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今月のメッセージ
カチューシャの思い出
常任委員 今関 和子
二年前の冬でした。歌舞伎町にある映画館の前でカラオケのチラシを配る派手な青のヤッケを着たアルバイトの若者たちのそばを通り過ぎました。少し歩いていると、さっきのアルバイトの若者の女の子のひとりが、「センセー!」と大声で叫びながら大きく手を振り振り私の方へ走ってきました。
息をハーハーさせながらやってきたその若い女の子はいきなり「センセー、私、今ここでバイトしてんの。今関先生、カラオケにきてね。」とまるで親しい間柄であるように、名前も告げずに話すのです。その子は、私が七年ほど前に担任した摩耶でした。「摩耶ちゃんじゃない!」と驚いて言う私に「うん」と摩耶は親しみを込めた満面の笑顔を私にむけ、「今度きっときてね」そう言ってチラシを渡すと、チラシ配りに戻っていきました。私はしばらく摩耶の後ろ姿を見送っていました。
摩耶。化粧をしている摩耶を、名前も聞かずになぜ彼女であることがわかったのか、それは摩耶が大変印象的な子どもだったからです。四年生で担任した摩耶は大変手のかかる子どもでした。判読しがたい乱れた文字。そして摩耶のいるところはいつもトラブルばかりでした。
「摩耶ちゃんのシャープペンは私のなんだよ、私の名前が書いてあったところをマジックで消してある」「摩耶ちゃんのうちに私のキーホルダーがあった」そんな訴えはウソではなかったのです。
そんな摩耶でしたからいつも友だちといざこざを起こしては、きつい物言いで友だちを叱責しては、
「どうせ私は嫌われてんのよ」と激しくヒステリックに泣き、いじけるのでした。摩耶のこともあり女の子たちの関係もすっきりとしていませんでした。それで私はクラスの女の子たちと「十一人姉妹の会」をつくり、放課後におやつづくりをしたり楽しむ機会を作りました。そんなときでもちょっとした行き違いから、いじけながらホットケーキを焼く摩耶の姿がありました。
ポーランド旅行に行き、お土産に女の子たちにカチューシャを買ってきたときのことです。ビロード風の赤、紫、青の地にビーズの飾りがついたカチューシャを分け合っていた時も摩耶は「赤のカチューシャでなくちゃいや」と激しく泣きました。結局誰かが譲って摩耶は赤いカチューシャをもらいましたが、二、三日してそのカチューシャはゴミ箱のそばに二つに折れて転がっていました。私の胸はグサリと痛みました。「なぜこんなひどいことをするのか」と摩耶への理解しがたい思いを強く持ったのでした。
摩耶が心穏やかに過ごした日があったろうか、いつも喧騒の中にいた彼女は、不満な思いを持ちながら過ごしたのではないだろうか、摩耶について心残りを強く感じながら担任を終えた一年間でした。
ですから、映画館街で出会った摩耶の親しみを込めた嬉しそうな笑顔に、正直私はとまどったのです。
その半年後、偶然にも、再び摩耶に出会いました。摩耶は半年前と同じ親しみを込めたあの笑顔で、
一度高校はやめたけど再び定時制に通い始めたことなど近況を話したあと私にこう言いました。
「私、センセーのこと学校で一番好きだったんだよ。四年生の時は楽しかった。」
私はこの言葉でようやく気づいたのです。荒んでいた摩耶はあの時、人を傷つけ自分も傷つきながらしか、生きることが出来なかったのでしょう。それでも懸命に生きていたのです。しかし、私はその摩耶の生きている現実に共感することが出来なかったのです。だからカチューシャを捨ててしまった摩耶に「なぜこんなひどいことをするのか」とカチューシャごときでグサリと胸が傷ついたのです。荒んでいる摩耶の苦しさに寄り添うことなく、私の勝手な価値観を当てはめていたのです。
再び出会うことで、私は摩耶に共感できなかったことを心の中で詫びました。そして、そのことに気づかせてくれた摩耶に感謝しました。
教師と子どものすれ違いは、教師の子どもを受け止める容量の大きさによるものだということです。私たちは、難しい子どもを「わかりにくい子」「指導しにくい子」「苦手な子」として早くから振り分けてしまうことで、すでに、子どもを理解しよう、共感しようという姿勢を捨ててしまっていないでしょうか。私たちが「苦手な子」と呼ぶ場合、もっともっと大きな器で受け止めることができるように、自分の意識を変えようという自らの変革を求める「宣言」として考えていったらよいのではないでしょうか。
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