- はじめに―はしがきにかえて―
- 道徳授業の構成
- 1 生命尊重
- <事例>猛火の中で
- 2 礼儀作法
- <事例>あとみよそわか
- 3 整理・物・金銭活用
- <事例>針箱の中
- 4 自主自律
- <事例>将軍と少年
- 5 自由・責任
- <事例>火の見のにわとり
- 6 明朗・誠実
- <事例>手品師
- 7 正義・勇気
- <事例>米百俵
- 8 不とう不屈
- <事例>わき出した水
- 9 思慮・反省・節度
- <事例>金色の魚
- 10 自然愛・動植物愛護
- <事例>子じか物語
- 11 敬けん
- <事例>つるのとぶ日
- 12 個性の伸長
- <事例>とぶ道ひとすじ
- 13 希望・向上心
- <事例>おり紙めいじん
- 14 合理的精神・探究心
- <事例>Z項の発見者
- 15 創意工夫
- <事例>空気タイヤの発明
- 16 親切・同情
- <事例>こまのひも
- 17 尊敬・感謝
- <事例>きつねとぶどう
- 18 信頼・友情
- <事例>二わのことり
- 19 公正公平
- <事例>アンパイヤの心
- 20 寛容
- <事例>大音楽家のなさけ
- 21 規則尊重
- <事例>星野君の二るい打
- 22 権利・義務
- <事例>土曜日の班活動
- 23 勤労
- <事例>土に生きる母
- 24 公共心・公徳心
- <事例>おみやげ
- 25 家族愛・家庭愛
- <事例>いかのとっくり
- 26 学校愛
- <事例>四〇年はたらいたようむいんさん
- 27 愛国心
- <事例>富士と北斎
- 28 国際理解・人類愛
- <事例>マイケルのかぎ
はじめに
―はしがきにかえて―
一 内容解説について
およそ教育は、目標と内容と児童とによって組織されるものである。道徳の授業に関していえば、ねらいと内容と児童とによって組み立てられる。その一定の内容を、一定の資料を以て蔽うというのが道徳授業の定石である。その成功のためには、ねらいの設定と資料の位置づけと活用のしかた、そして児童の問題理解がその要件である。学習指導要領では、「内容」という、道徳の内容を二十八に分けたものである。これを一般に「項目」といい、また「価値」と称するが、これらは公式的には指導要領上のことばではない。あくまでも「内容」でありその内容に一定の道徳的価値が含まれていてそれを指導のねらいとするものである。このように見てくると、ねらいの設定にしろ、児童の問題を理解するにせよ、資料の選択利用にしろ、それぞれの内容の意味するところを的確に理解することが先決である。学習指導要領の表記は簡明でわかりやすく、その括弧書きをも含めて一読理解できるものであるが、何しろ人間の生きかたにかかわるものであるだけに、その意味をできるかぎり深く理解する必要がある。その理解の浅深によって道徳の授業の浅深が決まるといってよいほどである。道徳の授業を見ると一人一人の教師の生き方考え方がおのずからにじみ出ることを、数多くの授業を拝見して日頃痛感しているところである。
明治図書出版の『道徳教育』に二十八の内容の解説を連載せよという依頼があって応じたのは昭和五二年末であった。その直後に私は、京都教育大学の学生部長に就任した。困難な問題を前にしてこれはまことに激職であって、書きつづける目途があったわけではない。しかし昭和五三年(一九七八年)四月号から昭和五五年(一九八〇年)七月号まで(『道徳教育』二〇八号から二三五号まで)毎月八枚か九枚程度であったが、多忙の中で書きつづけることができた。それをやりつづけることができたのは、何よりも明治図書の編集部の熱意と理解と読者の応援によるものであったが、私には上に述べたような考え方から、先生方が道徳の内容の理解を進める上に何らか資するところがあったらという微意に支えられてのことでもあった。今改めて執筆当時の日記を見ると、最初の生命尊重の内容を書いたのは昭和五三年一月二〇日であり、最後の人類愛の内容を書いたのは昭和五五年四月八日であった。ある時は、学生部長室で立ったまま執筆したり、月刊誌の締切を守らねばならないと重々承知しておりながら、電話の催促をいただいてもなかなか執筆の時間的余裕がなくて苦しんだりしたことが昨日のことのように想い出される。今その内容解説を再三読み返してみて、そのような状況の中で書いたものであるにもかかわらず、とくに書き加えたり修正したりするところが極めて少ないのは、そんな状況であったからこそ一所けんめいに考えて書いたからであろうかと自ら安んじている。その意味で、この内容解説を書き綴ったことは、私の大学教師としての生涯の一モニュメントである。
しかしそれらを書きながらひそかなおそれがあった。道徳は人間の生き方に関わるものであり、私の書いたものが一人一人の教師の考え方生き方に与える影響についてのおそれである。私自身の言葉で言えばよいものを、わずらわしい程にわざわざ東西古今の典籍を引用したのも、先生方自身が自らこれらの典籍を読んで人間としての生き方を考えるよすがにしてほしいという願いによるものであった。しかし各地の先生方に伺ってみると、大きな参考にはなるが、それを下敷にして自分なりの考え方を作る土壌にしているから、それは心配しなくてもよいと言って下さるし、速かに一冊の単行本として刊行せよという励ましを聞くばかりであった。お勧めに従って拙著を刊行するについて、各先生方がこれを下敷にして、めいめいが自分なりの観点や考え方、そして人間としての生き方を見つめるための一つの参考に過ぎないものとしてお読みいただきたい。この内容によって授業の観点を書き加えようとして思い止まって当初の解説の範囲に止めたのも、以上のような私の配慮によると理解していただきたい。
二 「道徳授業の構成」について
本著に「道徳授業の構成」の一文を加えた。これは現代道徳教育研究会編の『道徳教育の授業理論――十大主張とその展開』(一九八一年八月刊、明治図書)の一部に求められて「わかりやすい組み立ての道徳授業論とその展開」と題して収載された拙文を、その題名と文言の一部を修正したものである。その論旨は前述のように道徳の授業は、ねらいと資料と児童とによって構成される。そしてねらいと資料、資料と児童、ねらいと児童との間には常に一定の距離があり、その距離を埋めていくことが道徳授業の創造であるという、ごくあたりまえのことを述べたまでである。今回本書の編集に際して、各内容毎にそれぞれに授業事例を一つずつ提供していただくについて、担当の先生方にこの拙文を改めて一読いただいて、授業の構想を立てる上に利用していただいた。本稿に述べた指導過程の導入、展開一・展開二・終末という型に各先生方に従っていただいた理由はこれにもとづくもので、各先生方にはかなりきゅうくつな型をお願いした結果になった。
三 指導案事例について
各内容についての私の解説を読み、前項の道徳授業論を読んでいただいた上で、各地の熱心な研究と授業実践の実績をもっておられる先生方にそれぞれ授業事例を提供していただくことをお願いしたのは小学校内容に引きつづいて、中学校の一六内容の解説の連載を終わった後の、昭和五十八年の夏の始めであった。お願いした先生方の中には既に全国的によく知られた方もあるが、日頃中央の研究誌などにあまり紹介されていないが各地で熱心な実績を積んでおられる老練の方、若い方の中から、その授業のスタイルが私にわかる方々二十八人にお願いした。一定の地域的かたよりのあるのはそのためである。
私の授業論からいえば、ねらいが的確に設定され、児童の理解がまちがいなく、内容の理解がいき届いていれば、どんな資料でも利用できるし、そのような資料は数多くある。本書のページ数の制約から、資料本文を掲載することを避けることにしたので、資料の出典を文部省道徳指導資料に限った。主題設定の理由を省略したのは、各先生方の担任学年学級を無視して、学年を指定し資料を指定するといういささか強引なお願いをしたからである。また主題名は、ねらいを表現したものもあり、資料名を主題名としたものもあるが、これは先生方の原案を尊重した。
文部省道徳指導資料の中からどの資料を選定するかについて格別の基準があったわけではない。たまたま昭和五七年四月から九月まで鳥取県から国内留学生として滞在された、米子市立弓が浜小学校の大村雅夫氏と相談しながら最終的に私の責任において選定して、二八人の先生方お一人お一人におしつけたことになる。旧知の資料もあり、最新の資料もある。しかし結果から見ると、道徳の授業にロマンがほしい、四十五分の授業の中で、一点でも、児童たちの現在及び将来に印象深く残るような資料でありたいという私の資料観がおのずからはたらいているように思われる。
かなり強引なおしつけによる指導略案ではあったが二八人の先生方は多忙の中で、苦労して何度も授業された方々が多い。ポストがかわって学級担任から外れておられる先生方にも無理をお願いした。「つるのとぶ日」をお願いしたところ、わざわざ自費で広島まで行き原爆記念館を見てきて授業をされたのは、若い女の先生である。それぞれに丹念に、しかし、きゅうくつな字数の中で精一ぱい書いて下さった。斉合を図るために私の責任でそれぞれに一部修正させていただいた。授業記録を掲載できないのが残念であるが、全国の先生方がせめてこのような授業案を書いて授業に臨まれることを期待したいというのが私のひそかな願いである。
提供の各先生方に心から感謝と敬意を表する次第である。最後に本書の編集について、多大の御好意と、しんぼう強く怠惰な私をつついて下さった、明治図書の園田桂子、仁井田康義両氏に深く感謝申し上げる。
昭和五八年五月 編著者 /村上 敏治
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