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今月のメッセージ
「わんぱく」が生きる学級・学校、そして地域社会を
全生研常任委員 浅見 慎一
「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい!」……かつてたしか、そんなキャッチコピーがテレビCMで流れていたことを記憶する。その内容に好感をもったわけではないが、近ごろめっきり「わんぱく」が言われなくなった。「わんぱく」が認められなくなったといってもいいくらいだ。
3年生のリョーは、家族6人で小さな団地に住んでいる。両親とも日系外国人で、毎日遅くまで働いている。だが、訪問するたびに、かつて日本のどの家庭にもあったような家族の助け合いとにぎやかな雰囲気が伝わってくる。だから、リョーは「わんぱく」であり、生活力がたくましい。
そんなリョーが1学期の終りに調子をくずし、休むことが多くなった。カタコトの日本語が残る母親は、「リョー、このごろ元気ないの。なんだか学校が怖いっていうの……。」と語ってくれた。私も気になっていたところだ。いっしょに帰る友だちがなくなり、ビクビクして戸惑っているようすが見えたからだ。リョーのような子にとって、帰り道ほど楽しい時間はないはずなのに……。
なぜなら、それまで仲良しだった隣学級のP君やQ君の家から、地域でのあるトラブルをもとに、リョーを「いじめっ子」とする苦情が相次いだ。そして、しばらく「近づかない」「付きあわない」ことが求められてしまったのだ。私たち担任が事情を聞く範囲では、一方的にリョーが悪いわけではないし、ちょっとした「いたずら」程度のことであった。リョーは納得いかぬ表情で謝るしかなかった。親たちが必要以上に子どもの世界に登場することで、子どもどうしが孤立させられている。
実は4月当初の授業参観後、P君の母親が私の教室に入って来るなり、「リョー、うちのPクンをいじめたら、許さないよ!」と怒鳴りこんで来たのだ。あまりの突然のことに、リョーも私も面食らってしまった。そのP君は、2学期に入って体調不良を理由に休むことが多くなっている。いつの間にか、今度はP君といっしょに帰る友だちがいなくなってしまった……。
近年、子どもたちの「生きづらさ」が進行している。私はその背景に、@「勝ち組・負け組」の論理、A家族関係のもつれ、Bメールやネットの罠、C「不審者対策」の縛り、D再びの「強い指導」(「カウンセリング・マインド」とやらはどこに?)などがあると考えてきた。そして、保護者会など機会あるごとに、小学校の子どもは「おせっかいで、なまいきで、おしゃべりな子に」と、呼びかけてきた。とくに低学年は「おせっかい」(友だちと関わる子)、中学年で「なまいき」(賢く考える子)、高学年に「おしゃべり」(文化的に交わる子)をと強調してきた。
だが、いまもっとも必要なものは、子どもたちが自由に使える時間と大人たちの許容度ある人間関係かも知れない。子どもたちの「生きづらさ」に接するたびに、月並みだが、「わんぱく」が生きるような「時間・空間・仲間」のある学級・学校づくりを進めたいと思う。子どもたちの「遊び心」が広がるような地域社会を……と、新しい年に切に願っている。
リョーは茶目っけある笑顔を取りもどし、いたずらっぽい目をキラリッと光らせている。クラスでもっとも「学力」は厳しいけどほがらかなミサは、「だけど、リョー君って、優しいよ!」とフォローする。無器用でモタモタしがちなユージは、「リョー君、ぼくにはぜんぜんイジワルしないよ。」と証言する。「よい子」「まじめ派」の子どもたちも、リョーの「わんぱく」と向きあいながら、たがいに学びあっている。
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- 明治図書