- 特集 民主教育“権力なき国家”の理想と現実
- 「民主教育の理想」ってどんなイメージ―と聞かれたら
- 民主主義の教育思想〜よりよい社会の実現へ向けて
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- 民主教育の理想は「平等」だが……
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- 自律した人間の形成
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- 教師に抵抗し、子ども自ら自分の学びをつくっていく教育―権威・権力への抵抗力と主体的創造力
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- 「現場の自由度」がキーポイント
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- 精神的な強さこそが民主教育の理想型だ
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- 検証!民主教育は、どういう現象として現れているか 目ざす理想が招いた“問題ある現実”
- 目ざす理想が招いた“問題ある現実”
- 常に学び続けてこそ平等
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- 平和教育の状況論的パラダイムシフトを
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- 「民主教育」の誤解
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- 結果責任なき世界からの決別を
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- それがもたらした“プラス効果の現実”
- 「民意」の名のもとに「私意」が「公的意思」を覆す時代か?
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- 様々な立場からの授業研究の推進
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- 主体的に社会を創ろうとする子どもの育成
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- 参加型民主主義から熟議民主主義へ
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- 学習指導要領の変遷にみる“民主教育の理想と現実”●平成から昭和へ遡行する
- 平成二〇年指導要領の特徴と果たした役割
- “停滞”からの脱却を目指して
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- 「現場主義」の改訂だったのか
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- 平成一〇年指導要領の特徴と果たした役割
- 「ゆとり」は「厳選」を生かせず
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- 政治と本能:社会化の共存再試行
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- 平成元年指導要領の特徴と果たした役割
- 冷戦後の世界に向き合う教育課程
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- 個性尊重の原則による学校の教育課程の自主編成
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- 昭和五二年指導要領の特徴と果たした役割
- 教育における「ゆとり」の意義を提起
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- 成熟社会の中の混迷と模索の時代
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- 昭和四三年指導要領の特徴と果たした役割
- 「現代化」と教育現場との乖離
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- 規制緩和、大鋼化の「理想」と「現実」
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- 昭和三三年指導要領の特徴と果たした役割
- 経済成長の時代の国家主義的政策
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- 新教育から脱皮して国の基準を明確に
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- 昭和二六年指導要領の特徴と果たした役割
- 「評価」が変えた戦後教育と社会科
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- 昭和二十六年版学習指導要領にみる“民主的傾向”
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- 昭和二二年指導要領の特徴と果たした役割
- 教師に希望を与えた「学習指導要領」の作成
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- 国家・家庭と正対する個の功罪
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- 民主教育の理想と現実=文部行政が果たした役割
- 「スズメの学校」から「メダカの学校」へ
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- 「存すれども亡を忘れず」
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- 民主教育の理想と現実=民間教育運動が果たした役割
- 民間教育運動が育てた日本の授業研究
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- 多様化し変貌著しい民間教育運動
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- 民主教育の理想と現実=学校の経営・管理をめぐる矛盾史
- スクールリーダーを核に協働を生み出す
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- ウエットな空気をウォームに変える道
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- 民主教育の理想と現実=日教組が提示した矛盾史
- かつての日教組教研のスター山下国幸氏の実践を再度検証する
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- もし“総抵抗”路線でなかったら
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- 「権力なき国家」を目ざす民主教育の理想と現実
- 国語教育に影を落とす「権力なき国家」論
- 民間教育研究運動の光と影
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- 「内心」を蹂躙する国語の授業がなくなっていない
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- 算数・数学教育に影を落とす「権力なき国家」論
- 問題解決指導の光と影
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- 「習熟度別授業」はよい教育なのか?
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- 社会科教育に影を落とす「権力なき国家」論
- 国家主権の中核、領土・領海を教える意味と今年について
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- 判断先送り「国家」と「判断力」軽視社会科
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- 理科教育に影を落とす「権力なき国家」論
- 授業における「教師主体」の復権を
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- 再び輝く未来を招来する理科教育に
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- 道徳教育に影を落とす「権力なき国家」論
- ふるさとソーシャル・キャピタル
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- 教室の道徳教育は、授業力という権威の上で実現する
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- 学級経営教育に影を落とす「権力なき国家」論
- 教師内の権威のあり方に三類型
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- リーダーシップ論なき教育論の幻想
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- 民主教育の理想と現実=戦後教育のリーダーの果たした役割
- 上田薫の教育哲学―逃げない、割り切らない
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- リーダー不在の戦後教育
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- ファシリテーターとしてのリーダー教師たち
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- 「教えて考えさせる授業」をめぐって (第10回)
- 各教科・各校種での「教えて考えさせる授業」
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- 若い教師への期待 (第10回)
- これぞ、ザ・教師の報告である
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- 教師の読み書き (第10回)
- 語用論が必要だ 1
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- TOSS流・学校づくり論 (第10回)
- 調布大塚小学校の教育課程の編成(4)
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- 〜生活指導計画(上)〜
- 「公意識教育」のあり方を問う (第10回)
- 「公意識教育」の争点(その3)
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- 〜シティズンシップ教育とどう違うのか〜
- 編集後記
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編集後記
「すずめの 学校の 先生は ムチを振り振り チイパッパ」
有名な童謡「すずめの学校」は、戦前の軍国主義教育の象徴としてよく引き合いに出されます。一方、
「だれが 生徒か 先生か」
のフレーズが有名な「めだかの学校」は戦後民主主義を物語るということでしょうか。このフレーズ、二回繰り返されています。
ちなみに、「すずめの学校」は清水かつら(明治三一年〜昭和二六年)が戦前作詞し、「めだかの学校」は茶本滋が昭和二五年に作詞したものだそうです。
昭和二五年といえば、軍国主義への反省の色濃い時代を反映していると言えるとは思いますが、ここには、
〈教室に、権力支配者は存在しないぞ、存在させないぞー〉
という時代の空気を感じることが出来るように思います。
ことほど左様にといっては、おおざっぱ過ぎるのでしょうが、集団のサイズは問わない形で、
〈どんな組織も、構成員はみな平等〉
という理念が教育界のコモンセンスとなっていたと思えます。
教室実践の指針?が、どちらが先生か生徒か?という状況は、形を変えてヒーローをつくらない実践として、運動会での勝ち負け曖昧な状況とか、リーダー不在を善とする状況を、結果としては生み出していると思います。
一方、「国の決定を俟つ」という姿勢そのものは、逆に増大している側面もあるように思います。
たとえば、大学入試センター試験とか、学校制度改革への動き、はたまた、検定制度があるにも関わらず、内容を取り締まれみたいな言説があることなど、政府の権限の拡大を念願しているともいえる状況も増大しているように思えます。
急に話が飛びますが、
オバマ大統領の債務不履行事態の危機回避が、ケインズ主義的な、「大きな政府」路線を転換させるのではないか?という意見があります。
ギリシャやアイルランドなど「大きな政府」システムが崩れつつあるわけですから、ある意味、世界の潮流ともいえるようにも思います。教育も当然、こういう問題と切り離せないと思いますので、今後の世界の趨勢を見据えた論考をご示唆いただきました。
(樋口 雅子)
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