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今月のメッセージ
認識の獲得と世論の形成を
全生研常任委員 宮ア 久雄
仲良しの世界は時にいじめの世界でもあるという。なぜだろうか。仲の良い関係がいじめを生み出す温床になっているなんて、考えただけでも辛くなる。
鈴木実践を読んでいたとき、限りなく親密な二者関係を追い求め、そのしつこさで嫌われパニックを起こす男子と、仲良しの関係をわずらわしく感じ一人でいる女子が紹介されていた。
そんな時、ふと思い出したのが数年前に受け持った四年生の三人の女の子のことだった。三人はいつも一緒に行動していた。家も近所で仲良しであった。ところが、「どうも、うちの子がいじめられているようなんです」と一人のお母さんが訴えてくる。そんなことはないと思いながら話を聞いてみると、二人が先に連れ立って帰り自分だけが取り残されて一人で帰ってきたというのである。また、ある休み時間のこと、二人で虫取りに行き、娘一人が残されてしまったというのである。もちろんこれらの情報は娘さんがお母さんに語っていることである。
翌日、話を聞いてみると、「見つけたけど、見当たらないので先に帰ったのだと思って、二人で帰った」と言うのだ。以前にも同じようなことがあったので、という話も付け加えられた。虫取りのことも、同じような経過で、二人で行動したという。
時々、この二人の組み合わせが変わっていた。
私は、この子たちに、二つのものが欠けていると感じた。一つは、一緒にいることで一体感を持つが、ちょっと離れただけでもう友情も何もかもなくなってしまう。いえ、嫌われ、いじめられてしまっている、という気持ちになってしまう。一緒か排除かという二者択一の世界に住み、友情なんて一緒に行動しているときだけのものという、なんともさびしい世界に生きている。欠けているのは友達を信じるちからである。
なぜ、「なぜ、二人で帰っちゃったの」と問えないのか、なぜ「わたしも一緒に虫取りにいきたかった」と言えないのか、いえいえ、虫取りに行っていることが分かっているのだから追いかけていって「私も入れて」と、なぜ言えないのか。こう問い返してみると、言葉によるコミュニケーションが行えないことが二つ目の欠けているものとして浮かび上がってくる。
言葉で問えないのは、もう嫌われちゃったと思い込んでいるからであり、言葉で問えないから、思い込みの世界から抜け出られないのである。だから、二つの欠けていることと考えたものは実は表裏一体の一つのものであった。
実践では、ここで友情についての学習を一時間設定した。子どもたちみんなで考え合い思い込みの世界から言葉の世界へ、一緒にいなくても離れていても友情は消えないという世界があることを学びあった。学習の翌日、一人で廊下を歩いてくる女の子がいた。
「先生、たまに離れていたって友達は友達だよね」
「もちろんそうさ」
にっこり笑ってスキップで離れていった。教室では、もう一人の子が本を読んでいた。
「おや、今日は一人ですか」
「うん、今日は本が読みたいから」
平和な世界が心の中に生まれている。それは言葉(認識)で分かったことであり、さらに、学級の共通の認識(世論)として学んだことが生きているからであった。
今、多くの子どもたちが豊かな感性を身につけているが、逆にその感性に苦しめられている。だからこそ、豊かな認識の獲得と世論の形成が求められている。
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- 明治図書