- まえがき
- 序章 学校知の転換と教授学
- 1 学校知の転換とは何か
- 「教育の基調の転換」
- 「学び方の転換」を求める社会的要請と期待
- 学校知の転換は果たして可能か
- 「学び方の転換」を図るには
- 2 21世紀教授学の課題
- ロマンチシズムからリアリズムへ
- 二項対立を止揚する
- 人間学を基礎にした教育過程の総合的研究
- 教授学研究の対象と方法について
- 21世紀を拓く教授学当面の課題
- 第T章 教授の技術=教授学の発展
- 1 合自然性の教授学
- 教授の普遍的技法
- 「合自然性」教授理論の発展
- 児童中心主義の教育
- 2 教育の技術とその創造的性格
- 技術としての教育学
- 現代における教育技術研究のあり方
- 教育技術の創造的性格
- 3 学習指導(授業)の目指すものは何か
- 学習指導とは何か
- 学習指導概念の検討
- 知識の教授について
- 「知育偏重」論への批判
- 知育の不在
- 知識の教授をどう位置づけるか
- 授業の目指すものは何か
- 学習指導と生活指導との融合
- 授業の目指すもの
- 4 授業過程の法則性
- 教授−学習過程の歴史的変遷
- 子どもの認識活動と大人の認識活動
- 授業過程の原動力
- 授業過程に含まれる矛盾
- 授業展開の原動力
- 授業過程の基本的矛盾
- 学級集団内の意見対立
- 5 授業の技術
- 授業の全体像
- 授業の技術的構造
- 教材研究
- 教材の選択と解釈
- 授業の設計
- 授業の展開
- 子どもから学ぶ授業の技術
- 6 教授の方法
- 教授方法の分類
- 授業の形態と方法
- 仮説実験授業の方法――「のぼりおり」の思考運動
- 第U章 教育内容構成論
- 1 教育における興味の原理
- 子どもの興味から出発する教育
- 本能論との結合
- 主観的観念論との結合
- 興味と努力の同一化
- 「興味の中心」の欺瞞性
- 教育における興味と努力
- 能動的注意と受動的注意
- 学習は労働である
- 興味は活動のなかで形成される
- 直接的興味と間接的興味
- 興味の分化
- 集団の影響
- 認識的興味の発達
- 2 教科の系統性の原理
- 系統学習は詰め込みか
- 記憶と思考の発達と教育
- 知識と自由
- 生活的概念の特質
- 意識化の法則
- 生活的概念の非体系性
- 概念の体系性
- 科学的概念の形成
- 科学的概念と生活的概念との相互関係
- 児童中心主義の発達観
- 連合主義の発達観
- 話しことばと書きことばの発達
- 発達曲線と教育曲線
- 発達の最近接領域
- 3 教授における具体性の原理
- 具体性と直観性
- 子どもは抽象的に思考する
- 擬概念と真の概念の形成
- 直観性の原理の見直し
- 抽象的なものとは何か
- 抽象から具体への上昇
- 4 新しい教科内容編成の基本原理
- 教科課程「現代化」の基本原理
- 「水道方式」とダヴィドフ理論との比較
- 量の指導体系の相違
- 「現代化」からの教訓
- 教育課程全体の構造との関係
- 5 感情を育てる教育
- 感情教育の可能性
- 新しい感情を体験させる生活と教育
- 失敗を恐れず,失敗から学ぶ子どもたち
- 感動のある充実した活動をつくり出す
- 自然との出会いと,ものをつくる労働体験
- 芸術は感情の学校である
- 第V章 学び方学習の理論
- 1 学び方学習の研究
- メタ学習とは
- 学び方学習論の軌跡
- 学び方学習の諸相
- 「学習の仕方を学ぶ」
- これからの学び方学習のあり方
- 「学び方を学ぶ」授業づくり
- 「問うこと」を学ぶ授業の実践例
- 学び方の転換を図る授業の成立条件
- 2 総合的学習の理論
- 「総合的な学習の時間」新設のねらい
- 総合学習とは何か
- 総合学習と教科学習とはどう違うのか
- 総合的学習をどう創るか
- 3 学習の個別化と個性重視の原則
- 個別的接近の重要性
- 「個性重視の原則」とは何か
- 個性重視の教育が本来目指すもの
- 学習の個別化と集団学習の諸形態
- 日本とアメリカの個別化教育の比較
- 個性を真に大切にし伸ばす学び方の教育
- 4 「基礎・基本」の確実な定着を図るには
- 子どもの学び方と学力の現状
- 「教育の基調の転換」は果たして可能か
- 教科書は薄い方がよいのか
- 「基礎・基本の確実な定着」は可能か
- 「基礎・基本」精選のあり方
- 教科内容精選の基本原則
- 「基礎・基本」の学び方
- 「国語」教育の基礎・基本
- 「基礎・基本」の確実な習得を図る学び方
- あとがき
まえがき
教授学は,学校の授業を研究対象とし,その理論化を図る学問である。教育学のなかで教育実践ともっとも密接に結びついた学問であり,本来,その中心に位置すべき学問といえるが,わが国ではどちらかといえばマイナー(副次的)な存在である。
実際に大学で講義されたり,研究されている教育学を見てみると,意外に教育実践とのつながりの薄い教育学が多いことに驚く。これは,私が大学の教育学部にはいり,教育学にはじめて接したとき第一に抱いた感想であり,疑問であった。私は,少年の頃から,学校の教師になることを夢見ていたので,教育学といえば教師の生き方とか教育の方法や技術を学ぶことができるものと漠然とながら思っていた。しかし,大学で教育学を学ぶあいだにその期待が充たされることはほとんどなかった。
大学で学んだ教育原理とか教育史などが私にとって無意味だったというのではない。私はこれらの学習を通して日本や欧米の教育の歴史・制度・思想などたくさんの知識を得ることができ,視野を大きく広げることができた。教育を社会現象としてとらえ,政治や経済など他の社会的諸事象との関連のなかで,社会の全体構造のなかに位置づけて,その役割や性格を理解しなければならないという見方を,私は大学で学ぶことができた。
こうして教育というものを広い社会的視野のなかでとらえることに新鮮な魅力を感じながらも,私の最初の疑問は消えることはなかった。教育学が周辺の諸科学と関係をもち,それらの方法を利用して教育現象を分析したり,解釈することには意義があるとしても,教育実践を対象とする学問としてはなお肝心のところで足りないものがあるのではないか。私が,生活綴方をはじめとして民間の教育研究運動に関心をもったのは,そうした疑問からであり,そのなかで見出したのが授業を直接の研究対象とする学問=教授学であった。
教育学の歴史を振り返ってみれば分かることだが,教育学が独立の学問として最初に成立するときには,教授学がその中心部分を占めていた。教授学がそのすべてであったとさえいえる。17世紀のコメニウスから19世紀のヘルバルト学派までは,教育学者はほとんどがつねに教授学者であった。かれらは,教師の教授活動をさまざまの形で理論化することに努めていた。
教育学がその後分化して,教育哲学・教育史学など,教育学のさまざまの専門分野を発展させていったことは,研究の進展のうえで当然の成り行きであったといえよう。しかし,その間にさまざまの理由から教育研究の実践からの遊離という傾向が生じたことを見逃すことはできない。
この遊離は,明治政府の「学問と教育とは別」という絶対主義的教育政策のもとで長いあいだ教育研究の自由を奪われてきたわが国の教育学においてとりわけ醜いまでに拡大した。教育内容が国定教科書などによって天下りに与えられ,統制された戦前の学校では,教師や教育研究者が自由に創造的な研究を行うことはできなかった。そのために教育の方法・技術には形式主義がはびこり,教育学の研究の多くは,現実的問題から遊離した観念の世界に逃避してしまった。この国家権力による教育内容の画一的統制は,戦後教育改革の時代に一時緩和されたものの,その後の逆コースのなかで瞬く間に復活し,今日に至るまで教育研究の自由を妨げる重要な要因であり続けている。
しかし,戦後,国民の教育を受ける権利を認めた新憲法のもとでまがりなりにも民主的な教育の建設が進むなかで,現実逃避の教育学の欠陥が大きく克服されてきたことも事実である。なによりも,教育現場での教授学研究の発展はめざましいものがある。教授学の研究者は,別に大学の学者とはかぎらない。実践者である教師も,授業実践に研究的に立ち向かう限り教授学の研究者であり得る。また,そうした実践者であると同時に優れた研究者でもある教師は,現実に大量に生まれつつある。特に,科学と教育との結合に力を入れて研究を進めてきた民間の教育研究運動のなかでは,各教科の専門家であり教授学の研究者でもある優れた教師が多数輩出している。
戦後日本における教授学研究のこのような発展を直接・間接に支えてきたものは,国民の教育に対する強い期待と要求であったといえよう。「わかる授業」に対する親たちの期待には切実なものがある。すべての子どもに分かって,しかも程度の高い数学教育とか科学教育を創り出すことを目指して研究を進めてきた民間の教育研究運動は,こうした国民の要求に応えようとするものであった。
他方,大学における教授学研究も,戦後半世紀を経るなかでしだいに教育学の片隅からより重要な地位を占めるようになってきた。日本の教育学全体を見渡すとき必ずしもそうではないのだが,いくつかの大学では教授学が教師養成の中軸的学問として正当に位置づけられるようになってきた。
にもかかわらず,日本の教育学界で教授学が依然としてマイナーであり続けることにはいくつかの要因がある。学校の教育内容(教育課程)の画一的国家統制は,自由な創造的研究を阻むものとして,その第一の要因にあげられよう。
第二の要因としては,教授学研究そのものの内容的・方法論的難しさがある。教育実践と直結した教授学の研究では,教育現場での観察・参加・実験,実践家との共同研究等が求められ,たんなる文献研究ではすまされない。教育学の学位論文は,大部分が過去の思想史研究とか歴史研究で,現実の教育実践を対象とするものがほとんどないのは,実践研究の難しさを端的に物語っている。生きた人間が生身の人間を対象として行う教育の実践は,あらゆる技術のなかでも「もっとも広範で複雑な,もっとも高級の技術」(ウシンスキー)といわれるほどに極めて複雑で繊細・微妙な技術なのである。
第三の要因としては,戦後アメリカから持ち込まれた経験主義と児童中心主義の教育学がある。子どもの興味・関心や生活経験を大事にするその教育思想が,わが国戦後の教育改革において一定の進歩的・積極的役割を果したことは否定できない。だが,このアメリカ「進歩主義」の教育は,アメリカ本国においても学力低下を招く「反知性主義」として本質主義者(Essentialist)たちからの批判を絶えず浴びてきているように,科学・技術など人類の文化遺産を若い世代に着実に継承するという教授学的な仕事を軽視するきらいがある。ところが,わが国の教育学ではどちらかといえばいつも流行の先端をいく前者の教育思想を受け継ぐものが一方的にもてはやされてきたのである。
このようなアメリカ教育学一辺倒の傾向は,現在いくらか薄らいできてはいるものの,わが国教育界においてなお揺るぎ難いものがある。この点は,ドイツを中心としたヨーロッパの教育学とは対照的と思われる。そのことは最近,日本語訳されたドイツの教授学者マイヤーの『実践学としての授業方法学』(Dr.Hilbert Meyer,Unterrichts Methoden1,Theorieband,1987,北大路書房,1998)を見るとよく分かる。そこには現代のドイツ教授学に影響を与えている学者の名前と有名人の肖像を列挙した興味深い「教授学マップ」が描かれているのだが,マルクス・ヘーゲル・カント・ヘルバルト等の肖像画は当然として,ピアジェ・ヴィゴツキー・ダヴィドフ・スキナー等の名まであがっているのにデューイの名は見られない。本文中でも,デューイがプロジェクト・メソッドとの関係でごく簡単にふれられるにすぎないのは、いささか妥当性を欠くように私には思われるのだが,これがドイツ教授学の現実なのである。
ところで私の教授学研究は,デューイ教育学との格闘から始まったといってよい。当時,学校の教育現場ではアメリカ教育学への批判が胎動しつつあったものの,学習指導要領の作成に関わる教育学者はもとより大学の講壇ではデューイはなお絶大の権威をふるう存在であった。私が,デューイ批判の拠り所としたのは,一つには,生活綴方など民間の教育研究運動であったが,いま一つには,たまたま手にしたウシンスキーとかヴィゴツキーなどロシアの教育学・心理学文献であった。デューイ興味論の批判をベースにした本書第U章1節の内容は,私の修士論文におけるウシンスキー研究を基にしたものである。ウシンスキーは,東欧諸国以外にはあまり知られていない存在だが,コメニウス・ヘルバルト・デューイなどとも比肩しうる偉大な教育学者だと私は評価している。ヴィゴツキーを日本に紹介したのも実は私が最初だが,彼の卓抜な心理学説は,その後アメリカ経由でも知られるようになり,いまや教育心理学の世界でその名を知らぬ人はいないほどになった。
しかし,私の研究の矛先はしだいに日本の教育現実そのもののなかに,とりわけ学校現場での授業研究にのめりこむようになっていった。それは初心に帰ることであったといってもよい。教師を志す若者の学ぶ教育学が,教師の仕事の中軸となる授業実践とは迂遠のものであっていいはずはない。
教授学は,授業という教師の具体的実践を基にして,教育とは何か,授業とは何か,授業の技術とは何かを明らかにしようとするものである。授業のなかでつくりだされる具体的事実を基にして,その事実のなかから原則的なもの,法則的なものを引き出そうとする学問である。しかし,日本の教師の授業実践を基にし,日本の教育現実に根ざす教授学研究が,はたしてこれまでにどれだけ存在するのか。
私は,民間教育運動に参加する教師たち,熟練した教育技術をもつベテランの教師たちが,授業研究ではまったく未熟で若輩の私にいろいろと教え,注文をつけながら,そのような教授学の建設と創造に大きな期待を寄せていることを知って勇気づけられた。
こうして愚直にも続けてきた私の教授学研究は40年以上にもなるのだが,目指す山のいただきは奥深く,いまだにはるかその手前でもがいている感を否めない。ともかくもその間に私が発表した教授学関係の主な著書・論文は巻末に掲げておいた。
世紀末の日本教育界は,相変わらず続く受験競争の過熱と低年齢化,陰湿ないじめ,年々増え続ける不登校,さらには子どもの「新しい荒れ」による学級崩壊など深刻な問題を続出させるなか,政財界からは教育基本法の改正案が持ち出されたり,戦後確立した6・3・3の学校体系にも複線化の構造改革を加えたうえで,これまでの学校教育の「基調の転換」を図るというような大規模な教育改革案がつぎつぎと打ち出されたりして未曾有の混迷を深めたまま,新しい世紀を迎えることになった。
学校の教育現場でこの混迷を切り拓く道を教師が探ろうとするとき,何よりも大切なのは,子どもたちに真に喜ばれる楽しい,よくわかる授業を創り出すことであり,学校嫌いにおちいったような生徒たちでも学習にふたたび「やる気」を起こし,自信を取り戻すような楽しい授業を創り出すことではないだろうか。そして,教授学は,本来そのような授業づくりの指針となるべき学問であると私は考える。さまざまの困難な問題を抱える日本の学校の現状でそのような道を切り拓くことは決して生易しいことではない。しかし,その道は新しい世紀に入ったからといって,ことさらに新しいものを追い求めることで拓けるものではないだろう。流行を追い,むやみに大きく揺れ動くのはアメリカについで日本の教育界の悪しき習性といえる。
授業研究においても,新しい学説をアメリカなどから取り入れることに熱を上げるよりも(そのような研究が無意味だとは決していわないが),まずは近代教授学の明らかにしてきた教育技術の原理や法則に学ぶとともに,日本の教師が磨き上げてきた授業技術の貴重な遺産にしっかり学ぶことの方がよほど大切であろう。
本書が,21世紀の学校と授業のあるべき姿をどれだけ具体的に示し得たか,まったく心もとないが,私自身は,高い山のいただきへと続く道に目をやりながら,新たな探検に向け,静かにファイトを燃やしているところである。読者の忌憚のない批判,感想をお寄せいただければ,幸いである。
2001年1月 /柴田 義松
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- 明治図書