- はじめに
- 第1章 宗教教育+平和
- 1 玉虫色の「平和」たち
- 日本は「平和」?/ 見えにくい「平和」/ 「武力による平和」と「武力なき平和」/ 「平和」であることの難しさ/ 「戦争反対」と言うばかりでは思考停止?/ だけど、やはり「戦争反対」/ 神や仏に捧げるもの/ 徒歩巡礼/ 「平和」を祈るうた/ 学校は「平和」じゃない
- 2 被害と加害
- 「一二月八日」と「国民皆兵」/ 名古屋の空襲/ 戦争を掻い潜った生徒・学生/ 戦争を跨いだ教師/ 八月六日のヒロシマ/ 八月一五日の靖国神社/ 映画『靖国 YASUKUNI』/ 「社会総がかり」という圧力/ 中央と地方/ 女は女だから「平和」か?/ 「ぜいたくは素敵だ!」
- 3 経済戦争時代の危機感
- カネと宗教/ 「宗教ではありません」という宗教的なもの/ カネと宗教と政治/ 高速化の功罪
- 第2章 宗教教育+道徳
- 1 学校の神サマ
- 宗教と道徳の距離/ 国家神道は宗教にあらず/ 聖職者としての教師たち/ 崩れゆく聖職者教師像/ 虎の威を借る狐/ 自ら「先生」と呼ぶこと/ 聖職者教師よ「専門」に逃げ込むなかれ/ 創立者という神サマ/ 宗教系の学校/ 良心の自由?信教の自由?
- 2 現実逃避の新たな宗教
- ディズニーワールドという新たな宗教/ スピリチュアルな世界/ じわじわと殺される動物的な感覚/ テレビから流される宗教的なもの/ 授業の展開
- 3 心の評価
- 『心のノート』はどうしたのか/ 宗教的道徳国家を夢想する動き/ 評価の時代/ 評価のあり方/ ベテラン教師がダメなわけ/ 無力感に苛まれる教師たち
- 第3章 宗教教育+愛国心
- 1 誰の将来のため?
- 子どもに対する果てなき要求/ 「愛国心」の定義/ 愛国心はいつも「上」から/ 法律を守らない教師たち曰く「カワイイから殴る」/ 身体を鍛えるということ
- 2 「日の丸」と「君が代」
- 当たり前の「日の丸」と「君が代」/ 国旗・国歌という踏み絵/ 文化やスポーツのなかの「日の丸」と「君が代」/ 先行き不安定な教師たち
- 3 愛国心教育の足音
- 骨抜きの郷土教育/ 本音と建て前/ ボランティア活動の必須化?/ 裁判員制度とは?/ 死の境界線「脳死はひとの死」/ 死に急ぐ若者たち/ 死の観光地・知覧/ 「ありがとう」死んでくれて?/ 「軍神」の声/ 「軍神」以前のエリートたち/ 死ぬことを肯定する教育
- 終章 氾濫する宗教社会のなかで
- 1 宗教教育の行方
- 宗教教育には近づかない方が賢明か/ 宗教教育を取り巻く道徳や愛国心/ 宗教教育が見えにくいことにある落とし穴
- 2 部活動だから出来ること
- 正課授業と部活動/ 運動系と文化系/ 間違ったことの言える時間であること/ 「KY」では生きられない?/ 部活動としての宗教教育
- 3 宗教教育の可能性
- 誰が 「道徳教育推進教師」か/ ほどよい鈍感さと敏感さを持つ教師
- あとがき
- 参考文献
- 宗教教育に関連する年表
はじめに
二〇〇六(平成一八)年に制定された新しい「教育基本法」を反映し、今般、中学校の第七次改訂「学習指導要領」(戦後、七回目の改訂)では、長らく教育界にとってタブーのひとつであった宗教教育が、私立学校ばかりでなく、公立学校に於いても厚みを増して行われることになった。
宗教教育を禁じたのは、古くは一八九九(明治三二)年に遡り、「文部省訓令第十二号」による。ここでは公私を問わず禁止された。だが、言うまでもなく、当時は天皇という神が鎮座していたわけであり、天皇を絶対神に仕立てあげるべく、天皇以外の神は認めないという意味を込めた鍵カッコ付きの訓令であったといえよう。それが改められるのは一五年戦争、取り分け太平洋戦争による敗戦を待ってのこととなる。「天皇は神ではなかった」と、コロッとその身分の転身がなされ、教育界に於いても「日本国憲法」および「教育基本法」を受け、宗教教育は特定の宗派に偏らない限り、寛容にその地位を尊重されることとなった。また、私立学校に於いては各校の建学の精神に沿い、特定の宗派に基づく教育を行うことも可能となった。つまり、天皇が神でなくなったことによって、ブッダやキリストといった従来の神仏はコソコソとする必要はなくなったのである。
このように、敗戦後、宗教教育は法令によってお墨つきを得たわけだが、教育政策の面でも実際の教育現場でも皮肉なことに、それはある意味、戦前期ばかりでなく戦後に於いてもタブーでありつづけた。
敗戦後、教育政策面では、「文部省は一九五〇(昭和二五)年に出した『宗教と社会生活』という五〇頁足らずの冊子を刊行し、一九六一(昭和三六)年に『宗教の定義をめぐる諸問題』をまとめたのを最後にして、教育と『宗教』に関わる議論から『下りて』しまったように見える。(中略)この時から教育と『宗教』の問題は、長い『思考停止』状態」(貝塚、二〇〇六年、二〇二頁)に陥りつづけ、また各教育機関を見渡しても、宗教系(特に伝統宗教)の私立学校とて、積極的に宗教色を展開した教育を行ってきたようには見えない。
なぜ、宗教教育はタブー視されつづけてきたのか。この問題の鍵は、言うまでもなく戦前・戦中の教育と戦後教育の連続性に見出せることだろう。
また、敗戦後、「宗教」を授業のなかでは真正面から取り扱わなかったとしても、学校で繰り広げられる様々な行事等のなかの宗教的なるものは如何に解釈すればいいのか。「宗教」は本当に教育現場から忌み嫌われる存在であったのか。そして、なぜ、今敢えて「学習指導要領」に宗教教育が明記されることになったのか。その意味すること、その浸透は如何なる範囲にまでおよぶものか。
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そもそも「宗教」とは、人類の歩みと隣合わせにあるものであり、世界各国におよぶ地域性に於いても、長い歴史の持つ時間性に於いても、その定義づけからして容易ではない。
例えば、哲学者・ベルクソンは、原始的人類と原始的社会にまで遡り、そこで発生した宗教を「知性の解体力に対する自然の防御的反作用である」(ベルクソン、平山訳、二〇〇六年、一四九頁)という。即ち、ここでは宗教と道徳を同延的であると見做し、「ひとが思考しはじめると直ちに陥る危険に対するひとつの予防策」(前掲書、一五〇頁)と、自らが所属する社会の生存のためだけに生まれた観念や秩序をさすものとした。一方、社会学者・デュルケムは、「宗教とは、聖なるものに関する信念と行事の体系であり、これに帰依する人々を一つの道徳的共同体に結びつけるものである」(デュルケム、古野訳、一九七五年、八六―八七頁)とした。つまり、デュルケムの言う「宗教」とは、社会道徳の核心部分になり得るものと見做されていた。
このように「宗教」とは一概に教義や経典といった枠組みを所有する組織体をさすばかりでなく、その時代時代に即した人びとの畏(おそ)れや願望といったものの表層としての信仰形態をも含むものである。要するに、ベルクソンやデュルケムの定義する「宗教」とは現代社会にも内包され、本来、目に見えない人びとの思いが滾々(こんこん)と湧き出る泉の如く、多種多様なかたちとなって社会の慣習や規範や文化などを形成しているといえよう。
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中学校の第七次改訂「学習指導要領」によれば、宗教教育を直接担当することになるのは、社会科に於いてである。しかし、本書のなかで追々述べていくように、今、教育の現場に改めて宗教教育が介入するということは、中学校の社会科担当教師だけが関与するという類の話ではない。
例えば、学校では教育活動の一環として入学式や卒業式を筆頭に重々しい儀式が未だ繰り返されているが、ここにも宗教的なものは関わってくるし、体罰是正論者の教師、目の前の子どもたちの言動に振り回されている教師にも宗教的なものが関係してくる。
更に、学校と社会の相関関係に視座を拡げると、より一層シビアに学校の体質を見直し、未来の学校像を模索するという意味に於いて、今回、宗教教育が戦後の形骸化を乗り越えて、公私を問わず「学習指導要領」に明記され実施されることは、ひとつのエポックメーキングともいえるのではないか。
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一五年戦争後、教育界が宗教教育に消極的であった理由には、「日本国憲法」第二〇条に定められた政教分離の原則や信教の自由の問題ばかりでなく、教師の戦争責任が曖昧なままに過ぎてしまったことも無関係ではないだろう。また、一部の擬似(ぎじ)・似非(えせ)宗教団体が繰り返す違法行為やそれらを煽情的に取りあげるマスコミ報道のあり方からも「宗教」イコール「恐ろしい」というイメージが膨張し、教育と宗教とを遠ざける一因になってきたと思える。更に、その延長にあるのか、「宗教を他人事のように語り、否定的・消極的な態度をとる国」(崔、一九九九年、一四六頁)という一面もあろう。だが、その一方で、青少年の道徳低下を嘆き、そのための解決策として、あるいは擬似・似非宗教団体から身を守るために宗教教育の必要性を説く風潮もある。
私は宗教教育について肯定的に考える場合、@宗教知識教育、A宗教的情操教育、B宗派教育のうち、断然、@宗教知識教育の立場である。教育学者の貝塚茂樹は言う。「『宗教的情操』教育に議論があるのはある意味で仕方ない。けれども、その議論の混迷のために、宗教知識教育さえもが疎かになり、対宗教安全教育(対カルト教育)、宗教的寛容教育(他宗教への理解教育)にまで目が向けられない状況は許されるべきではない。宗教的に無垢な若者を無防備のまま『カルト』に対峙させることは、教育の責任を否定することに等しいからである」(貝塚、二〇〇六年、二〇四頁)と。同感である。ここであげられているように「対宗教安全教育」や「宗教的寛容教育」の前提には、私は必ずや宗教知識教育は必要不可欠であると思っている。教育を取り巻く議論のなかには、いつも「知識」か「経験(実践)」かといって、経験(実践)こそ大事だ、というひともいるが、それも時と場合による。知識もなく経験(実践)に走られることが、時にどれほど恐ろしい結果を齎すかは、一五年戦争を例にあげるまでもなく、日常の事象を見渡しても明らかなことであろう。取り分け宗教に関しては、知識なくして経験(実践)に走られることは極めて危険である。
私は、宗教知識教育によって、宗教と社会生活が如何に密接な結びつきにあるかを、客観的に思考出来る知性を育みたいと願う。対宗教安全教育や宗教的寛容教育は、学校に於いて宗教知識教育がしっかりと出来ていれば、高度な情報社会の現在では、その都度、自らの必要に応じて獲得出来ていくものである、と思っている。私の描く宗教知識教育の方法については、特定宗派に偏らず諸宗を公平に扱いたいという立場であるが、時間的制約、教材面、教師自身のバックグラウンドなどから公平であることはかなり難しいとも容易に想像がつく。しかし、公平でありたいという意識を強く持って臨みたいと思うものである。
かたや宗教教育を行うことについて、否定的に見るならば、私は現在の学校の価値観では、到底、宗教を教育として扱える器量には達していないと思っている。なぜなら、学校では、まだまだ「良い」子を好み、「悪い」子を排除する体制が罷り通っているからである。それは、教職員に堅気なひとが多いから。(自称「オレも昔は悪かった」という教職員もなかにはいるが、その大半は、つまらない昔語りである。)子どもたちの個々の多様性や価値観を受容していくことは、宗教教育に限らずとも、とても重要であり、それこそ教職員の力量が試される瞬間だろう。だが、かつては優等生を目指したひとたちが多かったせいもあるのか、そういった多様性を解しない教職員が宗教教育を扱うことは危険極まりない。
宗教教育を行う場合、信教の自由や良心の自由といった問題が前提になるわけであるから、そこで性急に優劣をつけたり、色メガネで生徒を見るような悪癖のある教職員はまず生徒をどうこうしようという以前に教職員自身が大きく変わらなければならない。更には、学校が急げ急げの忙(せわ)しない環境下にあるとしたら、知識教育としての宗教教育には不向きである。のんびりと構え、じっくりと考えることの出来ない教職員が宗教教育を扱うことは、やはり危険である。
つい、私自身が出会ってきた多くの反面教師や、理想と乖離した学校の現実を思い出し、のっけからその難しさばかりを並べてしまったが、それでも私は宗教教育に積極的に向き合っていきたい。時に教職員、学校の価値観を根底から覆す必要があろうとも。なぜなら、それは一五年戦争の体験がない世代の私とて教育界に身を置くものとして、果たされていない教師の戦争責任を果たす後継の役を与えられていると思えるからである。また、戦争は先の一五年以降もつづいており、未来にも起こり得るかもしれないから。
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このような趣旨から、本書は、実際に宗教教育を扱うことになる中学校の社会科を念頭に置いて筆を進めていくものである。だが、前述のように、戦争と平和について考えることは、ある一時(いっとき)、特定の教師の役目というものではない(そうあってはならない)ように、戦争と平和の問題に直結する宗教教育は、学校教育に携わる多くの教職員が、ともに継続的に関わるべきテーマであると思っている。
また、学校教育は「学校教育法」に於いて、各段階での完成教育がうたわれながらも、実際にはそうでなく、次の段階への「準備教育」になっているという消極的な側面が思い浮かぶ。しかし、観点を変えて、「準備教育」を積極的に「継続教育」と捉えるならば、教育とは、ひとりひとりの人生の決して短くはない時間を費やして、基礎的な知識を吸収するばかりでなく、物事の善悪をはじめ、あらゆる価値を蓄積したり、構築したり、時に捨てたり、自ら切り拓いていくなどと、重層的で綿々とした行為である。歴史が語るように、人生にある日突然のリセットはあり得ない。如何なる教育環境に身を置くか、それはひとの生き方を大きく左右しかねないことである。そうであればこそ、本書では宗教教育と直接的な関わりを持つ中学校段階に限定することなく、学校のなかの宗教、あるいは宗教的なるものについて、弾力的に関連するトピックを取りあげたい。
本書の構成は以下の通りである。
第一章では、「宗教教育+平和」とし、宗教教育を行うにあたって必ずや不可避になる「平和」について照射する。ここでは、「平和」とは何かという原理的なテーマをはじまりとし、「学校が平和である」ということが最早幻想でしかないこと、また、学校が内蔵する反平和的な側面に迫っていく。そして、現在、平和教育にとって格好の教材となり、あるいはこれからの教材になり得るテーマとして、「ヒロシマ」や「靖国」といった被害と加害の両面を併せ持った戦争の爪跡を取りあげていく。更に、一五年戦争後、軍事大国から経済大国に転じることによって新たに生じた日本社会の不安定さを見つめ、それは教育現場に如何なる影を落とすことになったのか、また、経済大国に生きる人びとは如何に宗教的な領域を彷徨(さまよ)っているのかといった事象も取りあげたい。
第二章では、二〇〇六(平成一八)年に制定された「教育基本法」やそれに付随した「学習指導要領」の改訂によって、より一層強調されることになった「道徳」に着目し、宗教教育と道徳との関連を考察する。「宗教教育+道徳」とするここでは、歴史的に教師の社会的な位置づけが如何に変容してきたかを捉えることによって、宗教教育および道徳教育の方向性を見出したい。更に、学校教育が宗教的なるものを培養しやすい環境にあることを至近な事例から考察したうえで、現在の生徒や学生を捉えて離さないディズニーやスピリチュアルの世界といった話題にも触れる。そして、宗教教育を行うにあたって蔑(ないがし)ろにしてはならない良心の自由や信教の自由といった繊細な問題、心のあり方を規定するかのような『心のノート』といったテーマをも取りあげていく。
第三章では、教育界ばかりでなく、国家規模でその是非が取り沙汰される「愛国心」と宗教教育の関わりに着目する。「宗教教育+愛国心」とするここでは、体罰の是非、「日の丸」「君が代」の扱い、郷土教育のあり方、ボランティア活動、裁判員制度についてなどと、宗教教育を基軸にそれらを見渡し、それが次代の教育界、延いては社会全般におよぼす影響の深刻さを捉えていきたい。また、ここでは「愛国者」の筆頭であるかのように祀りあげられている一五年戦争末期の特別攻撃隊に注目し、彼らの「愛国」が何であったのかを、その手記や遺書などから確認していく。更に、特別攻撃隊および隊員についてを現代の人びとが如何に捉えているかをもつけ加える。
終章、「氾濫する宗教社会のなかで」に於いては、第一章から第三章の流れを踏まえ、この度の「学習指導要領」のなか、宗教教育に含まれる多義的なもの、敢えて隠されているかのような、その「落とし穴」を再確認する。そのうえで、今後、宗教教育を実施する場の可能性のひとつとして、部活動に注目する。そして、最後に、ささやかながら、宗教教育の未来図、宗教教育に最も適していると思われる教師像を描いていく。
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- 明治図書