- まえがき
- 第T章 道徳教育の授業理論の回顧と展望
- 一 道徳教育の授業以前
- 二 道徳時間の授業の開幕
- 三 文部省通知「道徳の読み物資料について」と道徳授業の前進
- 四 統一場面を迎える道徳授業
- 五 道徳授業の展望
- 第U章 道徳教育の授業理論――十大主張とその展開――
- 一 資料即生活論とその展開 /井上 治郎
- 1 資料即生活論
- (1)資料即生活論を主張する意図
- (2)〈資料を教える〉道徳の授業の理論構想
- (3)「話し合い」と教師の役割
- 2 資料即生活論に基づく指導計画
- 3 資料即生活論の授業展開
- 二 道徳的価値実践化論とその展開 /杉谷 雅文
- 1 道徳的価値実践化論
- 2 生活指導中心の道徳的価値実践化論への批判
- 3 児童観、生徒観の楽天性の誤り
- 4 道徳的価値実践化の三大要因
- (1)受容的価値実践化
- (2)非決断的状況における価値実践化
- (3)決断的状況における価値実践化
- 5 道徳的価値実践化の内容の三大契機
- (1)自然的、物的契機
- (2)社会的関係(対人関係)の契機
- (3)価値的契機
- 6 道徳的価値実践化を生かす道徳指導の着眼
- (1)事前の準備
- (2)導入段階
- 7 道徳的価値実践化の授業展開
- 三 価値の一般化を生かす道徳授業論とその展開 /竹ノ内 一郎
- 1 価値の一般化を生かす道徳授業論
- (1)はじめに
- (2)価値の一般化とその必要性
- (3)価値の一般化の図り方
- 2 価値の一般化を生かす道徳授業論の展開
- 3 おわりに
- 四 価値葛藤の場を生かす道徳授業論とその展開 /平野 武夫
- 1 価値葛藤の場を生かす道徳授業論
- (1)「価値葛藤の場において」という発想
- (2)「修身科でない新しい道徳教育」の構想
- (3)「価値葛藤の場」という概念の内容
- (4)「価値葛藤の場において」という方法原理
- (5)善と悪とが分かれて生じる所
- (6)「価値葛藤の場」の層位
- (7)「行為の構造」における価値葛藤の場
- (8)「価値葛藤の場」を生かす道徳授業の構想
- 2 価値葛藤の場を生かす道徳授業論の展開
- 五 道徳価値形成過程論とその展開 /広川 正昭
- 1 道徳価値形成過程論
- (1)道徳授業への疑問
- (2)道徳価値形成過程へのアプローチ
- (3)道徳価値形成過程と指導過程
- (4)道徳価値形成過程と指導方法の関係
- 2 道徳価値形成過程論の授業展開
- 六 新価値主義的道徳授業論とその展開 /宮田 丈夫
- 1 新価値主義的道徳授業論
- (1)道徳授業の系譜
- (2)新価値主義的道徳授業の特質と構想
- 2 新価値主義的道徳授業論の展開
- 七 わかりやすい組み立ての道徳授業論とその展開 /村上 敏治
- 1 わかりやすい組み立ての道徳授業論
- (1)道徳授業の現状と課題
- (2)ねらいと資料と児童生徒(道徳授業のりんかく)
- (3)道徳授業の指導過程(四段階説)
- 2 わかりやすい組み立ての道徳授業論の展開
- 八 内面的自覚に培う道徳授業論とその展開 /村田 昇
- 1 内面的自覚に培う道徳授業論
- (1)はじめに
- (2)内面的自覚の理論構造
- 2 内面的自覚に培う道徳授業論の展開
- 九 発達段階を踏まえた道徳授業論とその展開 /森岡 卓也
- 1 発達段階を踏まえた道徳授業論
- (1)はじめに
- (2)発達の各段階の特徴
- (3)発達段階説の利用
- 2 発達段階を踏まえた道徳授業論の展開
- 十 易行道をめざす道徳授業論とその展開 /山本 政夫
- 1 易行道をめざす道徳授業論
- (1)易行道の主張の意図するところ
- (2)倶学供進の道徳授業
- (3)資料の重視と活用
- 2 易行道をめざす道徳授業論の展開
- 第V章 残された問題と今後の課題
まえがき
大正一一年に「八大教育主張」という本が刊行されて、当時教育界の注目を集めたことがあった。思い思いの主張であり、今からみれば奇想天外のものもあった。小原国芳氏の「全人教育論」などはオーソドックスのものであるが、中には干葉命吉氏の「一切衝動皆満足論」というようなものもあった。大正年代は、このようなユニークな主張をすることのできる時代であったし、そのような主張を消化することのできる実践教師に恵まれた時代でもあった。
これにちなんで、「八大道徳教育主張」を刊行したいという念願は、私たち研究会が長年持ちつづけていたことであった。ところがこのたび明治図書の藤原政雄社長の計らいで、この念願を果たすことができるようになった。私たちは全国の道徳教育の研究者を物色して、幾人かの大学人に独自の主張を依頼した。その数は八人を越えたため「十大主張」とすることにした。ユニークな主張があれば「八大」にこだわることはなかろうし「十大主張」としてまとまることになった。
かつての「八大主張」になかった新しい着想として思いついたのは、単なる主張でなく、その主張が実際の授業にどのように展開されるかについて、優れた現場人に授業展開を研究してもらうことであった。このようにしてはじめて道徳教育主張は、現実に現場に生かされるようになると考えたのであった。単なる主張のための主張であればそれは、言葉の真実な意味での主張というべきものではなかろう。主張が主張となるがためには、現実に生きてはたらくものでなければならないからである。われわれは概念をもてあそんでいてはいけない。
道徳授業はこれまで、どのような経緯をとって今日に至っているであろうか。歴史は行き詰りを切り開いて将来にはたらく足取りである。これまでの道徳授業には幾多の変遷があった。そして今日の段階に辿りついている。一般的には、道徳授業は今日においては定着しているといわれている。が果たしてそうであろうか。われわれは必ずしもそうとは思わない。いずれにしても、道徳授業を将来に向かって推進していくためには、今日的問題を正当に解決しなければならない。われわれの意図した「十大主張とその展開」は、この点でも大きな役割を果たすことになるのではあるまいか。「十大主張」はまことに多種多彩のものであり、それぞれにユニークな立論である。そのような意味でこの「十大主張とその展開」は、現場における道徳授業の新たな開拓に大きな役割を果たすようになることを信じて疑わない。
「十大主張」の中には現場人も加わっている。主張や見解は必ずしも大学人だけの専売特許ではない。現場的発想による理論の構想こそがむしろ正当のものであると言えるかもしれない。というよりも、現場人の理論構想には、大学人の理論構想の着想し得ない側面があるとも言える。理論が現場を指導するということもあるが逆に、現場が理論を指導するということも十分にありうることである。いずれにせよわれわれは、大学陣と現場人が一体となってこの書の構築に当たった。
終りにのぞんでこの書の刊行に熱意を示された明治図書の安藤征宏氏に心からなる感謝の意を表する次第である。
昭和五六年六月 現代道徳教育研究会
復刊していただくととても助かります。教科化を受けて、購入される研究者も多いかと思います。