基礎基本を鍛える社会科クイズ面白事典
“歴史とくらし”物識りクイズ編

基礎基本を鍛える社会科クイズ面白事典“歴史とくらし”物識りクイズ編

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「縄文から弥生時代」「大和時代」「奈良から平安時代」「鎌倉から安土桃山時代」「江戸時代」「明治から現代」をクイズで学ぶ。


復刊時予価: 3,751円(税込)

送料・代引手数料無料

電子書籍版: なし

ISBN:
4-18-454917-9
ジャンル:
社会
刊行:
8刷
対象:
小学校
仕様:
A5判 328頁
状態:
絶版
出荷:
復刊次第

目次

もくじの詳細表示

まえがき
1章 クイズ学習へのいざない
1 クイズは学習意欲を高める
(1) クイズと調べる力
(2) クイズの使い方
2 遣隋使・小野妹子は中国語を話せたか?
(1) 遣隋使は中国語を話せたか
(2) 予想をたてる
(3) 問題の解説
(4) 発展のさせ方
3 越後屋が大もうけしたアイデアはどんなこと?
(1) 思わず調べるような問題を
(2) 意表をつく問題
(3) 固定観念をくずす
4 参勤交代しない大名がいたか?
(1) 参勤交代はいつはじまったか
(2) 何のためにしたのか
(3) 大名行列はいつまでつづいたか
(4) 大名行列をしない大名がいたか
5 寺の数はどのくらいあったか?
(1) 聖徳太子の頃の「寺の数は」?
(2) 子どもが史料を見つけた
6 鉄砲の弾をどうやって防いだか?
(1) 鉄砲の伝来
(2) 鉄砲の弾を防ぐ方法は?
7 ペリーは何日かかって日本へやってきたか?
(1) ペリーは何隻の軍艦でやってきたか?
(2) ペリーは何日かかって日本へきたか?
2章 縄文から弥生時代
Q1 縄文人が狩りでくふうしたことは?―犬を狩りに使うようになった
Q2 世界最初の独立職業はどんな職業か?―世界最初の独立職業は「聖職者」であった
Q3 世界最古の便器はどんなものか?―世界最古の便器は川屋式の便器
Q4 縄文人に「季節の定食」があったか?―縄文人は「季節の定食」(旬の味)を食べていた
Q5 縄文人は「ほし貝」をいつつくったか?―「春」ほし貝をつくった
Q6 網で魚をとってるのは男か女か?―網やもりを使うのは男の仕事
Q7 世界最初に「土器」を発明した国はどこか?―世界最古の「土器」は日本の縄文土器
Q8 たて穴式住居の入り口はどちら向き?―たて穴式住居の入り口は南向き
Q9 三内丸山遺跡は縄文史の何を書きかえたか?―縄文人も定住生活をしていた!
Q10 三内丸山遺跡の人々は他地域と交易していたか?―広い範囲といろいろな物の交易をしていた
Q11 縄文時代の日本人の寿命は何歳ぐらい?―短命だった大むかしの日本人
Q12 縄文人に虫歯があったか?―古代人も虫歯シクシク
Q13 弥生人は米をどのようにして食べたか?―弥生人は米をむして食べた
Q14 銅鐸の絵は何をしているのか?―米つきをしている
Q15 米つきをしているのは男か女か?―両方とも女性
Q16 4つのうちどれが倉庫でしょう?―むかしは倉庫の方が立派
Q17 卑弥呼が持ってるものは何か?―卑弥呼が持っているのは「お神酒」
Q18 卑弥呼が1回の食事にかけた時間とかんだ回数はどのくらい?―卑弥呼の1回の食事は51分・3990回
Q19 卑弥呼はパンツをはいていたか?―卑弥呼はノーパンツだった
Q20 卑弥呼は固有名詞か?―卑弥呼は普通名詞である
Q21 吉野ヶ里遺跡は「邪馬台国」といえるか?―今のところ「邪馬台国」とはいえない
3章 大和時代(古墳時代)
Q1 大和昼廷・夕廷・晩廷はあったか?―大和昼廷・夕廷・晩廷はなかった
Q2 古墳時代,渡来人はどれくらいいたか?―古墳時代,渡来人は20万人もいた
Q3 前方後円墳はどこから伝わったか?―前方後円墳は日本人が発明したもの
Q4 前方後円墳をつくらなくなったのはなぜか?―水田をつぶすのがもったいないから
Q5 聖徳太子の時代,寺はいくつあったか?―寺の数は多くはなかった
Q6 「冠位十二階」の大徳になった人は何人か?―「大徳」になったのはごく少数
Q7 十七条憲法は何語で書かれていたか?―十七条憲法は中国語で書かれていた
Q8 「文化」は輸入することができると考えた人は?―聖徳太子は文化を学ぶことができると考えた
Q9 遣隋使は中国語を話せたか?―通訳をつれて隋へいった
Q10 2回目の遣隋使はどんな手紙を持っていったか?―2回目の遣隋使の手紙はやわらかくなった
Q11 中臣鎌足はどうやって中大兄皇子に近づいたか?―中臣鎌足は鞋で中大兄皇子に近づいた
Q12 蘇我入鹿はどうして剣をはずしたのか?―入鹿をだまして剣をはずさせた
Q13 「日本」という国名はいつついたか?―「日本」という国名は大宝律令で制定された
Q14 大宝律令の刑罰には何段階あったか?―大宝律令の刑罰は5段階だった
Q15 日本でいちばん古いお金は,和同開珎じゃないの?―日本一古いお金は「富本銭」である
4章 奈良から平安時代
Q1 「大極殿」は何をするところか?―大極殿は天皇が政治をするところ
Q2 日本書紀の「紀」の意味は?―「紀」は「業績・なしとげた仕事」の意味
Q3 「正倉院」に宝物を入れた最初の人はだれか?―正倉院に宝物を入れた最初の人は光明皇后
Q4 正倉院を校倉造りにしたわけ―木材の膨張収縮を利用
Q5 「東大寺をつくりたい」といい出したのはだれか?―東大寺をつくったのは聖武天皇
Q6 奈良に大仏をつくった本当の理由―世界一がほしかった
Q7 奈良の大仏の内部はどうなっているか?―奈良の大仏はがんじょうな木組みで支えられている
Q8 日本に最初に街路樹が植えられたのはいつか?―街路樹が,はじめて植えられたのは奈良時代
Q9 山上憶良の本当の仕事は何か?―山上憶良の本職は国家公務員である
Q10 奈良時代の左大臣(内閣総理大臣)の年収はいくら?―何と4億5,000万円であった
Q11 遣唐使船のいちばん安全なコースはどれか?―沿岸ぞいにいくのが安全だった
Q12 平安時代の「役人」の数はどのくらい?―平安時代の役人の数はおよそ13,000人
Q13 遣唐使の廃止は「第1次鎖国」か?―遣唐使の廃止は「第1次鎖国」
Q14 菅原道真はどうして大宰府へ流されたのか?―菅原道真は「有能すぎた」ために流された
Q15 平安貴族の寿命は何歳ぐらい?―平安貴族の寿命は32歳(男)
Q16 平安時代に女流文学が栄えたのはなぜか?―「かな文字」が女流文学をさかんにした
Q17 紫式部は『源氏物語』以外にどんな物語を書いたのか?―紫式部は他の物語は書いていない
Q18 紫式部はなぜ54帖もの長編を書いたのか?―4代にわたって書かなくてはならなかったから
Q19 光源氏のモデルは何人くらいいたか?―有力モデルは4人くらい
Q20 光源氏の身長は何センチくらいだったか?―光源氏の身長は180センチくらいだった
Q21 紫式部の鼻の穴はまっ黒だったというのは本当か?―紫式部の鼻の穴は本当にまっ黒だった
Q22 源義経は「いい男」だったか?―義経は猫背でそっ歯だった
Q23 高野山の「高野」はボットントイレか?―「高野」は天然の水洗トイレだった
Q24 「高野」というトイレのよび名はどうしてついたか?―トイレでは「紙」(髪)を落とすところからついた
Q25 京都に平安時代から残っている建物はあるか?―平安時代からの建物は残っていない
Q26 平安時代の人は病気の原因を知っていたか?―平安時代の人は,病気は呪われているためと考えた
5章 鎌倉から安土桃山時代
Q1 源頼朝が鎌倉に幕府を開いたわけ―鎌倉は鉄の産地だった
Q2 鎌倉時代,土地は全部武士のものだったか?―鎌倉時代,土地の半分は天皇のものだった
Q3 頼朝と家康,どちらが食事時間が長かったか?―頼朝の方が食事時間が長かった
Q4 鎌倉の大仏はどうして大仏殿がないのか?―大仏殿は大津波で流された
Q5 今川義元はどうして桶狭間で討たれたのか?―今川義元は「茶会」をしていて討たれた
Q6 戦国時代の農民は合戦のときどうしたか?―合戦見物をした農民
Q7 背中に旗をたてて戦ったのはなぜ?戦場の旗は「勤務評定」用
Q8 戦国時代の合戦は「雨天順延」だったか?―天気に左右された合戦
Q9 信長が3,000丁の鉄砲を集められたわけ―楽市楽座で鉄砲を集めた
Q10 太閤検地の目的は何だったのか?―検地の目的は年貢をたくさん確実にとること
Q11 太閤検地は何人のチームで行ったか?―太閤検地は20人くらいのチームで行った
Q12 農民が秀吉の「刀狩り」に応じたわけは?―大仏のくぎやかすがいにするといったから
Q13 戦国武将の間で「茶の湯」が流行したのはなぜか?―「茶の湯」の流行はストレス解消のため
Q14 戦国時代の合戦で最も戦死者が多かったのは?―関ヶ原の合戦が多かった
6章 江戸時代
Q1 江戸時代の農民は年貢(税)をどこに納めたか?―江戸幕府は徳川家の幕府であった
Q2 参勤交代はいつしてもよかったか?―参勤交代の時期にきまりがあった
Q3 大名行列は朝何時頃出発したか?―大名も七ツ(午前4時)立ちだった
Q4 大名行列も「民宿」を利用したか?―参勤交代には「民宿」も利用
Q5 大名は宿泊料をどのくらい支払ったか?―殿様の宿泊料は無料
Q6 大名行列はいつも整然と歩いたか?―ときどき並んで行列した
Q7 大名行列の経費節約法は?―レンタルで大名行列
Q8 大名行列は親藩・譜代・外様のどれか?―「土下座」をしておれば親藩大名
Q9 東海道五十三次の旅人はどのくらいいたか?―東海道は年間200万人もの旅人が通った
Q10 殿様は大名行列中トイレをどうしたか?―殿様は「厠かご」で用を足した
Q11 大井川に橋をかけなかった理由ワイロで橋をかけさせなかった
Q12 箱根の関所を通った女性の数は?―きわめて少なかった「出女」
Q13 「入女」はきびしくなかったのか?―「入女」は通行手形不要
Q14 大井川の「川止め」は年何回ぐらいあったか?―「川止め」は年平均50回
Q15 江戸時代に交通事故があったか?―江戸時代にも交通事故があった
Q16 「雲助」とはどんなことをした人か?―「雲助」は浮雲・蜘蛛の意
Q17 日光や箱根の杉並木ができたのはいつか?―日光・箱根の美しい並木は江戸時代に植えられた
Q18 鎖国で食糧不足にならなかったのか?―鎖国は自給自足体制を完成させた
Q19 江戸時代と現在ではどちらが多く酒を飲んでいるか?―江戸時代も今も酒量はかわらない
Q20 他人の妻をどうして「奥様」とよぶのか?―「奥様」は旗本の妻女に限って使われた
Q21 「島流し」の刑期はどのくらいか?―「島流し」とは「終身刑」のこと
Q22 「木賃宿」と「旅籠」はキチンと区別があったか?―馬の宿泊料の方が高かった
Q23 江戸時代の人はどんな歩き方をしたか?―歩き方は時代によって変わる
Q24 三井高利は番傘でもうけたって本当?―三井高利は番傘で宣伝してもうけた
Q25 江戸時代の藩は他の藩と交流していたか?―江戸時代の藩は「独立国」であった
Q26 武士にも出張手当やボーナスがあったか?―武士には「出張手当」はあったが,ボーナスはなかった
Q27 「下らないもの」とはどういう意味か?―「下らないもの」とは江戸近辺でつくられたもの
Q28 ペリーはどうして遠回りしてきたのか?―ペリーは目的をもって遠回りしてきた
Q29 ペリーは日本に何をしにきたのか?―ペリーは「開国」を求めにやってきた
Q30 ペリーが日本の開国に成功したわけ?―ペリーは日本をよく研究していたから
Q31 ペリーのお土産は何だった?―大統領のプレゼント
Q32 黒船を見た住民はどうしたか?―家財道具をもって避難した
Q33 鎖国と開国,どちらがむずかしいか?―開国の方が圧倒的にむずかしい
Q34 百姓と農民は同じか?―もともと農民と百姓は別ものだった
Q35 沖縄に「豚トイレ」があったというが本当か?―沖縄にはむかし「豚トイレ」があった!
Q36 江戸時代の農民は重税に苦しめられていた?―江戸時代の農民は重税に苦しめられたはウソ
7章 明治から現代
Q1 開国がどうして幕府をたおすことになったのか?―開国による生活必需品の値上がりが大きな原因
Q2 川越人足は橋ができてからどうしたか?―静岡県で茶づくりがさかんになったわけ
Q3 金も輸送する物もないのにどうして鉄道をつくったのか?―日本人に驚きと衝撃を与えるため
Q4 日本最初の鉄道が海の中を走っているのはなぜか?―反対の人が多く土地の買収ができなかったから
Q5 鉄道は明治政府のホームランになったか?―明治政府は「鉄道」で軌道にのった
Q6 1871年岩倉具視らは欧米へ何をしにいったのか?―欧米文化の吸収は成功した
Q7 明治時代「兵役の義務」をのがれる方法があったか?―国民皆兵ではなかった
Q8 なぜ廃藩置県しなければならなかったのか?―天皇中心の中央集権国家をつくるため
Q9 明治10年頃「授業参観」ができたか?―明治に「授業参観」の規則があった
Q10 ノルマントン号の乗組員が全員無罪になったわけ?―日本に裁判権がなかったから
Q11 「バンザイ」はいつ頃から使われているか?―「バンザイ」は明治22年に生まれた
Q12 富士山が日本2番目の時代があったのは本当か?―6年間日本で2番目の山だった
Q13 日露戦争の軍艦は「外国製」だった?―日本艦隊は外国製
Q14 2万2,000もの兵がいてどうして降伏したのか?―野菜が欠乏して病気になったから
Q15 関東大震災で約14万人も死んだのはなぜか?―火災による死者がいちばん多かった
Q16 2・26事件など軍隊の乱暴をどうして防げなかったのか?―世の中全体が軍隊の乱暴をまねいた
Q17 どうして駅弁包装紙にまで戦争のことが登場したのか?―状況がよくなく苦しいため戦意高揚をねらった
Q18 新聞広告にまで戦争のことが出るようになったのはなぜか?―もうすぐ第二次世界大戦がはじまるぞということ
Q19 太平洋戦争中「天気予報」が消えたのはなぜか?―天気予報を敵に知られるとまずいから
Q20 原子爆弾を落とされた日の長崎・広島の天気は?―原爆は晴天の日に効力が出る
Q21 世界一大きい庶民の墓はどこにある?―世界一大きい庶民の墓は沖縄にある
Q22 京都にはどうして寺がたくさんあるのか?―風水害が少なく,人々が寺を大切にした
Q23 日本人の平均寿命が「50歳」を超えたのはいつか?―平均寿命が50歳を超えたのは昭和22年のこと

まえがき

 学力低下問題が,全国を吹き荒れているという感じである。どこへいっても,「これで学力低下しないか?」「こんな内容で大丈夫か?」「子どもの学習意欲の低下が大きい。何とかしなければ――」といった声を聞く。

 子どもに学力をつけるには,何といっても「意欲」を引き出すことである。「資質×環境×意欲=能力」といった方がいるが,けだし名言である。

 資質や環境は変えることはむずかしい。しかし,教師の指導によって「意欲」はいくらでも変えられる。

 意欲を引き出すのに効果があるのが,クイズである。

 何でもない平凡な内容でも,クイズにすることによって子どもの意欲を引き出すことができる。

 内容のない授業をするよりは,内容のつまった,子どもの思考や調査の必要なクイズを行うほうが何倍も効果がある。これは,わたしの長年の体験から自信をもっていえることである。


 クイズの特徴は,まぎらわしい選択肢がいくつもあるため,


 子どもたちが必然的に考えるし,考えなくてはならない雰囲気になる


ということである。

 授業を充実させるためにも,子どもの学習意欲を引き出すためにも,内容のある面白いクイズが必要だと考え,これまでに作ったものも含めて,クイズの集大成をすることにした。

 それが,『基礎基本を鍛える社会科クイズ面白事典 上・下』である。

 本書はこの「下巻」にあたり,「歴史とくらし 物識りクイズ編」である。

 「事典」という名をつけるために,今までに作ったものはもちろん,新しいクイズをたくさん作成し,内容に深さと幅をもたせるように努力した。わたし自身,新しい内容への挑戦を楽しんだ。

 活用していただければ,「これは面白い!」ということになると思っている。

 例えば,「参勤交代しない大名がいたか?」「小野妹子は中国語を話せたか?」「縄文人に虫歯があったか?」「卑弥呼は普通名詞か固有名詞か?」「大和昼廷・夕廷・晩廷はあったか?」「光源氏の身長は,何センチメートルくらいだったのか?」「光源氏のモデルがいたのか。いたとすれば何人くらいいたのか?」といった,「そんなことがわかるのか?」というものにも挑戦してみた。

 読者は,必ず今までの常識をゆさぶられるものと確信している。何しろ,書いたわたしがゆさぶられたのだから――。

 「戦国時代の合戦は,雨天順延だった?」など,今の運動会と同じではないかと笑いながら考えることになるだろう。「農民は弁当を持って合戦を見物していた?」とか,「戦争中に,勤務評定する人がいた?」など,意表をつかれるはずである。

 「大名行列をレンタルですませた?」「大名行列中トイレはどうしたか?」「大井川はワイロで橋をかけさせなかった?」なども,「ウソだろ!」といいたくなるはずだ。

 今の人は,市町村・県・国へそれぞれ税金を納めている。では,「江戸時代の人は一体どこに『税』を納めたのか。幕府か。藩か。幕府と藩の半分ずつか?」など,わたし自身が今まで見のがしていたことも入れた。

 明治になり「兵役」が義務となった。ところが,兵役を逃れる方法があったこと,「富士山が2番目に高い山になったこともあること」「世界一の長寿国である日本も,平均寿命が50歳を超えたのは昭和22年のこと」など,クイズにしてみると急にわかりやすく,しかも,面白くなる。

 まだまだ世の中には面白いことがたくさんあるはずである。

 わたしに見えたものはクイズにすることができたが,見えないものはどうしようもない。これからも視界を広げていきたいと考えている。

 とにかく,本書と上巻を使って,社会科の基礎基本を鍛えることができれば,この上ない喜びである。

 本書は,明治図書編集部の樋口雅子編集長のおすすめで,上下2巻にまとめることができたことは望外の喜びである。厚くお礼を申し上げたい。ありがとうございました。


  2003年1月   /有田 和正

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