- プロローグ 今,読書はなぜ「人間学」か
- T 「たかが一冊,されど一冊」
- ―その一冊が時代を動かす
- 1 ロングセラー『君たちは偉大だ』,20年目の奇跡
- 2 今,なぜ『君たちは偉大だ』が静かなブームか
- 3 『君たちは偉大だ』誕生の逸話
- 4 『君たちは偉大だ』は,なぜロングセラーになったか
- U <本>を読むことが,ますます必要な時代
- 1 今,なぜ「活字ばなれ」で「マンガブーム」か
- 2 「左脳」と「右脳」は恋人同士
- 3 「ブック脳」と「マンガ脳」
- 4 「活字ばなれ」と「マンガブーム」のなかみ
- (1) 時代の大転換期を告げる
- (2) 「本(活字)ばなれ」と「自己変革」
- 5 <本>を読むことがますます必要な時代
- V <本>の真の価値(値打)
- 1 <本>を読まない最大の理由
- 2 <本>とは何か,を知るための二つのポイント
- 3 <本>との対話──その背後にあるもの
- 4 <本>は宝物──英知の集合体
- W <本>も生き物
- 1 <本>にも一生がある
- 2 <本>も「生き物」
- 3 <本>との「出会い」の“重み”
- X <本>の偉大な力の生かし方
- 1 <本>は「精神(こころ)」の栄養源
- 2 <本>は貴重な情報源
- 3 <本>は偉大は師──「座右の書」を持つ
- 4 <本>は「自己実現」の原動力
- (1) 「おとぎ話」と「夢の実現」
- (2) シュリーマンに学ぶ「夢の実現」
- (3) 龍馬に学ぶ「自己変革」
- 5 <本>は人材づくりの原動力
- (1) 胎児期,幼児期における「読み聞かせ」
- (2) 「素読」,「朗読」の効用
- (3) 学校における「朝の読書」と「朗読方式」の実践
- Y 21世紀は<本>とともに歩む「人間学」の時代
プロローグ
今,読書はなぜ「人間学」か
私は仕事柄,<本>を書く立場からも,読む立場からも<本>とは縁の深い人間です。したがって<本>に対する関心も当然高く,さまざまな角度から折にふれ<本>というモノについて考えたり考えさせられることが多いのもまた確かです。
そういう立場から,私は今,どうしても<本>について書かざるを得ない思いにかられているわけです。もちろん個人的な目的からではなく,社会的見地に立って<本>の真価や本来の機能を存分に発揮させることが目的であることはいうまでもありません。
その根拠の一つは,私に直接関わる<本>,すなわち私の著書の中の一冊が,私に向かって様々な表現を以って,<本>の<本>たる所以(ゆえん)とは何かを世の多くの人々に知らせ,もっと<本>に親しみ,積極的に活用するように働きかけよと,盛んにアッピールし続けていることです。
「今,<本>を読むことが必要な理由はたくさんあっても,<本>を読まなくてもよい理由はどこにも見当たらない。むしろ,これからは<本>を読むことがますます必要な時代である。<本>を読まないのは,今は<本>ではなく「マンガ」や「映像」の時代という,とんでもない思い違いをしているからで,それも元はといえば,<本>の凄み,<本>の偉大さ、<本>の真価を知らないことにある。だから,このことを正すことが急務である。<本>を書く立場にあるなら,大至急書いて世人に知らしめよ!」
つまり,人間の側からではなく,<本>の側に立って<本>を見直すことが欠如していたことが,<本>を軽視してきた元凶であるといっているわけです。もちろん<本>は人間のように言葉でそういっていたわけではなく,さまざまな事象を生起させるというかたちで意思を伝達しているということです。
もう一つの根拠は,私の前著『今,教育は「人間学」』(明治図書)で詳しく述べましたように,21世紀は「人間学」の時代であり,人間学の修得には読書が不可欠であることです。これからは読書がますます必要となるという理由もそこにあります。しかるに,今なお「本ばなれ」などという,時代に逆行したことが横行しています。これをただちに阻止し,是正せよ,とその一冊の本はアッピールしているのです。
その一冊の本とは,1980年発刊の『君たちは偉大だ』(偕成社)という「人間学」の基本をうたった児童書です。出版に至った経緯については本文にゆずりますが,奇跡的に出た<本>であることだけは確かです。この本は,時代の波濤にもたじろぐことなく,細々ではありましたが子どもから大人まで幅広く読み継がれながら着実に生きつづけ,20年たった現在もロングセラーを継続中(33刷目に入る)という,この類の<本>としては誠に異例の<本>だといわれています。
それだけではありません。さらにこの<本>は今,20年目を期していたかのように一大奇跡を起こしているのです。一冊の児童書が,この国の教育改革を先導するという大役を果たしているのがそれです。
もう一つは,<本>とは何か,を再認識する材料を提供していることです。つまり,この<本>の本領が,この21世紀という大変革期の到来を待っていたかのように発揮されつつあるということです。
ご存知のように,<本>は毎日洪水のように数多く出版されています。しかし,その大半は2ヶ月と持たずに店頭から姿を消しています。仮にベストセラーとなって脚光浴びた<本>でもしばらく立つと売れ行きも尻すぼみになっていくのが普通です。この<本>のように,20年間もロングセラーを継続した後に,一躍脚光を浴びる(本領を発揮する)というような<本>はきわめて稀なケースです。
実は,今この『君たちは偉大だ』の<本>が,公立,私立を問わず学校ぐるみで正規の授業(国語や道徳などの時間)を使って朗読方式による学習を行う学校が出始め,生徒たち全員の感想文が私の所に,すでに数校から寄せられているのです。これは私のほうから頼んでやってもらったものではなく,私の知らないところで自然発生的に起こっている,いわば時代の力が生み出しているというべき現象なのです。
その典型は,群馬県の高崎市立片岡中学校における一連の実践例です。これは今日のような大変革期だからこそ起こり得た象徴的な出来事であり,真の教育改革の在り方を明示した一大快挙だと私は思っています。
これによって,今の子どもたちがいかに「人間学」の基本を心底求めているかが明白となったばかりか,学校教育の場で「人間学」の基本を修得する画期的な方式(手本)まで提供してくれたからです。(『今,教育は「人間学」』で詳述)
この方式を私は「片岡方式」と命名させていただきましたが,それを実践された新井国彦先生(国語担当)は,この方式についてこう述べています。
「このたび,片岡中学校2年(155名)4クラスで『君たちは偉大だ』を読ませていただきました。小生の国語の授業時間を調整し,4時間ほど朗読しました。
早口で読みましたが,生徒一人ひとりの手元に本を配ってありましたので予想以上に受け止め方が良かったようです。学力的にあまり高くない本校2年生が,これだけ感じることがあったのは驚きでもありましたし,とてもうれしくも思いました。読み進めるに従い,生徒たちが内容に引き込まれるのが手に取るようにわかりました。子どもたちの一番知りたいことをわかりやすく示してくださっているおかげだと思います。生きていくうえでの根本的なものの見方,考え方をお知らせていただいたことにあらためて感謝いたします」
それからしばらくして,その新井先生から,今度は同じ生徒たちによる拙著『君たちは受験生』(偕成社刊,受験をテーマにした人間学読本)についての読書感想文集が届きました。今回は生徒たちの方から自発的に提案し,その強い要望に応えて実施したということでした。
この二つの感想文集から分かることは,今の子どもたちは,皆,人間としてどう生きたら良いかを,真剣に考え,精神的支柱となるものを求めているということです。したがって,正しい人生観や人間学の基本を適切な方法で教えてやれば,彼らは真剣に学び大事なことは必ず吸収するということです。
このように自著ではありますが,長年下積みを重ねながら生きつづけてきた一冊の児童書が,この国の教育改革の先頭に立って時代を動かしていくという現実が確かにここにはあるのです。その中心は「読書」と「人間学」の関連とその重要性の指摘です。
そればかりではありません。<本>には「生命体」「宝物」「最高の師」といった高価で偉大な側面があるのです。それらの真髄に触れ,修得し,活用すれば,どれほど充実した人生が約束されるか計り知れないのです。
ですから,そのことを知れば,<本>を読まずにはいられないのが普通です。事実生徒たちが感想文の中で異口同音にそういう気持ちを率直に述べてくれています。
そこで<本>について原点に立ち戻り,広い視野からトータルに捉え,<本>の偉大さと活用法について考察してみたという次第です。
この本が,前著『今,教育は「人間学」』とともに,この国の教育改革の促進ならびに人材育成の素地づくり,ひいては明るい健全な社会の実現のために,少しでも貢献できれば望外の喜びです。
なお,本書の出版に当たり少なからずご助力をたまわった明治図書出版編集部の石塚嘉典氏に,厚くお礼申し上げます。
2002年10月 /百瀬 昭次
-
- 明治図書