- まえがき
- /ラウンシュブルグ・イエネー博士
- 第一章 遊びの条件と一般的特徴
- @ 遊びの人格的条件
- 1 保母にとって保母とは
- 2 子どもを知ること
- A 遊びの一般的特徴
- B 遊びの客観的条件
- 1 遊びの時間
- 2 適切な空間
- 3 遊具と道具
- 第二章 遊びの種類
- @ 練習遊び
- A 構造遊び
- B 工作遊び
- C 役割遊び
- 1 役割遊びの独自性と名称
- 2 役割遊びの動機、教育的機能
- 3 役割遊びの形成と発展の段階
- 4 それぞれのテーマの役割遊びにおける保母の課題
- a)家族
- b)医者
- c)交通
- d)役割遊びと保育園
- e)テレビの影響
- 5 一つの提案
- 6 絶対に介入が必要な時
- 7 役割遊びの計画と保母が始める遊び方
- D 教授的遊び
- E ルール遊び
- F 戸外での遊び
- G 遊びの中でも、それ以外でもある問題
- 1 じゃまする子ども
- 2 「告げ口」について
- 3 ポケットの中のおもちゃ
- 第三章 いくつかの原則的考えと実際的助言
- @ 集団教育―個人的接し方―社会化と遊び
- A 労働教育と遊び
- B 家での遊びをどう助けるか
- C 遊びの中で、子どもを知ること
- D 遊びの計画
- 訳者のことば
- /羽仁 協子
訳者のことば
人間の一生を決定する上での乳幼児期の発達の重大な役割について,日本でも,識者たちの側から母親に向けて,あるいは幼稚園の先生,保育園の保母に向けて,さまざまの情報やデータが提供され,当事者たちの責任の大きさを訴えるようになってから,もうかなりの年月がたっているように思います.
それは,現在では,子育ての大切さ,家庭のゆきとどいた子育ての責任といったような合コトバになって,世の中にとびかっている,といっても過言ではないでしょう.
子育てとはいったい何を指すのか? また,子育ての責任のなかみは,だれにとって,どれくらいの課題を意味するのか? 少しも明らかにされず,ただただ,その不在・欠如だけが恐ろしいこととして,一般の母親や家庭や乳幼児教育にたずさわるものの上に印象づけられているのが現状ではないでしょうか?
かと思うと,今の子どもたちは遊べなくなっている,これも親の責任だ,子どもはなるべく外に連れ出し,いろいろな場で他の子とまじり合う機会をもたせなくてはいけない.そこにまた,さまざまの子ども集めの商才やら,パターン化した遊びコーナー,遊び教室,遊び会がはびこり,何もかもどっちつかずのまま,けっきょく,自分から何の手もない親や乳幼児教育の現場の人たちは,周囲がしていることにはずれないのが最も無難な道である,という,「人間の一生を左右するような乳幼児期の育ちの大切さ」という社会的自覚が,それほどまだ深刻でなかった15〜20年前と同程度にしか,乳幼児期の発達の真の中味をみつめていない,といえましょう.
遊び,遊びといいながら,大人が遊ばせていれば,それは,もう,子どもにとって即遊びなのだ,と思っている大人のなんと多いことか.だから逆に,ほんとうに遊べていない状態からきている,少し大きい子どもたち,小学生たちの問題にぶつかっても,それが大人たちの遊びについての真剣な探究心をゆさぶってはいきません.
この本がハンガリーで出版されたのは,もう,5年も前のことですが,今,私たちが,もういちど,子どもの発達に大切だといわれる遊びとは何なのか? そして,それはなぜか? そして子どもたちの将来にどう影響するのか? 慎重に考え直してみるために好適な手引書であると信じます.きわめて実際的であることも,この本の大きな特徴です.
日本の社会にとって,遊びこそがせまき門(ほんとうにごく一部の子どもしか真の意味で遊びに入りこんでもいないし,また卒業してもいない,という意味です.)となっていることに多くの方々に気付いていただけたら幸せです.
ほん訳にご協力いただいた方々にこの場をかりて感謝の意を表します.
1987年5月 /羽仁 協子
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- 明治図書