- はじめに
- 1章 EAMA道徳の理論とアイデア
- これが「EAMA道徳」の授業だ!その1
- ―「EAMA道徳」の出発点
- 「マテマテ君」「シメシメ君」「ナイナイ君」「モヤモヤ君」の対話のいじめの授業
- EAMAの人間観 人のこころはいくつものパーツの寄せ集め
- いじめの傍観者の中にある 「シメシメ君」「マテマテ君」「ナイナイ君」
- 「ナイナイ君」こそ,道徳教育最大の敵!「人格の向上」や「社会の改善」を阻むもの
- 「モヤモヤ君」の声を聞く―道徳教育の要
- 「EAMA道徳」によるいじめの脱傍観者授業のポイント
- 教材「シメシメ君」「マテマテ君」「ナイナイ君」「モヤモヤ君」
- ワークシートに「かずきさんの中の,こころのパーツ」を記入する
- こころのパーツに「ネーミングする」
- デモンストレーション(お手本)
- 4人1組で「シメシメ君」「マテマテ君」「ナイナイ君」「モヤモヤ君」の対話
- 学級全員で「シメシメ君」「マテマテ君」「ナイナイ君」「モヤモヤ君」の対話
- 子どもたちの日常生活で話題に!
- これが「EAMA道徳」の授業だ!その2
- 自分の弱さを克服する「EAMA道徳」の授業
- エイミーの中の「5つの私」
- 登場人物の「こころの声」が明記されていない教材での「EAMA道徳」
- 「EAMA道徳」に適した教材
- 「EAMA」は,国語の授業でも使える!
- 「EAMA道徳」の優れているところ
- 「EAMA道徳」の目指すもの
- 従来の「エンカウンターで道徳」より優れている点
- 人のこころは,さまざまな「パーツ」ないし「ポジション」からなっている
- ―「EAMA道徳」の基礎理論 その1
- メァーンズ「コンフィギュレーションズ・オブ・セルフ」
- フォーカシング「フェルトセンス」「クライアントのクライアント」
- プロセス指向心理学
- ハーマンス「対話する自己」
- 「対話する自己」のワーク
- 新しいエンカウンター EAMAエンカウンターとは?
- ―「EAMA道徳」の基礎理論 その2
- 4人グループでのEAMAエンカウンターの実際
- EAMAの主要技法「なりきり」と「映し出し」
- 3つのエンカウンターとEAMAエンカウンター
- 2つのエンカウンターに対して生まれてきた違和感
- EAMAエンカウンターのグループセッションの実際
- 学級でのEAMAエンカウンターの手順
- 2章 EAMA道徳の授業
- EAMAの授業 ここが面白い
- EAMAの授業
- 道徳授業の流れ
- 思考のステップ
- EAMAの授業の感想
- 事例1 EAMAでいじめを考える@
- 教材:どうすればいいんだ
- 学年:小学校高学年
- 内容項目:C−(13)公正,公平,社会正義
- 事例2 EAMAで人とのつながりを考える
- 教材:銀のしょく台
- 学年:小学校高学年
- 内容項目:B−(11)相互理解,寛容
- 事例3 EAMAでいじめを考えるA
- 教材:かずきの気持ち
- 学年:中学校
- 内容項目:C−(11)公正,公平,社会正義
- 事例4 EAMAで人としての生き方について考える
- 教材:本当の私
- 学年:中学校
- 内容項目:D−(22)よりよく生きる喜び
- 事例5 EAMAでよりよく生きることについて考える
- 教材:いつわりのバイオリン
- 学年:中学校
- 内容項目:D−(22)よりよく生きる喜び
- 資料
はじめに
本書は,EAMAという新しい方法による道徳授業,略して「EAMA道徳」の理論と方法を紹介するものです。
「EAMA道徳」は,すごく魅力的です。
体験的な学習を主にするので,子どもたちがイキイキと楽しく学べます。また同時に,大きな変容を見せます。それは,この方法が,読み物の登場人物への「体験的な,なりきり」をおこなうアプローチだからです。
「EAMA道徳」は,これまでの道徳授業とのつながりを保ちながら,まったく新しい点もあります。
「EAMA道徳」の最大の特徴は,1人の登場人物の中のさまざまな気持ちに「本気でなりきる」点にあります。
「僕はこう思う」「私はこう思う」という「自分」をいったん空っぽにして,徹底的に「登場人物の気持ちに,本気でなりきり」演じます。
そうすることで「登場人物の内面との真の出会い」,また,その登場人物のこころの動きを通して表現されている「価値との出会い」が可能になるからです。
まず,「私は」「僕は」という「自分」を空っぽにする。そして登場人物のさまざまな気持ちに「なりきり」ます。しかも,座学を通して知的に理解するのではなく,ロールプレイを通して,その登場人物のさまざまな気持ちに実際に,「体験的に」なりきるのです。そうしてはじめて,子どもたちは,登場人物のこころの動きを「我がことのように」体験的に理解することができます。
この「体験的な,なりきり」にこそ,「EAMA道徳」の最大の特徴はあります。
「EAMA道徳」が得意とするのは,より高みを目指すこころの動き,弱気に流れるこころの動き,自分をごまかそうとするこころの動き,といった1人の登場人物の中に,「さまざまなこころの動き」が見て取れる読み物を扱う授業です。
たとえば,いじめの傍観者を扱う場合,1人の傍観者の中には,「いじめられているのを見て楽しむ気持ち」(シメシメ君),「いじめはよくないという気持ち」(マテマテ君),「自分がいじめているわけではない。ぼくは関係ないという気持ち」(ナイナイ君),「でも,クラスの中で,いつもいじめが起きているのは,なんか,やっぱりよくないよなー。このままじゃよくないなぁという気持ち」(モヤモヤ君)の4つの気持ち,4つのこころの立場があります。
この4つのこころの立場それぞれに,クラスの子ども全員が「なりきり」ます。自分を空っぽにして,この4つのこころの立場に「なりきる」ことを通じて,子どもは,自分の中にどの「こころのパーツ」もあることを実感します。そして,もっとも俯瞰的な立場である「モヤモヤ君」の立場から,ものを考えることができるようになります。
教師から誘導されてそうなるのではありません。
4つのこころの立場に「なりきって」本気で演じることを通して,自然とそうしたこころの動き,変容が起きてくるのです。
「マテマテ君」や「ナイナイ君」「モヤモヤ君」になりきって,楽しく演じているうちに,自然と,もっとも高い位置にある「モヤモヤ君」の立場から子どもたちは,ものを考えることができるようになります。そういう建付け,仕組みが「EAMA道徳」の中には,組み込まれているのです。
私が,道徳教育にずっとかかわってきたのは,日本人のこころに「こころの垂直軸」を確立したい,それが日本人にとってどうしても必要だ,という思いが強くあったからです。「こころの垂直軸」は,「高い精神性の発動」によって生まれます。「高い精神性に向かうこころのタネ」は,誰のこころにもあり,日常生活の中では,多くの場合,今の自分に対する「違和感」―「自分は,このままでは,いけないのではないか」という身体的な実感―として現れます。先の例でいうと「モヤモヤ君」です。自分の中の「モヤモヤ」を感じて立ち止まり,そこにとどまってものを考えることから,私たちの中に眠っている「高い精神性に向かうこころのタネ」は発動し,活性化してきます。「自分のこころの中のもっとも気高い部分」に立ってものを考えることができるようになります。それによって「こころの垂直軸」が確立していくのです。
筑波大学の大学院生のころから,私はもう40年近く,道徳授業の新しいアプローチについて研究し提言してきました。「EAMA道徳」はその最終到達地点,最高傑作と言ってよいものになりました。
いかがでしょうか。
「EAMA道徳」の面白さが少しは,伝わったでしょうか。
新しい道徳授業のアプローチである「EAMA道徳」。
これをあなたの道徳の授業方法のレパートリーにぜひ加えてください。
ある小学校では,授業の翌日から,子どもたちの間で「えっと,マテマテ君がさぁ」「でも,シメシメ君が」「ナイナイ君が」「ぼくの中のモヤモヤ君が……」という話題でもちきりになりました。
「EAMA道徳」をおこなうと,学級がイキイキとしてきて,道徳授業をおこなうことがますます面白くなってくること,間違いなしです!
明治大学教授 /諸富 祥彦
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