学校運営研究 2002年8月号
癒しの教育―今どんな提案があるのか―

J539

«前号へ

次号へ»

学校運営研究 2002年8月号癒しの教育―今どんな提案があるのか―

紙版価格: 796円(税込)

送料無料

電子版価格: 716円(税込)

Off: ¥80-

ポイント還元20%

ファイル形式

PDF
ジャンル:
学校経営
刊行:
2002年7月
対象:
小・中
仕様:
B5判 78頁
状態:
絶版
出荷:
ダウンロード
定期購読

目次

もくじの詳細表示

特集 癒しの教育―今どんな提案があるのか
教育と癒し―私がパッとイメージすること
もっと体と頭をほぐそう
市川 克美
自分を感じる
嶋野 道弘
「つぶやき」が生かされる
藤井 千春
私が学校で疲れを感ずる時、癒されると思うこと
“子供との関係”で疲れる時、癒されること
森川 敦子
“子供との関係”で疲れる時、癒されること
藤井 総一郎
“上司との関係”で疲れる時,癒されること
板倉 弘幸
“上司との関係”で疲れる時,癒されること
平田 淳
“同僚との関係”で疲れる時,癒されること
師尾 喜代子
“同僚との関係”で疲れる時,癒されること
長野 藤夫
“保護者との関係”で疲れる時,癒されること
中野 浩彰
“保護者との関係”で疲れる時,癒されること
八代 真一
心と体の癒し―この教育のここに注目! 教育思潮を探る
“エンカウンター”による心と体の癒しとは
八巻 寛治
“体ほぐし”による心と体の癒しとは
根本 正雄
“カウンセリング”による心と体の癒しとは
平松 清志
“ライフスキル”による心と体の癒しとは
皆川 興栄
“ホリスティック”による心と体の癒しとは
手塚 郁恵
“立腰教育”による心と体の癒しとは
間瀬 泰男
「心地よさ体験」を学校に復権するポイント
声を出す教育―どこでどんな活動があるか
向山 洋一
体を動かす―どこでどんな活動があるか
藤井 喜一
話を聞いてやる場―どこでどんな活動があるか
竹田 博之
集団が一体化する場―どこでどんな活動があるか
渡辺 喜男
学校生活にリズムとメリハリ―どんな工夫があるか
内村 博幸
授業に癒しを! “五官を使う教育”への見なおし点
国語授業で音読―どんな活動が可能か
高橋 俊三
社会科授業で調べ学習―どんな活動が可能か
寺本 潔
理科授業でネイチャーゲーム―どんな活動が可能か
日置 光久
体育で体ほぐし―どんな活動が可能か
白石 周二
音楽で集団への一体感―どんな活動が可能か
飯田 清美
総合で自己表現―どんな活動が可能か
村川 雅弘
行事でyosakoiソーラン―どんな活動が可能か
割石 隆浩
学校史に見る“癒しの教育”の系譜
赤塚 康雄
“癒しの教育”に関わる用語の解説
小野 由美子
わが校のIT戦略 (第5回)
つくば市立竹園東中学校
大島 克己
学校ボランティア―こんな活動こう創る (第5回)
心と心をつなぐボランティア活動
平井 富子
本当にこれがよい授業か (第5回)
指導案通り行われる授業はよい授業か
小関 熙純
予備校に聞こえてくる“学校への不満” (第5回)
誤解
鈴木 晟
学校運営のためのプロジェクトマネジメント (第5回)
企画書、課題の解き方、開かれる学生の認知世界
酒井 弘一
校長・教頭のための著作権の基礎知識 (第5回)
「契約・表示システム」について学校教育関係者が行動を
岡本 薫
人が人として育つために―学校歯科医からの教育発信 (第5回)
歯みがき指導の場から―歯科「保健教育」=「歯みがき指導」―
鏡 宣昭
教育改革への私のビジョン (第5回)
総合的な学習と日本総領事館亡命事件
石井 昌浩
開かれた学校と学校支援ボランティア
坂井 康宣
学校でする“絶対評価”への切り換えポイント (第5回)
通知票の切り換えに向けて(その1)
陣川 桂三
戦後教育が“善意”で犯した罪 (第5回)
“愛と技術”について
技術こそが事実を作れる
向山 洋一
「愛」の亡霊
大森 修
大学の教育学部で「教育技術」も教えることが必要である
杉田 久信
続・校内研究会の戦略と戦術 (第17回)
校内研究会の予習と復習(4)
志水 廣
文教ニュース
開かれた学校づくりなどで教員調査/教育振興基本計画の審議にたたき台
安達 拓二
編集後記
樋口 雅子江部 満
修学旅行の新ネタ“知っている?” こんな京都 (第5回)
よく見ると何か変?京都の看板
水山 光春田中 曜次

編集後記

○…「ふわふわ肌触りのお母さん人形」と「ミルクは出るけど針金で出来たお母さん人形」―実験台のサルはどちらに惹かれるか…というと、お腹が空いた時以外は、ふわふわ肌触りのお母さん人形にしがみついている…といいます。

 サルも心地よい肌触りを知っているだけでなく、仲間がいない寂しさ、ストレスをふわふわ肌で癒される―ということがいえる―と学んだことがあります。

 今、町を歩いていても、足の裏のヒーリングとかいう看板があちこちに出ていて、それなりに繁昌しているようです。それだけ癒されたい…という人が多いということなのでしょうか。

 もちろん一口に癒しといっても、人によってその、癒されたと感ずる媒体というか、感覚は違うでしょう…。

 しかし、人間の各器官を十分に生かすことが、誰にとっても癒しの第一歩…ではないか、と思います。空気のおいしいところにいったら誰でも深呼吸するように。

 翻って学校教育の場では、五官ということがあまり意識されることがないように思います。その昔は、教科書を大きな声で一斉に読むということが当たり前でしたが、一斉に音読したり、号令をかけたりするのは軍国主義の教育だという掛け声のもと、黙読を良しとする風潮が戦後教育の主流になって悪くなった…という指摘もあります。

 でも、ここに来て、齋藤孝氏の「声に出して読みたい日本語」がベストセラーになったりというように、五官をフルに使う心地よさが注目されるようになりました。

 本号では、このようなチャンス

?を捕らえて、もっと教育活動を癒しというキーワードで検討してみる必要があるのではないか―そんな問題提起を試みました。

(樋口雅子)

○…このスペースではコメントも出来ない。文科省の「学びのすすめ」を読み返すたびに、「ゆとり教育」との矛盾を感じている。いさぎよく「ゆとり教育」を撤回すべきではないか。いっそ学習指導要領の法的拘束力も自由にすべきではないか。

(江部 満)

    • この商品は皆様からのご感想・ご意見を募集中です

      明治図書

ページトップへ