21世紀型授業づくり35
モラルジレンマによる討論の授業 小学校編

21世紀型授業づくり35モラルジレンマによる討論の授業 小学校編

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モラルジレンマ授業を支える認知発達段階理論を解明し授業構成法、教材作成法、道徳性の測定と評価を詳述。1年から6年までの新開発による教材と授業展開を示した。


復刊時予価: 3,641円(税込)

送料・代引手数料無料

電子書籍版: なし

ISBN:
4-18-805538-3
ジャンル:
道徳
刊行:
4刷
対象:
小学校
仕様:
A5判 312頁
状態:
絶版
出荷:
復刊次第

目次

もくじの詳細表示

はじめに
第一部 理論編
T モラルジレンマ授業を支える認知発達段階理論 /荒木 紀幸
1 コールバーグの考え方
2 道徳性の発達における一般的な特徴
3 認知能力と役割取得能力
U モラルジレンマの授業構成法 /堀田 泰永
1 授業は二時間扱いを基本とする
2 第一次の授業
3 第二次の授業
4 授業はオープンエンドである
V モラルジレンマの教材作成法・小学校 /松尾 廣文
1 ジレンマ教材が具備すべき基本的要件
2 荒木の挙げた要件
3 小学生版ジレンマ教材作成上の要件
W 道徳性の測定と評価 ――フェアネスマインドで深める子どもの理解 /上田 仁紀
1 フェアネスマインドとは
2 フェアネスマインドの内容
3 フェアネスマインド検査の診断
4 診断の実際と児童の様子
5 フェアネスマインドの活用
第二部 実践編
T 小学校一年生の実践『あそぼうね』 /岡田 達也
U 小学校一年生の実践『あすかの しいく とうばん』 /野口 裕展
V 一年生の自作モラルジレンマ教材 /松本 朗
『ブランコ』
『桑の実をのり君に』
『どう分けるのがよいの』
『帰るべきかザリガニを取るべきか』
W 小学校二年生の実践『くものすとちょう』 /植田 和也
X 小学校三年生の実践『ゴミひろい』 /大島 貴子
Y 小学校三年生の実践『お母さんとすてねこ』 /依藤 佐代子
Z 小学校四年生の実践『ルールを変えろって』 /植田 和也
[ 小学校四年生の実践『決まりはないけれど』 /堀田 泰永
\ 小学校五年生の実践『図書当番の仕事』 /上田 仁紀
] 小学校五年生の実践『しか退治』 /井原 孝夫
XI 小学校六年生の実践『東雲(しののめ)の丘のうめおばあちゃん』 /新垣 千鶴子
XU 小学校六年生の実践『残ったおかず』 /佐々木 寿洋
第三部 総合的学習との関連
T 高齢者福祉『がんばれおじいちゃん』 /三浦 昌道
U 情報倫理教育『プライバシー』 /中田 光彦
V 環境教育を意図した総合的な学習『真実を知る者として』 /佐藤 孝弘

はじめに

 二十一世紀の幕が開き、「総合学習の時間」への具体的な取り組みが本格化する中で、「生きる力」の育成の中核部分である道徳教育への関心は急激に衰えているように見受けられます。このような中で、福岡のバスジャック、実母虐殺などに見られる中学生、高校生を中心とする凶悪な少年犯罪が矢継ぎ早に起こりました。またこの六月八日には大阪教育大学附属池田小学校で八人もの幼い尊い命が奪われ、一五人もの子どもと先生が重傷を負うというあってはならない凶悪な犯罪が起こりました。親たちによる幼児虐待事件も後を絶ちません。改めて、命の教育を徹底すること、道徳教育への関心が再び強く叫ばれています。

 我々は、モラルジレンマ授業を通して道徳性を発達させることが生きる力の育成に大きく寄与し、自分の生き方に自信を持ち自分も他人も大切に考える自尊感情を育てることを、多くの実践から明らかにしてきました。この取り組みが学習指導要領がめざす「生きる力、問題解決する力」の育成と整合することも主張してきました。我々が行ってきた教育の方法を道徳の時間で広く活用して頂くために、表題による出版をここに企画致しました。

 なお明治図書の江部満編集長からは再三にわたってモラルジレンマによる道徳教育を普及すべく、出版要請を受けていました。変わらないご厚情とご支援に感謝しています。

 今回の出版では、以下の諸点を含む内容構成に心がけました。

1 小学校編と中学校編に分ける。

2 学年別にモラルジレンマ授業実践を複数あげる。

3 「総合的な学習」との関連を図った実践を載せる。

4 道徳性認知発達理論、コールバーグ理論に基づく授業論、教材論を載せる。

5 授業後の評価として標準化した小学生版道徳性発達検査(フェアネスマインド)を紹介する。

6 実践で扱うモラルジレンマ資料は研究会で新たに検討した新作のものとする。

7 モラルジレンマ資料集をつける。

 ところで、今回の出版にはもう一つの意味があります。それは我が国においてコールバーグ理論に依拠した道徳教育の普及と発展を願って、一九八二年秋に立ち上げた道徳性発達研究会が活動を開始して、早いもので二〇年になったことです。この間研究室の修了生、卒業生だけでなく、モラルジレンマ授業を積極的に実践する仲間、理論的検討を続ける研究者の仲間が全国各地に増えました。多くの研究仲間のご協力を得ながら続けてきた宿泊合宿研究会も形と場所と時期を変えて、兵庫教育大学、鳥取教育会館、大阪教育大学附属天王寺小学校、同志社大学へ、さらに京都教育文化センターへと会場を変えてきました。二〇〇一年は第一八回の会となります。夏に研究会を行うようになって、新しく参加される方が毎年のように増え、二〇〇名に迫る盛況です。このように多くの方が参加されることが恒常的になってきたという現実に対して、一〇年ほど前から研究会を学会に変え、研究活動や研究内容、研究領域、我が国の道徳教育への影響力、などに見合った学会組織に変えるべきだというご意見を多くの方からいただいてきました。

 「心の教育」が低迷している今、また私たちの活動を私的な活動に終わらせるのでなく、多くの現場の先生方の参加を得て、広く日本の道徳教育の発展に寄与していくために、古くからの研究同志であり、先輩である佐野安仁同志社大学名誉教授、吉田謙二同志社大学教授を顧問に親しみのある学会組織を作りました。その名前もこれまでの活動を生かして、「日本道徳性発達実践学会」としました。事務局は兵庫教育大学教育方法講座荒木紀幸研究室内(〇七九五―四四―二一四六、FAX)です。読者の皆さまも我々の仲間に加わっていただき、一緒に研究して行きましょう。

 ともあれ、この出版が現場の先生方の励みになり、道徳教育の実が上がり、子どもたちの「生きる力」の育成に貢献できればと強く願っています。

 最後になりましたが、読み合せ、校正は、院生の伊藤昭治(前原市立前原南小学校教諭)さんにお世話になった。感謝申し上げます。


  二〇〇一年七月八日   兵庫教育大学教育方法講座 /荒木 紀幸

    • この商品は皆様からのご感想・ご意見を募集中です

      明治図書
    •  荒木氏は言う。「「がんばれおじいちゃん」では、おじいちゃんの人権を無視し、高齢者を尊重していない、という批判をされていますが、資料をよく読んで頂きたい。どうしてそう解釈されるか、われわれには理解出来ません。」

       おじいちゃんの意見もろくに聞いていないのに、家族が勝手に入退院の判断をするのは、どう考えても高齢者をないがしろにしている。「資料をよく読」めば、当然の解釈である。

       何の根拠もなく、「われわれには理解出来ません。」などと言われても困る。馬鹿にされた気分だ。そもそも「われわれ」が誰と誰と誰のことなのか、荒木氏は示していない。荒木氏以外に誰かいるのなら、はっきり名乗るべきだろう。
      2002/8/2後藤隆一
    •  荒木氏は言う。「なお2つの授業に対する批判ですが、子どもの視点からの批判ではなく、大人の見方や解釈からの批判なのですね。」違う。原理的な批判なのだ。それこそ、荒木氏が「どうしてそう解釈されるか、われわれには理解出来ません。」

       『図書当番の仕事』において、めぐみは、何を困る必要があるのか。めぐみは、さとしに対して、「先生にでも頼めばいいじゃない。」と言えばよい。「下校の時刻だから、私、帰るわね。」とでも言って、けろっとしていればよい。いずれにせよ、めぐみが葛藤するようなことではない。

       それでも、さとしを助けたいと思うのであれば、めぐみは、悩む前に、知るべき事実が多量に有る。さとしは、「貸し出し禁止の本」のうち、どの程度のページ数を必要としているのか。数ページが必要であるならば、(学校にコピー機が有れば)コピー機を借りればよい。先生に頼めばよいことである。

       このような現実の状況の想定をさせないままで、「道徳意見カード」のように、「めぐみはどうするべきだろう。A.さとし君に本を貸すべき。B.さとし君に本を貸すべきではない。」というジレンマを課してはならない。ジレンマ以前に知るべき事実が多量に有る。

       要するに、「道徳意見カード」などで設定されるジレンマは、擬似問題(pseudo problem)なのである。考えようのないものを考える、不自然な授業なのである。(実際、授業記録における児童は、擬似問題であることに全く気付いていない。)「問題でもないことを問題にするのは問題なのである。」という問題意識を、「モラル・ジレンマ」論者は持つべきなのだ。

       荒木氏が言うように、「授業を通した児童の道徳的な深まりや子どもたちの人間を尊重する態度」が「ジレンマ」授業で実現できたとしても、それは結果的なものだ。(実際には擬似問題を前提に議論しているから、児童は怠惰な思考を強制されているにすぎない。)それは「認知発達段階理論」とは別のことで、だからジレンマの設定は妥当だったということにはならない。
      2002/8/2後藤隆一
    • 後藤隆一様 
       02/4/18の感想に対するコメント
                          兵庫教育大学 荒木紀幸

       私どもは宇佐見批判の問題をすでに終わったものと認識しています。
      それは、すでにいくつかの書籍、専門誌でこの問題を取り上げて、われわれの考えを述べているからです。例えば、
      ○荒木紀幸編 「道徳性の発達に関する研究年報 1990年度版」荒木紀幸研究室 1991年3月発行
      ・宇佐見批判を検討する…p.36-39.
      ・宇佐見氏の「ジレンマくだき」を斬る p.118-126.
      ○荒木紀幸著 「モラルジレンマ授業の教材開発」 モラルジレンマ授業への批判 1996 明治図書 p.199-201.
      ○日本児童研究所編 「児童心理学の進歩 1996年度版 Vol.35」 荒木紀幸 『第6章 道徳教育』 p.129-156.
      、があります。参考にして下さい。

       なお2つの授業に対する批判ですが、子どもの視点からの批判ではなく、大人の見方や解釈からの批判なのですね。モラルジレンマ資料、「図書当番の仕事」では、さとしの態度が気にくわない、悪事を手助けするようであるとか、「がんばれおじいちゃん」では、おじいちゃんの人権を無視し、高齢者を尊重していない、という批判をされていますが、資料をよく読んで頂きたい。どうしてそう解釈されるか、われわれには理解出来ません。それと共に、この本で取り上げられている授業記録や考察等に目を通して頂き、授業を通した児童の道徳的な深まりや子どもたちの人間を尊重する態度に注目して頂きたく思います。
       またわれわれは道徳性を発達させるべく授業実践しています。ですから、子どもの視点が大切になるし、大切にするのです。このような授業構成が、子どもの積極的なモラルジレンマの解決を引き出し、子どもたちのコミットメントを促すのだと考えます。価値葛藤していることで、それぞれの価値についてより深く考えることになるのです。是非資料の持ち味や意図を生かしてモラルジレンマ授業を実践して頂だきたくお願いします。

      2002/7/25荒木紀幸
    •  宇佐美寛氏は『「道徳」授業における言葉と思考』(明治図書)において「ジレンマ」授業を批判している。その批判に対して、荒木氏がどのように論ずるのか楽しみにしていたのだが、結局、無視してしまったようだ。残念である。

       『図書当番の仕事』は、貸し出し禁止の本を、さとしに貸すべきか貸すべきではないかという、めぐみのジレンマが示されている。
       しかし、学校にコピー機が有るのであればどうか。先生に事情を話し、必要なページをコピーすることが出来るのではないか。そのような解決法で済むことである。
       また、さとしの態度が気にくわぬ。悪事の意志決定をめぐみに委ねるという、姑息な手段を用いている。この程度の男に本を貸す必要など無いだろう。

       『がんばれおじいちゃん』では、おじいちゃんの意見もろくに聞かないうちに、太郎が勝手に悩んでいる。人権無視というものだ。
       「高齢者福祉」を学習するのに、高齢者を無視するとはどういうことか。入退院の意志決定に高齢者の意見は関係ないとでも、言うつもりなのだろうか。

       このように、「モラルジレンマ」授業の資料はフェアではない。正しく考えれば問題になるはずのない事柄が、問題となっている。
       中学校編とあわせると六千円程度になるのだから、値段に見合ったものを提供していただきたい。次回作では、宇佐美氏の批判にも、きちんと反論していただきたい。それが研究者の道徳的態度というものである。
      2002/4/18後藤隆一

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