生活指導 2002年10月号
保護者とのコミュニケーション・スキル

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生活指導 2002年10月号保護者とのコミュニケーション・スキル

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ジャンル:
生活・生徒・進路指導
刊行:
2002年9月
対象:
小・中
仕様:
A5判 124頁
状態:
絶版
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目次

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特集 保護者とのコミュニケーション・スキル
保護者とのコミュニケーション・スキル
鈴木 和夫
実践記録 保護者とのコミュニケーション・スキル
保護者と何を語り合ってきたか
原田 真知子
実践記録 保護者とのコミュニケーション・スキルを読んで
安心と元気の源をどのように作るのか
植田 一夫
教師自身の位置(ありかた)を探り直す
猪野 善弘
「親と語り合うために」すれ違いの背景を考えながら
阿部 弘美
二つの「当事者性」が生み出す共感と協同
今関 和子
保護者との関係を紡ぎ出してきたものは何か
船越 勝
長編実践記録
話し合いがやる気を引き出す―「三年生を送る会」の取り組みをめぐって―
栗城 順一
第2特集 タイムテーブル・授業時数・年間計画
見切り発車の中で―子どもも教師も忙しい!―
北川 進
子ども・学校が生きる教育課程
奥山 民生
教育版「フレキシビイリティ」に抗して
寺沢 正二
学校の官僚制化に対抗する開かれた教師の専門性に基づく学校づくり
住野 好久
今月のメッセージ
声を聴きとる、絆を結ぶ、希望を紡ぐ
庄井 良信
集団づくり―わたし流メソッド
小学校/子どもの行動を読み解く
土屋 久美子
ほっとたいむ サークルからの発信
神戸サークルの再開から三歩
小野 敏
案内板 集会・学習会のお知らせ
書評
『揺らぐ〈学校から仕事へ〉―労働市場の変容と10代―』
山ア 鎮親
読者の声
8月号を読んで
全生研Web情報
4月以降の学校の変化
投稿 実践記録
不登校の春子とともに
根田 和子
コメント
大和久 勝
全生研の窓
編集後記
鈴木 和夫

今月のメッセージ

声を聴きとる、絆を結ぶ、希望を紡ぐ―発達援助の専門家としての教師たち―

北海道教育大学 庄 井 良 信


 いま、深い不安や困難を抱える人びとの声を聴きとるという営みと、その聴きとられた声から、私たちの研究課題を立ち上げるという営みが、とてもたいせつなことだと考えています。もちろん、子どもたちが抱えている不安や困難は、必ずしも私たちにわかりやすい言葉で表現されているわけではありません。

 ある教師が担任していた五年生の子ども(測定される「学力」は高いが、感情の揺れが激しく対人関係に不安定さを抱えた子)は、ある研究所が実施したムカツキアンケートのなかの「嫌いな教科」というところへ「図工、図工、図工」と三つ並べて書いていました。嫌いな教科は、一番も図工、二番も図工、三番も図工だというのです。この子どもの自由記述欄にはこう書かれていました。

 「いきなりやれといわれるので何をしてよいのかわからない。できなかったときに先生がやりなさいとしか言わない。それでもできなかったら残ってやりなさいという。何もわからないのにやれやれ言うな。ざけんなよ。」

 この子を担任していた先生は、当時この子の激しい内面にとまどいましたが、この自由記述に表出された言葉の意味を、何人かの同僚と考えあいながら、あることに気づきはじめたといいます。それは、この子がただたんに乱暴な言動を発しているのではなく、自分の書きたい絵を描くということ ― 自分の個人的要求をもつこと(自我の重要な構成要素)― に人一倍つよいとまどいを抱えていること、その背景には安心と自由を感じながら自分の思いを聴きとられた経験に恵まれなかったことなどがあるのではないか、ということでした。その後「ざけんなよ」と激しく表出されたこの子のメッセージを、この先生は「自分の指導の鏡として記念にとっておきたい」と、穏やかに語ってくれました。

 すばらしい実践家だと思いました。

 いま、私たちが、困難を抱えた具体的な現実と(感情的にならずに)向かい合うときに思わず後ずさりせざるをえないのは、当然なことなのではないでしょうか。

 今日のような社会状況のなかでは、誠実な教師ほど、たいへん多くの悩みを抱えられるし、どんなに「強い」先生でも、どんなに「情熱的な」先生でも、そこで立ちどまって悩むということ(前にも後ろにも進めない状況のなかで思わずその場にたたずんでしまうということ)は、ありえるのだと思います。ダメ教師だから困難を抱えているのではない、誠実な教師だからこそ困難と向き合い、後ずさりせざるをえない状況に立たされているのだ ― 職場の同僚たちと語り合うときも、この前提に立つことがとてもたいせつなことなのだと思います。

 前任の大学院のゼミナールで、福祉関係の院生が、教育関係の院生に言いつづけたことがありました。それは、教育関係の人たちは、どうして一人で背負いこもうとしてしまうのか、どうして< help me >(助けて)と言えないのか、難問だからみんなで知恵を出しあおうという姿勢にならないのか、という問いでした。そういわれて、多くの教師志望の院生たちが深く考え込むことも少なくありませんでした。その深い沈黙からの学びあいが、発達援助の専門性とは何か、という問いを深める糸口にもなりました。

 教師の仕事は、尊厳と専門性のある仕事だからこそ、個人的なスタンドプレイは許されないのだと思います。いま大切なのは、困難の多い教育問題を、教師一人で背負い込まずに、地域の父母や発達援助の専門家たちと手を結びながら、そのなかに生きる教師だからこそできる発達援助の専門性とは何かを、冷静に、沈着に、穏やかに見据えていくことだと思うのです。深い悲しみを抱えた人びとの声を聴きとること、おずおずと語り合うこと、そこから新しい絆(きずな)を結び合うこと ― このナラティヴな発達援助の共同体のなかに、私たちの生活指導研究のあらたな希望が仄見えているのではないでしょうか。

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