- まえがき 本当に「技術不要」ですか?
- 序章 センスは技術の集合体
- 第1章 「授業に向き合う」技術
- 1 1mm前進を繰り返す
- 2 「映え」より「芽生え」
- 第2章 「教材提示」の技術
- 1 スライド提示をフル活用する
- 2 視点を示して、のめり込ませる
- 3 テンポや声色を意識して範読する
- 4 あえて切って集中させる
- 5 「間」で思考を生み出す
- 6 スライドで教材の情報を補足する
- 第3章 「発問」の技術
- 1 教師の経験から対話を始める(導入の発問)
- 2 価値観に気づかせて対話を始める(導入の発問)
- 3 写真1枚から価値観をゆさぶり対話を始める(導入の発問)
- 4 基本発問は「フリ」である
- 5 中心発問は思考にズレが生じるものにする
- 6 基本発問で助走させて中心発問へ
- 7 実態に応じて発問をする
- 8 問い返し発問で思考を促す
- 9 センサーを働かせて問い返す
- 10 人物の視点をずらして多角的に考える
- 11 時間の視点をずらして自分事として考える
- 第4章 「全体交流」の技術
- 1 子どもと子どもをつなげる
- 2 子どもと教材をつなげる
- 3 しくみで動かす
- 4 発問で動かす
- 5 高みへと連れていく
- 6 一緒に悩む
- 第5章 「役割演技」の技術
- 1 空気をつくる
- 2 手本を見せる
- 3 しくみを整える
- 4 なりきりインタビューで熱中を生み出す
- 5 セーフティネットの用意でレベルアップする
- 第6章 「声かけ」の技術
- 1 ペア交流で視点を開く
- 2 全体交流で勇気づける
- 3 書く活動でも視点を与える
- 4 ふりかえりでも問い返す
- 5 余韻を残す声かけをする
- 第7章 「身体性」の技術
- 1 「目線」で呼びかける
- 2 「立ち位置」で巻き込む
- 3 手の動きで引きつける
- 第8章 「板書」の技術
- 1 端的に書く
- 2 板書で挿絵を活かす
- 3 矢印で思考をつなげる
- 4 図で整理する
- 5 子どもとつくりあげる
- 6 内容項目ごとに板書を分ける
- 第9章 「書く活動」の技術
- 1 表現の幅を増やせるようにする
- 2 考えの変化を書かせる
- 3 ふりかえりを書く視点を示す
- あとがき 技術は失敗と言語化の繰り返しで磨く
まえがき 本当に「技術不要」ですか?
授業技術。
あなたは、今「授業の技術を高めたい」と思い、この本を開いたことでしょう。
授業の技術が高まれば、子どもたちの話し合いはより豊かに、そして楽しいものになる。
授業技術には、そんな教師の願いや夢が詰まっています。
しかし令和の今、より重視されているのは、「授業技術」そのものではなく、授業の「枠組み」や「考え方」の部分ではないでしょうか。
教育界のトレンドは、「子ども主体」「自己調整」「自由進度学習」など、子どもがいかに主体性を発揮し、自分で学習計画を立てて自己を調整するかという部分です。
職員室でも、「あの板書はこうしたほうがよかったよね」とか、「あの発問は児童の考えを引き出せたよね」といった、技術に寄った会話はめっきり減っているような気がしてならないのです。
でもね。
私は、ここに「待った」をかけたい。
第一に、「自由進度学習」であれ、何であれ、「授業技術」は必要だからです。
自由進度学習という形態で学習を進めていくときにも、最初に「説明」をしますよね。さらには、「指示」も出します。そして、学習を進めている最中には、子どもたちに「声かけ」をしますし、「フィードバック」も行います。
これらはすべて「授業技術」です。つまり、授業技術を磨くことは、「自由進度学習」などの、子ども主体の授業形態においても必ず役に立つということです。
授業技術の価値は、どの教科にも共通していることです。
とりわけ私が専門とする「道徳科」では、その重要性がさらに際立ちます。
第二に、道徳科の授業は「協働の要素が大きい」ということです。
昨今、道徳科の学習でも「めあてを自分で決めて」「子どもが問いをつくって」などの学習スタイルがずいぶんと増えてきました。これらの学習スタイルは、子どもの主体性を発揮させるためのしかけであり、必要なことだと思います。
しかし、道徳科の授業で鍵となるのは、やはり「対話」の部分です。
「対話」においては、「発問」や「問い返し発問」で、子どもたちの思考を引き出し、それを「板書」で整理していくという「技術」が重要になってきます。
さらに、他教科の場合だと、8時間や10時間など、ある程度のまとまった時間で単元を構成できますが、道徳科の学習は多くの場合、45分で完結します。
つまり、その限られた時間に子どもたちの声を受け止め、授業を構成していかなくてはならず、教師には「臨機応変な対応」が求められます。この臨機応変な対応とは、言い換えると「技術力がある」ということになります。
要するに、道徳科の授業は、「技術」の占める割合がより高い教科ということです。
結論として、どんなに時代が変わり、学習形態が変わろうとも「授業技術」は揺るがずに必要であり、「道徳科」では、その重要性がさらに高いと言えるでしょう。
本書では、私が授業中に駆使している「技術」の部分を余すことなく、全て出し切ります。職員室であまりされることがない「技術」の話を、ここで思い切りしようじゃありませんか。
「技術」が高まれば、授業をするのが本当に楽しくなり、待ち遠しくなります。
技術は授業を変え、授業は子どもを変える。
本書が、みなさんの実践を支える一冊となれば幸いです。
/森岡 健太


















どのような心持ちで授業をしていくか、について考えることができる。