- まえがき /松本 千代栄
- 舞踊教育史編
- 1章 論文・論考
- レクチャー・デモンストレーション 日本における学校ダンスの歩み ――故戸倉ハル先生を偲んで――
- T 学校の遊戯のはじまり
- U 明治期のダンスの特色
- V 大正から昭和初期のダンス
- W 戦時中のダンスの特色
- X 戸倉先生の業績
- Y ダンス作品の傾向
- Z 戦後のダンスの特色
- おわりに
- 現代体育・スポーツのイデオローグ ――M.ドウブラー(上)――
- <略暦>
- <業績―舞踊のウィスコンシン・アイディア―>
- 1.実践的展開
- 現代体育・スポーツのイデオローグ ――M.ドウブラー(下)――
- 2.理論的展開
- 3.制度的展開
- <栄与と讃辞>
- <出会いのとき>
- 「現代舞踊」作家小論 ――戦後転換期の舞踊教育に関連して――
- 1.作家と作品
- 2.作家と戦後転換期の舞踊教育
- 3.むすび
- 戦後転換期の舞踊教育
- 1.舞踊教育理念の転換
- 2.舞踊創作学習の実証
- 3.体力論と舞踊再検討
- 4.上演活動と舞踊教育
- 5.むすび―sports for allとDance for all―
- 明治期の舞踏的遊戯 ――その精神と技術の様相――
- はじめに
- T.行進遊戯T
- U.行進遊戯U
- V.唱歌遊戯
- 結び
- 大正・昭和前期の舞踊教育 ――「遊戯」から「ダンス」へ――
- はじめに
- T 「書名」に表われた動向
- 1) 遊戯観を主軸とする「遊戯」名
- 2) 純粋芸術を目指した「表情遊戯」名
- 3) 身体教育とダンスの本質とを照合した「体育ダンス」名
- 4) 要目名称を遵守した「行進遊戯」「唱歌遊戯」名
- 5) 芸術教育を標榜した「教育舞踊」名
- U 著者と舞踊観
- 1) 『体育ダンス』の著者
- 2) 『教育舞踊』の著者
- 3) 実践内容の検討―外来文化摂取と自立―
- おわりに
- 大正・昭和前期の舞踊教育 ――戸倉ハルとその時代――
- はじめに
- (1) 舞踊発想について
- (2) 舞踊表現特性について
- (3) 舞踊発想と作舞の傾性について
- (4) 指導観について
- (5) 戸倉ハルとその時代
- むすび
- 2章 シンポジウム・講演
- 講演 「明治期」外来文化の摂取と教材化
- T 教育思想の摂取と遊戯観
- U 音楽教育・女子教育の振興と遊戯
- V 体操科に位置づく「遊戯」と運動会
- W 「遊戯書」にみられる摂取の実態
- 基調報告 国立ニ大学の立場から
- 1.戦後教育の方針
- 2.専攻課程・学科の新設
- 3.舞踊研究の開拓
- 4.研究交流
- 5.人と進路
- シンポジウム 三浦ヒロ・戸倉ハルとその時代
- T 概観
- 1) 国家・制度
- 2) 社会文化・教育
- 3) 新教育思想・学習研究
- 4) 国立大学――東京女子高等師範学校
- U 人――そのプロフィール
- 比較舞踊学編
- 舞踊の比較研究 ――「舞楽」を中心として――
- 研究の目的
- 研究方法と研究対象
- 研究結果とその考察
- 1.舞楽の成立
- 2.舞楽の技術的特性
- 総 括
- 付 記
- 運動表現の民族的特性に関する研究 ―第一報―
- 緒 言
- 研究目的
- 研究方法
- 研究対象と期間
- 研究結果とその考察
- T 岡山県白石島盆踊「白石踊」について
- U 日本舞踊
- V フォークダンス
- W 運動表現実施の実態調査
- 総 括
- 運動表現の民族的特性に関する研究 ―第二報―
- 緒 言
- T 研究目的
- U 研究方法
- V 研究対象
- 1.被験者
- 2.フィルム収録・分析曲目
- 3.運動表現実施の実態調査(第1報及び追跡調査分)
- 4.調査期間
- W 研究結果とその考察
- T.東京都八丈島盆踊「樫立踊」
- U.フォークダンス
- V.運動表現実施の実態調査
- X 総括
- 運動表現の民族的特性に関する研究V ――インド古典舞踊の様式と技術――
- T.インド古典舞踊の成立
- U.インド古典舞踊の技術
- V.インド古典舞踊の象徴性――上演と様式――
- 運動表現の民族的特性に関する研究W インド仮面舞踊劇 ―CHHAU―
- T 緒言
- U 研究目的
- V 研究方法
- W 研究対象
- X 研究結果と考察
- 1.プルリアのCHHAU
- 2.セライケラのCHHAU
- 3.CHHAUの感情価―比較考察
- Y おわりに
- Movement and Symbol A Comparative Analysis of Chhau Dance Styles
- Introduction
- Method of Analysis
- Structures of Chhau
- Movement Analysis of Purulia Chhau
- Movement Analysis of Seraikella Chhau
- Comparison of Dancing Movement
- Evaluation Scale of Values―Comparison of Chhau Styles
- Conclusion
- DANCE AND MUSIC IN SOUTH ASIAN DRAMA:CHHAU, MAHAKALI PYAKHAN AND YAKSHAGABA (REPORT OF ASIAN TRADITIONAL PERFORMING ARTS 1981)
- 演じられた女性像
- はじめに
- T toeの形式と女性像――バレエの様式――
- U 「作品解説」にみられる女性像
- V 口説の形式と女性像――歌舞伎舞踊の様式――
- W 歌曲「詞章」に表われた女性像
- おわりに
- 松本千代栄業績一覧
- 松本千代栄バイオグラフィー
- あとがき /安村 清美
まえがき
「松本千代栄撰集 第2期―研究編」(全3巻)が刊行されるはこびとなった。先に刊行された全5巻は,人間発達と創作ダンス学習に取り組んだ,実践・実証の記録―授業研究の足跡であった。言い換えれば,学習者としての子どもたちから戴いた宝であると言えよう。子どもたちに導かれて,この道を歩いたと感じている筆者にとっては,人生の扉を開け,行く手を指し示してくれた,人生の先達とも言うべき子どもたちからの教えの数々であった。
第2期(全3巻)に収められた内容は,大学の研究職に職を転じ,あらためて舞踊文化を見直し,〔学〕の対象として,舞踊文化と教育を見つめ直そうとした年月の思索である。大学に籍をおいて間もなく,ある時,「ご専門は?」と聞かれ,「舞踊学です」と応えた時,「あ,そんな学問があるのですか」と眼を見張り,問い直されたことがあった。〔学〕に値する業績をあげなければ…と強く心に刻んだ時であった。
幸い,理解を得て,東京教育大学体育学部に,1963年〔舞踊学講座〕の設置が認められた。〔講座〕が置かれることは,研究に値する領域と認められたことだと伺い,あらためて喜びと責任を感じた。
後に,お茶の水女子大学から,全国的な大学紛争の流れのなかで崩壊した体育学科再建の要請を受けた時,「お茶の水女子大学は,哲・史・文が学問であると考えられている場であるから,舞踊のようなパフォーマンスで成り立つ領域は,諸学と等価とは認められないのではないか? もし教授会の諸先生が認めておられないなら,再建してもまた紛争が起こります」と問い,「等価と認めている〔学〕に成っているなら,他の方でもよい。〔学〕に成っていないものを〔学〕にするためには,松本さんが必要なのだ…」と再建委員会の激励をいただいたことがあった。過分な評価であったが,この励ましを戴いて,1973年,現在の〔舞踊教育学科〕新設のスタートラインに立つことが出来た。
このことに先立って,1969年には,第6回国際女子体育会議東京開催という重い役割を受け持っていた。戸倉ハル先生急逝の後を受けて,会議開催まであと11ヶ月という時点で会長の要職に就いた。財源の見通しもなく,会場も決定していない状態での就任である。選出をされて涙がこぼれた。しかも,東京教育大学は筑波移転の問題で揺れ動き,会議会議の続く日々であった。幡ヶ谷の体育学部での授業が終わると,毎夕オリンピック記念青少年総合センターの連盟事務局へと足を運ぶ日々が続いた。
東京会議では,〔日本における学校ダンスの歩み―故戸倉ハル先生を偲んで―〕と題して研究報告を行った。多くの幼児・児童・生徒・学生たちの協力を得て,レクチュア デモンストレーションとして行った。カドリールなど外来文化を導入した「教材を教える」時代から,人間発達と個性を生かした創作ダンスとして「自己表現」への展開は,世界各国からの会議参加者から共感と大きい称賛の声を受けた。会長L.デイーム夫人は,あの子どもたちをドイツへ連れて帰りたいなどと話され,イギリスのM.ウェブスター副会長は,もう海外の模倣はしないで,今の子どもたちの素晴らしい表現を伸ばして下さいと声をかけて下さった。この時の記録映画は,現在も多くの大学の舞踊教育講義に活用されている。「ダンス」の窓口からみた日本の歴史―外来文化の導入と近代化の歩みを象徴しているからでもあろう。
その後4年毎に開催国を変えて開催される国際女子体育会議には,研究報告を続けた。イラン―テヘラン,南アフリカ―ヨハネスブルグ,アルゼンチン―ブエノスアイレス,イギリス―ワーウィック,インドネシア―バリ,フィンランド―ラハティ――と大陸を移して開催される会議であった。
可能な限り,デモンストレーションを加え,研究のペーパーとともに,研究内容を視覚化し,感動とともに享けとめてもらいたいと努めた。
国際女子体育連盟では,実行委員から副会長をつとめ,現在は3人の名誉会員の1人に推されている。国際的に知己を得る場でもあった。
このような年月の流れの中で,舞踊学講座の設置,国際会議での研究報告などに携わり,その間に舞踊創作に関する論文・研究報告をまとめたのが,第1巻『舞踊教育学領域』である。また,末尾にその海外での研究報告を収録している。
他方に,第2巻『舞踊運動学領域』においては,音楽には楽典があり,楽理があるように,現象性の舞踊についても,明らかに出来る範囲は明らかにし,創作と鑑賞の原拠を明らかにしなければならないと感じ,もっとも精緻に分化した人間の所産である「言語」を手がかりに進めた一連の研究を収めた。
即ち,「言語分析」の研究方法に依拠して,舞踊の構造・機能を明らかにしようと考えた。一連の用語研究の出発である。
〔舞踊用語の収集分類〕また〔舞踊の構造・機能と要素化〕の研究などである。更に,これらの成果から,抽出された形容語を分類した7領域の形容語は,「SEVEN MOTIVES」と命名し,舞踊作品の作風の評定や舞踊創作の課題としての活用など,その後の学習と研究に役立つものとしている。
(言語研究)の成果の一つとしての鉄EVEN MOTIVES狽検出した轍ualities of Movements and Feeling Values・985の研究は,報告を行った第10回IAPESGW会議(英・ワーウィック)の会場で大きい評価を受けた。アメリカから出席の会員の1人は,「我々は誇るべき一人の芸術家マーサ・グラームを生んだ。しかし,あなたは,すべての人間の表現を拓くすばらしい方法を生んだ――。」と評し,抱きしめて下さった。研究を通じての心通う感激の一刻であった。SEVEN MOTIVESの特質をよく享けとめて,各自の表現題材を見出し,個性的な動きを実現し,展開したデモンストレーターたちの演の生きた実証に負うものが大きいと思われる。
4年毎に開催国を変えて行われる会議,また友好を重ねたフィンランドとの交流をも含めて,デモンストレーターとして,個性ある演を展開して研究を立証し,感動的に伝える役割を受け持ってくれた多くの学生たちには,ここにあらためて謝意を表し,記録に留めたい。
舞踊学の草分けを求めて,VERBAL…NONVERBALの世界を繋ぐ研究を続けたが,この所産が,これからの舞踊研究と志す人々に役立つものとなれば…と希っている。
現象性の文化を,紙面上に捉えることは難しい。しかし,可能な範囲でその特性を明らかにすることで,新たに見えてくるものがあることも事実である。MOTION ANALAYZERなど,分析機器の発達は,現象性の文化を,現象そのものを捉えてその性格を平面上に示し,その性格を可視できるようにしたことで,舞踊の実験・実証研究の可能性を大きく広げたと見られよう。舞踊研究への新しい接近,視野の開拓であり,新たな研究の妙味を味わうことが出来た。
舞踊研究の限りない楽しみとその地平にあらためて思い致し,舞踊の無限,研究の無限に思い致す現在である。
省みて,これらの実験・実証の研究は,1人では出来ない。多くの仲間の協力を得てできたものである。舞踊の生誕と存続は,人類と等しく,成長と衰退の弁証法のなかに生き続けるものであろう。その様相を捉えようとする研究もまた限りない叡智と試みを要するものであろう。
あらためて,舞踊文化とその研究―そこに機縁を得た内外の方々に深甚の謝意を表したい。
第3巻『舞踊教育史・比較舞踊学領域』では,史的研究・民族学的研究を掲げている。
第6回国際女子体育会議の特別研究報告として行った,「日本における学校ダンスの歩み」,また,世界で初めて大学に舞踊の研究ポストを開かれたM.ドゥブラー女史の業績,日本の戦後転換期の「ダンス」の出発など,草創期の史的考察やシンポジウムの記録である。
省みると,南アメリカ州国際体育研究会講師招聘を受けて,リオデジャネイロへ向かう途次,ウィスコンシン大学にドゥブラー女史を訪ねた。女史は,その著泥ance; A Creative Art Experience煤i訳出:『舞踊学原論』)の刊行について,「私たちの本」は日本の舞踊学に役立つだろうかなどと問いかけられ,期待と喜びの会話は尽きなかった。研究に値する文化として「舞踊」を新しく大学に位置づけられた先人を訪ね,感慨を深くしたこの日のことは,今も鮮やかに思い起こされる。
また,比較舞踊学領域として,舞楽や民族舞踊の領域に広げた研究成果を掲げている。伝統と創造は相互に止揚しあう関係で歴史を形成していると享けとめ,その双方の所産に興味深いものがあった。多くを手がける時間の余裕はなかったが,民俗的な所産には常に関心を寄せていた。また,生を享けた国の土壌として,この国の創造の根源でもあると感受していた。
用語研究の成果は,「舞踊の作品分析」をおこなう基準の一つとしても活用した。
例えば,この巻に収めたインドの「チョウ」と呼ばれる民族舞踊の解析を,この構造・機能の観点及び,感情価SEVEN MOTIVESを活用して行った。〔MOVEMENT and SYMBOL〕と題した研究論文[Dance and Music in South Asian Drama, 国際交流基金 1981 所収]の解析は,試みた「研究方法」の開発に注目され,海外からも評価されている。(溺usicology Australia寧ournal of The Musicological Society of Australia 1986/ Volume 1X―書評掲載)
思いがけず,第14回カナダ会議閉会式では,「D.S. AINTHWORTH賞」を贈られた。敬愛する偉大な女性,世界の女子体育者を繋ぎ,国際女子体育連盟を創始され,日本の国際的視野を拓く手引きをして下さった女史の名を冠した賞を戴くことは,光栄なことであった。
東京会議報告書には,実行委員長として,会議開催の成果と意義,また感謝をこめた一文を掲げていたが,カナダの開会式には,この一文がそのまま大きくスライドで映しだされ,M.TALBOT会長は「この会議のように,カナダ会議も成果を挙げたい」と引用して開会の挨拶をされた。思いがけない光栄であり,東京会議の充実をあらためて想い起こし,一週間の会議の諸々が走馬灯のように胸裏を去来した。
更に会議場に近い廊下には,各国で開催されてきた国際女子体育会議の歴史を示した大きいパネル写真が掲げられ,東京会議を示す松本のポートレートと共に,創始者D.S. AINSWORTH女史の大きいポートレートの真下には,日本女子体育連盟の第6回会議準備委員会メンバーの写真が掲げられていた。日本から参加の多くの学生たちは目を欹てた。はるかな先輩たちが国際的に評価を受けている実証を直に感じとった一刻であったと思われる。
氷雪の大陸を眼下に眺めつつ,カナダへと飛んだ空の旅であったが,思いがけない厚い称賛を戴いた会議出席であった。
2009年8月には,南アフリカで開催の「第16回国際女子体育会議」に出席した。香港から30時間の空路は,考えたよりは平穏にケープタウンに着いた。ヨハネスブルグの大学での開会式では,思いがけず壇上に立つことになり、会長から「Madame Chiyoe Matsumoto, with Apprecation―」と記された牌をいただいた。国際女子体育連盟からの感謝の牌である。
温かい多くの知己を得て活動できた年月を噛みしめるひとときであった。
地球を巡り,民族を超えて,舞踊は世界を繋ぐ。
地域と歴史に生き続ける舞踊文化と人間交流をあらためて思う現在である。
切に,世界の平安を祈りたい。
年月をかけて資料を集め,編集・刊行へと心をこめて撰集をまとめて下さった安村清美様,中村恭子様のお二人,及び,世に出るものとして下さった明治図書編集部石塚嘉典氏,飯島トミ様,有海有理様に,あらためて深甚の謝意を表したい。有難うございました。
2009年12月 /松本 千代栄
-
明治図書

















