宇佐美寛・問題意識集10
自分にとって学校はなぜ要るのか

宇佐美寛・問題意識集10自分にとって学校はなぜ要るのか

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教育界の巨人宇佐美寛 教育界を牽引し続けた40年の歴史

学校を疑う、学校の意義と限界、雪片現象における「基礎・基本」読書好きにするのこそ良い教育なのだ、「人間像」批判、「エネルギー」論、徳目と人間像、徳目の実体化批判


復刊時予価: 2,904円(税込)

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電子書籍版: なし

ISBN:
4-18-904318-4
ジャンル:
授業全般
刊行:
対象:
小・中
仕様:
A5判 208頁
状態:
絶版
出荷:
復刊次第

目次

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『宇佐美寛・問題意識集』全巻のための序
『第10巻 自分にとって学校はなぜ要るのか』のための序
1 本音
2 読書好きにするのこそが良い教育なのだ
3 学校を疑う
4 学校の意義と限界
5 店雪片点現象における「基礎・基本」
6 不自然な観念の世界が要る
7 つまみぐいとスローガンの「改革」を排す
――「小学校から英語を」を例にして――
8 志
9 「簡単に自殺する」論
10 「人間像」批判 研究討議 教育の目指す人間像の条件
――現実感覚充足の手がかりを求めて
11 「エネルギー」論
――擬似記述語による道徳的評価
12 自己(self)論の必要性
13 共感の論理構造
14 徳目と人間像
15 ユーモア
16 徳目の実体化 4
17 資料と思考 1
18 資料と思考 2
19 資料と思考 3

『宇佐美寛・問題意識集』全巻のための序

 自分自身の強い問題意識が無ければ、研究は始まらない。また、自分の問題意識に忠実でなければ、研究は持続しない。

 問題意識とは、研究の現状では納得しない意識である。今の学界の現状に不満であり、「おかしい、黙っていられない。」と思う意識である。もし、今のままでいいのなら、なぜ研究し結果を発表する必要が有るのか。今までの理論を学び、それに従っていればいいではないか。しかし、もちろん、それは研究ではない。他者が既に示している理論を学び、それに従っているのは、研究ではない。だから、文章を書く必要も無い。

 研究し文章を書くのは、それが他者の主張とは異なるからである。他者の理論と同じことなら、なぜ活字にしてひとに読ませる必要が有るのか。

 だから、問題意識を持って研究をするのは、必ず既成の理論と対立する点を持っている仕事だからなのである。つまり、何かを批判しているのである。

 「研究」の名に値する研究は、必ず何かの批判になっている。(何ものとも対立しない主張などという無意義なものをなぜ活字にするのか。)

 だから、「問題意識・批判」と、両者一体の形で書く方が正確である。しかし、それでは長すぎて面倒なので、以下、大体は「問題意識」とだけ書くことにする。

 私は、四十年ほどの間、この「問題意識・批判」の仕事をつづけてきた。しかし、私が公にした文章は、教育学界・教育界から十分に正当な扱いを受けてはこなかった。ときに批判の相手は、全然無関係・無意味なことを言いたてて、はぐらかした。また、ときには、私の批判があたかも存在しなかったかのように、何も変らない無反省な言説がその後も横行していた。あるいは、「先生のおっしゃることは、よくわかります。ごもっともです。」といったような社交辞令的挨拶の文章・言辞で受け流し、全然こたえている様子も無く、あい変らずの誤りをつづけていた。(例えば、この著作集に収めた私の「出口」論争関係の文章、また教育哲学界批判の文章等を読んだ上で、批判された当事者がどんな態度をとったか見ていただきたい。)

 やはり、このへんで、四十年間に書いた文章を整理・組織しておきたい。私が何を問題だと思い、何を批判していたのかを明確に見えやすい形にしておきたい。

 これは一応の軽い中締めである。

 「中締め」……「宴会などの途中で一区切りをつけ、手締めなどをすること。」(『大辞林・第二版』)

 手締めは威勢よくやってもいい。しかし、まだ宴会は続ける。二次会、三次会もやりたい。まだ黙るわけにはいかない。

 右の「整理・組織」とは何か。

 私の著書・論文は、読もうとすれば、図書館も有るのだから、今のままでもなんとか読める。今までに出した著書・論文をそのまま再び出すというだけでは、私には不満が残る。それは単なる「集積」であって、「整理・組織」ではない。この機会に、それらを書こうとした私の問題意識が顕在化し見えやすくなる形にしたい。問題ごとに分類し問題別に巻を割りふりたい。もと一冊であったものも、問題に応じて分割し、他の本の同類の問題に関わっている部分と組み合わせたい。

 逆に言うと、個々の著書一冊の統一された構造をあえて解体する。個々の著書がなぜそのような構造をとったのかという歴史的背景は、あえて無視する。

 つまり、いろいろな著書・論文のいろいろな部分を組み合わせなおして新たな意味づけをするのである。この再構造化によって、私がこの四十年間持ってきた問題意識を明確にし見えやすくしたい。

 四十年間には、私の思考も進歩する。だから、若い頃の著書・論文を今の頭で読みなおすと、不適切な箇所が見える。そのような箇所を改めるべきかどうかは、難しい問題である。

 いろいろ考えたが、改めたい気持ちを出来るだけ禁欲して、原則としてそのままにしておくように努めた。問題意識の発生・持続を見ていただきたいからである。読者の解釈を尊重するのだから、解釈される文章はなるべく公表時のままの形にしておきたい。

 特に二十代に書いた論文はいわゆる「若書き」であり、生硬・稚拙な文章である。しかし、(学問上のことなので、てれることなく言うのだが)自分の主張は明らかな論文である。新しい理論を自力で作ることを中心に置いた論文である。現今の、外国の研究者のまね、外国の思想の輸入を業績だと勘ちがいしているような「研究者」の「論文」とは構造がまったく違う。研究とは今までだれも言わなかったことを自分の責任で主張するものだという原理は貫かれている。

 ただ、何らかの説明・注釈を添えないと誤解を生ずるような書き物も有る。そのような場合には、「補説」という短い文章を附することにした。

 結局、量で言えば、今まで活字にした文章の三分の二くらいをこの著作集に収めたことになる。

 この数年、私の主張に対する反論の論文がいろいろ書かれている。例えば、〈ディベート〉に関してである。また、〈モラル・ジレンマ〉に関してであり、大西忠治氏の説明的文章の指導方法に関してである。いったんは、「これらの反論に対して、この著作集の中の新たに書き加える部分で私の意見を書こうか。」とも考えた。しかし、他日の機会にゆずることにした。「読者は、そのような反論については、私が今まで書いた文章に基づいて判断する。その判断にゆだねればいい。」と思った。

 理由は次のとおりである。

一、今までに書いた文章を単に「整理・組織」するだけでも、相当な労力、緊張した目配りが要る。論争的関係を意識して新たに書き加える時間・エネルギーの余裕は無い。

二、他方、私には、まだしばらくはそのような論争的関係の文章を書く体力・気力は有りそうである。じっくり落ちついて書きたい。落ちつかないと、私に反論してくださった方がたにも失礼である。

三、この著作集は『宇佐美寛・問題意識集』である。宇佐美が持った問題意識が何でありどんな可能性が有るのかを読者に理解してもらうのが先である。問題の解き方については、多くの読者が多様な答えを出すであろう。それをじっくり待ちたい。この著作集では、問題を見えやすくすればいいのである。

 この著作集が成ったのは、私にとって長年の「戦友」である明治図書の江部満氏の暖かく入念な御配慮による。江部氏に心より御礼申し上げる。


  二〇〇三年一月   /宇佐美 寛

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      明治図書
    • 宇佐美氏の著作が絶版で読めないとか、あり得ないと思います。
      ふつうに増刷かけてほしいです。
      ……っていうか、なんで復刊投票がこんなに過疎ってるの?
      たのむで、しかし……。
      2020/8/1チン☆テクラ
    • 宇佐美寛先生の「読書好きにするのこそが良い教育なのだ」や、藤原正彦先生の「一に国語、二に国語、三、四がなくて五に算数、あとは十以下」(『文藝春秋』2003年3月号)など、わたしはそれらの言葉に確信が持てないでいたのですが、この本のおかげでよく分りました。特に「学校の意義と限界」は面白く読むことができましたし(宇佐美先生の少年時代の挿話が紹介されている。)、努力の<方法>がどのようなものかを知ることができて有益でした。

       わたしは、国語、算数、理科、社会、音楽、図工、家庭、体育、道徳、(現在は「総合」も追加。)そのほかにも合唱会、球技会、持久走大会、陸上競技会、運動会、吹奏楽部、放送委員会、(+宿題)山のようにやりました。それだけやりながら自分が賢くならないのはなぜだろうと、そういうつまらないことで悩んだ時期もありました。どうして自分には湯川秀樹や朝永振一郎と同じようなモチベーションがないのだろうかと……。なんのことはない。本を多量に読まなかったのがそもそもの原因でした。

       これだけ面白く読めたのも、最近では『フロイト先生のウソ』(文春文庫)や海老沢泰久『暗黙のルール』(新潮社)以来です。それらの本でさえ、言葉−事実、言葉−経験の関係を宇佐美先生の本で学んだからこそ、たのしく読めたのだと思っています。論理的な庇護をうけられる「場所」がここにあるのだということが、とても心強く思います。「問題意識集」シリーズはまだまだつづくのでしょうか。楽しみにしています。
      2003/2/26東洲斎写楽

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