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今月のメッセージ
長い眼で見る・ゆったりと構える
常任委員 浅見 慎一
この年度末にうれしいことがあった。教え子のG君が「中学校」を卒業し、家に戻ったのだ。G君は中学に入って間もなく学校に行かず、家にもいられなくなり、一時は児童相談所に預けられ、その後また「悪さ」をし、県の更正施設に入って、そこで「卒業式」を迎えたのである。
G君はさっそく私を訪ねて来てくれた。身体はスリムになり、きりりとした表情であいさつする彼は「毎日規則正しい生活だったから……。」と言った。たがいに涙顔で手を取りあった。傍で母親が「中学校には絶対に顔を出したくないけど、先生にはあいさつに行かなくちゃ……と言うんです。」とつけたした。私は、わが子同様に心配し、面倒をみてくれたDさん宅にもあいさつに行くことを勧めた。
G君は、私が現任校に来たての六年生で、真っ先に学級を「かき乱した」子である。当時の彼は、長距離トラックで働きだした母親に代わって、弟の保育所への送り迎えから炊事・洗濯まで、家事のいっさいを担っていた。明るく人なつこい人柄だが、学校に来たらそのストレスを吐き出すしかなかった。教室では寝ているかふざけまくるしかできず、やがて弟を送った自転車で登校し、母親との連絡でケータイを持ち込んだ。私はクラスにその事情を訴えたが、「何であいつだけ許されるんだ。」「オレたちも好き勝手にしようぜ。」となった。学級は荒れて「崩壊状態」を経験するはめになった。
だが、卒業後、すぐにキレて暴力を振るったW君が「オレ、もう平気です……。」とポツリと言いに来た。当時は私への「反発」の急先鋒であったRさんも、女子リーダーだったKさんとともに訪ねてきて、「でもね、私たちのクラスってウソがなかったよね。みんな本音出せたっていうか……。」「がまんは足りなかったけどね……。」と、なつかしそうに語り合った。私は救われた気持ちになった。
そんな彼等が心配して飛んで来たのが、「G君が施設に入れられた」という情報を聞きつけてのことだ。Rさん、KさんにF君、T君を加え、当時のリーダーたちだ。彼等は口々に、無責任な母親の養育態度を非難し、情報を伝えない中学校の姿勢を批判した。「先生、何とかならないの?」「あいつ、いい奴だもんな。」「私たちにできることをしよう。」と、多分に感情的にしゃべりあった。だが、現実には施設のルールの壁があり、彼等の思いをG君に伝えることはむずかしかった。
G君はいま、将来のトラック運転手をめざし、運輸会社で働くことを希望している。先日また会いに行ったとき、彼はまた「新しい家族構成」のなかで、「早く働いてカアチャンを楽にさせたいんだ。」「新しいトウチャンにも迷惑かけられないし……。」とつぶやいた。そして、思いきりの笑顔で、「先生、ありがとう!だいじょうぶだから……。」と手を振り、見送ってくれた。
ところで私は、昨年度に四年生を担任した。実践の評価は分からないが、懇談会や手紙で親たちからもらった言葉は、共通して「おおらかな指導に感謝」「ゆったりした受け止めに安心」というものだった。「学童育ち」でエネルギッシュな、それゆえに乱暴な面もあるM君の母親からは「先生の広い目、広い心でMはのびのびと過ごすことが出来ました。一年生から三年生まで、担任の先生から色々と電話がありましたが、今年は一回も頂くことなく終わる事が出来ました。……」という手紙をもらった。
多分に手前味噌的かも知れないが、これはいま親たちが教師に求めていることの一つではないかと思う。「おおらか」「ゆったり」ということは、何事も幅を持って大目に見ることであり、融通を利かせて付き合うことでもある。加速度的に変貌する学校環境のなかで、親と教師、そして子どもたちとの関係も、あたふたしたり、感情的な対応になったり、ギスギスした関係に陥ったりしないようにしたい。
六月はさまざまに子どもたちが秦地紳(本音)を出すときである。それとともに教師は、「こんなはずじゃなかった……。」と悩みだすときでもある。だが、あせりは禁物である。自分一人での抱え込みもいけない。子どもの成長は長い眼で見ること、教師としてゆったりと構えること、いつもそれを忘れてはならないとつくづく思う。
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