生活指導 2004年6月号
保護者と進める集団づくり

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生活指導 2004年6月号保護者と進める集団づくり

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ジャンル:
生活・生徒・進路指導
刊行:
2004年5月10日
対象:
小・中
仕様:
A5判 124頁
状態:
絶版
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目次

もくじの詳細表示

特集 保護者と進める集団づくり
保護者と進める集団づくり
大和久 勝
実践
小学校/みんなで誘おうよ親子でワイワイ
佐伯 隆
小学校/ユウタの母とのプロジェクト
今関 和子
中学校/保護者と分かり合う、同僚と一緒に歩く
星高 丈
分析
おとなが生きる、子どもが生きる
山田 綾
教師と親はどうつながるのか
片岡 洋子
第2特集 子どもを励ます文化活動
実践
みんながひっしにみてくれた
志賀 廣夫
先生分かったよ―教室に絵手紙を
高原 史朗
We Love Dance!な高校生たち
熊沢 勇紀
子ども演劇教室「でこぼこ一座」の物語
高橋 保
今月のメッセージ
長い眼で見る・ゆったりと構える
浅見 慎一
今月の集団づくり・小学校 (第3回)
4年1組物語
坂田 和子
〜初めての班がえ〜
今月の集団づくり・中学校 (第3回)
瀧田中学校物語
花山 尚人
〜チームMでつかんだ仲間との共同〜
実践の広場
私の教室
学級の目当ては「にっこりクラス」
下田 眞由美
すぐ使える遊び
けっこう使える昔からの遊び
山本 耕司
授業のアイデア
ティームティーチングの授業で職場づくり
男鹿 八郎
楽しいイベント
食文化を学級の取り組みに!
箕輪 秀樹
私の学校づくり
学校づくりは職場集団づくり
本田 広行
通信・ノートの工夫
「独断と偏見」は徳(得)ダネと親近(感)につながる
穴倉 陽子
手をつなぐ
教師の「スタンス」を問いつつ親とつながる
東稔 治義
今子どもたちは
学校の中の基地
田中 朱美
私のオフタイム
週末はスタジアムへ
吉原 和義
表紙絵を描いて三年
角岡 正卿
案内版 集会・学習会のお知らせ
北から南から
地域・サークルからの発信 山梨・甲府サークル
森 宏
〜サークルのあり方再考〜
教育情報
東京都の暴挙
白桃 敏司
読書案内
『ADHDの子どもと生きる教室』(大和久勝著)
照本 祥敬
読者の声
4月号を読んで
投稿
「心のノート」についての幾つかの問題
金子 隆弘
全生研第46回全国大会案内
編集後記
大和久 勝

今月のメッセージ

長い眼で見る・ゆったりと構える

常任委員 浅見 慎一


 この年度末にうれしいことがあった。教え子のG君が「中学校」を卒業し、家に戻ったのだ。G君は中学に入って間もなく学校に行かず、家にもいられなくなり、一時は児童相談所に預けられ、その後また「悪さ」をし、県の更正施設に入って、そこで「卒業式」を迎えたのである。

 G君はさっそく私を訪ねて来てくれた。身体はスリムになり、きりりとした表情であいさつする彼は「毎日規則正しい生活だったから……。」と言った。たがいに涙顔で手を取りあった。傍で母親が「中学校には絶対に顔を出したくないけど、先生にはあいさつに行かなくちゃ……と言うんです。」とつけたした。私は、わが子同様に心配し、面倒をみてくれたDさん宅にもあいさつに行くことを勧めた。

 G君は、私が現任校に来たての六年生で、真っ先に学級を「かき乱した」子である。当時の彼は、長距離トラックで働きだした母親に代わって、弟の保育所への送り迎えから炊事・洗濯まで、家事のいっさいを担っていた。明るく人なつこい人柄だが、学校に来たらそのストレスを吐き出すしかなかった。教室では寝ているかふざけまくるしかできず、やがて弟を送った自転車で登校し、母親との連絡でケータイを持ち込んだ。私はクラスにその事情を訴えたが、「何であいつだけ許されるんだ。」「オレたちも好き勝手にしようぜ。」となった。学級は荒れて「崩壊状態」を経験するはめになった。

 だが、卒業後、すぐにキレて暴力を振るったW君が「オレ、もう平気です……。」とポツリと言いに来た。当時は私への「反発」の急先鋒であったRさんも、女子リーダーだったKさんとともに訪ねてきて、「でもね、私たちのクラスってウソがなかったよね。みんな本音出せたっていうか……。」「がまんは足りなかったけどね……。」と、なつかしそうに語り合った。私は救われた気持ちになった。

 そんな彼等が心配して飛んで来たのが、「G君が施設に入れられた」という情報を聞きつけてのことだ。Rさん、KさんにF君、T君を加え、当時のリーダーたちだ。彼等は口々に、無責任な母親の養育態度を非難し、情報を伝えない中学校の姿勢を批判した。「先生、何とかならないの?」「あいつ、いい奴だもんな。」「私たちにできることをしよう。」と、多分に感情的にしゃべりあった。だが、現実には施設のルールの壁があり、彼等の思いをG君に伝えることはむずかしかった。

 G君はいま、将来のトラック運転手をめざし、運輸会社で働くことを希望している。先日また会いに行ったとき、彼はまた「新しい家族構成」のなかで、「早く働いてカアチャンを楽にさせたいんだ。」「新しいトウチャンにも迷惑かけられないし……。」とつぶやいた。そして、思いきりの笑顔で、「先生、ありがとう!だいじょうぶだから……。」と手を振り、見送ってくれた。

 ところで私は、昨年度に四年生を担任した。実践の評価は分からないが、懇談会や手紙で親たちからもらった言葉は、共通して「おおらかな指導に感謝」「ゆったりした受け止めに安心」というものだった。「学童育ち」でエネルギッシュな、それゆえに乱暴な面もあるM君の母親からは「先生の広い目、広い心でMはのびのびと過ごすことが出来ました。一年生から三年生まで、担任の先生から色々と電話がありましたが、今年は一回も頂くことなく終わる事が出来ました。……」という手紙をもらった。

 多分に手前味噌的かも知れないが、これはいま親たちが教師に求めていることの一つではないかと思う。「おおらか」「ゆったり」ということは、何事も幅を持って大目に見ることであり、融通を利かせて付き合うことでもある。加速度的に変貌する学校環境のなかで、親と教師、そして子どもたちとの関係も、あたふたしたり、感情的な対応になったり、ギスギスした関係に陥ったりしないようにしたい。

 六月はさまざまに子どもたちが秦地紳(本音)を出すときである。それとともに教師は、「こんなはずじゃなかった……。」と悩みだすときでもある。だが、あせりは禁物である。自分一人での抱え込みもいけない。子どもの成長は長い眼で見ること、教師としてゆったりと構えること、いつもそれを忘れてはならないとつくづく思う。

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