葉に悩んでいる方には、多少、参考になることもあるのではと思った。
原則2は、とくに、相手が学級などの集団の場合には、かなりの力を発揮する。授業や行事の際の、発問・指示づくりの原則として、いつでも、どこでも、応用の利く原則ではないかと思っている。
拙著が出てから、十年近くなる。私は、相変わらず、毎日、言葉と悪戦苦闘している。
原則1や2を念頭に、子供の心を動かす言葉を作り出したとする。ところが、その言葉を同じ私が言ったとしても、その状況(内的・外的)によって言葉の持つ力が変わったりする。
ましてや、発言する人が違えば、内容は同じでも、伝わり方は、まったく違ってきてしまう。
これは、私の原則の限界だ。つまり、私の原則は、言葉の内容だけに着目して、その場の状況や、関係、環境等、または、言葉を発する人間の身体についての考察がほとんどなされていなかったのである。
ある親は、やや絶望的な表情で言ったのだった。「先生の原則は、すごく分かるのだけれども、実際には、子供の前では、私の言葉はほとんど変わりません。相変わらず、『AさせたいならA』になってしまいます。」
この方の気持ちは、すごく分かる。私自身も、そうなのだから。
原則をもとに、知的に考えた言葉も、身体の中から生まれた小さな感情により、簡単に吹き飛んでしまうのである。その感情が、身体に付随しているからやっかいだ。
その子との関係の中で生成されてきた親や教師の身体がある。その子の前では、その子への身体向き、心向きになってしまうのだ。結局は、身体や感情の問題だから、知的な努力は無駄で、むなしいということになってしまう。
この問題を何とか打破したい。その言葉を発したときの、周りの状況や、自分の身体や感情までも、考えてみたい。言葉がどんなときに、本当に生きていたかを探りたいと思ったのである。
前著では、『基礎編』として、「AさせたいならBと言え」の事例を紹介し、『AさせたいならBと言え』の作り方の原則と事例を、『探索編』としてまとめた。
言葉を発した瞬間(とき)の状況と発し手の内面まで、記述しようと試みた本著は、『AさせたいならBと言え』の『実践編』と言えるかもしれない。
本書の多くは、『授業研究 』の連載としてまとめたものである。事例の大半は、私のクラスで、その時々にほぼ同時に生じていたことである。
リアルタイムに書くことを意識したというより、現場教師として、私は、日々、一番関心のあることや問題になっていることをどうしても書いてしまうことになった。
遅々たる歩みであるが、前著から、半歩くらいは、登ったかな…と思っている。
しかし、読者の方からは、「ほとんど前進していないぞ…。」と言われるのではと心配している。
一九九八年六月十五日 /岩下 修
-
- 明治図書