- 解説
- はじめにに替えて 本書の編集方針
- T 社会科とはどんな教科なのか
- 一 「県名」のような知識すらままならないお寒い国民教養の実態
- 1 日本の国土がわからない小学生
- 2 「めがね」となる知識を身につけさせよう
- 二 必修世界史の未履修問題 どうしてこんな問題がおこるのか
- 1 受験優先主義
- 2 さらなる病理
- 3 人づくりの教育はどうなっていくのか
- 三 子ども達は、社会科をどのようにとらえているか
- 1 子どもがふれる教材
- 2 子ども達は、どのようにして社会科を学んでいるのか
- 3 社会が求めている人間像とは何か
- 4 実学としての社会科
- 5 出口としてのテストの検討
- 6 社会科をどのようにとらえさせるか
- U 基礎教養としての社会科学力をとらえ直してみる
- 一 新興国の社会科をどう見るか
- 1 フィンランド
- 2 関連性のなかで物事を問う
- 3 関連性、追究型の対極としての知識注入型教育
- 4 答えのない時代
- 5 有田社会がなぜいま必要か
- 6 「追究の鬼」の条件
- 二 キーワードは「セルフ・マネジメント」 NEWSを読む@ヘを鍛える
- 1 NEWSを複眼的にとらえる必要性
- 2 現象を追っていては本質は見えない
- 3 社会事象への好奇心を育てる
- 4 国家発展のためのセルフ・マネジメント
- 三 T型人間の要求
- 1 T型人間とは
- 2 昔はI型で十分に通用した
- 3 「教養」がなぜ大事になるのか
- 4 「教養」を広げることは速い時代変化への対応をすること
- 5 π型人間への要求変化
- 四 生活ツールとしての「社会科学力」を問い直してみる
- 1 社会科固有の学力とは
- 2 見学で育てる「学習技能」
- 3 見学したことをまとめる
- V 新たな視点と「新しい学力」を考える
- 一 暗記社会科からの脱出
- 1 社会科は暗記科目か
- 2 教える授業からの脱皮
- 3 指導すべきことは何か
- 二 境界なきグローバル社会に生きるための学力 身の回りのことから広い世界へ
- 1 コンプライアンス〜能動性を高める〜
- 2 リスク〜予測能力を高める〜
- 3 フィナンシャル〜管理能力を高める〜
- 4 ディプロマシー〜共生力を高める〜
- 5 ステータス〜自己評価を高める〜
- W 「追究の鬼」が生き残る時代へ
- 一 問題点に気づく力、斬新な発想力をどう育てるか
- 1 低学年において
- 2 高学年において
- 二 「追究の鬼」を育てる授業スキルとは何か
- ─「指導と評価の一体化」は授業技術でもあり、「教育課程編成」の技術でもある─
- 1 問題
- 2 解決
- 3 結論
- 三 教育とは布石の連続である≠サの意味するものは何か
- 1 布石≠ニは何か
- 2 布石のある授業とない授業
- 3 教育とは?
- 4 学級経営での布石
- 5 教育は布石の連続である
- 四 思考の作戦基地となるノートをどう作らせるのか
- 1 ノートとは何か
- 2 記録ノートから思考ノートへ
- 3 思考型ノートにするための授業提案
- 五 資料・事典類の使いこなし術をどう育てるか
- 1 失敗事例
- 2 有田和正氏の指導法に学ぶ
- 3 ダイナミックな構造をもつ授業の上に立ってこそ
- 4 グラフ資料の読み取り指導法
- 六 「授業構成力」は板書に結実する
- 〜芸術的な板書を目指して〜
- 1 たかが板書、されど板書
- 2 板書から見えてくるもの
- 3 板書の構造パターン
- 4 板書の再評価
- 七 「追究の鬼」を育てる授業スキルとは何か
- ─材料七分に腕三分¢f材を見る目をどう鍛えるのか─
- 1 有田式素材の見つけ方
- 2 自己流素材の見つけ方
- 3 素材の良し悪しが授業を左右する『自己開発教材「未来の燃料BDF」での授業実践』ができるまで
- 4 「廃棄物を再利用 未来の燃料BDF」の授業構成
- おわりに
解説
本書(第五巻)を書いたメンバーの模擬授業や研究発表を何度も見てきて、その実力のほどをよく知っている。そのことは、本書をさっと読んでいただければ、その内容の多様さ、深さ、面白さといったものを感じるはずである。特に視野が広いことを、わたしは一番強く感じた。
本書の執筆方針、編集方針を、大谷和明氏が、三ページにわたって実に明確に述べている。「分析」「課題抽出」「解決策」「展望」の四つに分けて、本書では「こんなことを書くのだ」ということを宣言している。だから、まず、この「まえがき」に当たる部分をしっかり読んでほしい。大谷グループが、「どんな社会科をめざしているのか」よくわかるからである。そのめざすところは、わたしの考え方と全く一緒である。
第T章に、「県名のような知識すらままならないお寒い国民教養の実態」という内容が書かれている。
まさにこのとおりで、わたしは今も「県名を覚えさせる授業」ないし、「県名に関心をもたせる授業」を、よく行っている。六年生にやっても四年生と同じだし、何と中学二年生にやっても、県名がなかなかわからないのである。
研究発表会で、中学二年生に、県名を覚えさせる授業を公開しているのを見て、がく然としたことがある。
本書にも書いてあるように、タレントでさえわからないというし、アフリカが国名だと思っているタレントがいるという。わかるような気がする。
「日本列島は、大きな四つの島で成り立っています。北から( )・本州・四国・九州」という、文科省が平成十六年に実施した学力テストの一部である。
「北海道」という正答率は、何と四十八%であった。驚くべき数字である。ことほどさように、基礎・基本がおさえられていないのである。何が必要な用語かということも明らかでない。そこで、わたしは『社会科到達目標と授業改革(三〜四年編)』と(五〜六年編)の二冊を明治図書から出させていただいた。
この本には、地図指導の系統表(到達目標)社会科用語の一覧表(到達目標)─これは必修用語(基礎的基本的用語)と中級(これくらいは知っておいてほしい用語)と上級(このくらいわかれば文句なしの用語)の三つに分類して提示している。もちろん、五〜六年編では、歴史用語の一覧表をつけている。
このくらい苦労した本はこれまでなかった。何しろ基礎的基本的用語(知識といってもよい)を規定するのが簡単にできないからである。だから、この著書を大学のテキストにしているのである。学生のうちに、基礎の大切さをきちんとつかませておきたいからである。
本書の著者は、このあたりの大切なことを、きちんとおさえているのは「さすが」と思った。
受験優先主義で、必修科目の未履修の問題もきちんと取り上げて、その背景までおさえている。「受験」というのは、「人間を人間でなくする部分がある」ことを、この問題は教えてくれる。高校の教師は、「人間を育てる」という「教育の目的」を忘れている。
総合的学習など、受験に目がくらんだ高校教師がきちんとやるわけがない。ということで、次の指導要領では、高校では「総合的学習」はカットされることになった。
授業をする、学習を行う、勉強をする─ということは、どんなことをすることだろうか。やることはいろいろあるが、最も大切なことは、「はてな?」を見つける力をつけることである。これなくして授業とはいえないし、追究することなどではとうていできない。
第T章の最後に、面白い指摘をしている。「A=B」で終わるのは、思考停止状態になるという。「A=B」→「B=C」であれば「A=C」である。思考停止状態を脱するには、「A=C」にいく問題こそ大事だという。このためには、「問いから答えまでの間があればあるほどよい」というのである。この間に、調べ・考え・書き・表現する。
社会科は覚える教科であってはならないのである。
第U章に面白い指摘がある。「それなりの知識をもち、会社や上司にいわれることだけをする人材は、中国には一億人近くいるというし、ベトナムにも三〇〇〇万人はいると大前研一氏は指摘している」と。ということは、日本にも、この種の人材はかなりいるはずである。学校教育、授業を見ても、教師のいうことを聞くだけの子どもがものすごくいるではないか。わたしは、こんな授業をいやというほど見ている。
プロというのは、自ら「はてな?」を発見し、自らの力で追究し、追究しながら追究のしかたを更新していく力をもっている。新しい時代にふさわしい知識や技能に、創り変えていける人をプロという。子ども向きにいえば「追究の鬼」である。
第U章には、I型人間、T型人間、π型人間という面白いことばが出ている。
昔は、I型、つまり、自分の専門分野には詳しいが、他の分野には全く関心のない人間である。これが通用する時代は終わった。そして、T型人間の時代になった。Tの横棒は教養であり、縦棒は専門性である。このバランスのとれた人間が求められた。ところが、今や、π型人間が求められるようになっている。つまり、教養があり、かつ専門が一つではなく、二つ以上ある人間が求められるようになっている。
これは教師はもちろん、他の職業でも、一つの専門だけでは通用しなくなりつつある。医者の世界がそうであり、警察などの仕事もそうである。銀行などでも、昔の銀行業務は狭くなり、他の仕事内容が多く入り込み、まさに専門が二つも三つも必要になっている。
こうなれば、教育の世界、教育のしかたも変えなくてはならないではないか。必修とばしのようなことをしていていくつも専門性が育つはずがないではないか。
第V章は、新しい学力を考え、新しい授業のあり方を提案している。
π型人間を育てるためには、教える授業から脱皮し、子どもが自ら楽しみながら追究していく授業を考えなくてはならない。授業は、オープンエンドでなくては、授業と授業の間が生きない。
学校で教えることは、「子どもが、自ら学ぶように、学習技能を育てていくこと」である。「学習技能」というのは、「時代の変化に対応して、新しい知識や技能を生産し続けていく力」である。テストも、この学習技能が身についたかどうか問うものでなくてはならない。
第W章では、「追究の鬼」が生き残る時代、π型人間が活躍するようにするにはどうすればよいのかなど、実に多面的な追究をこころみている。
一つは、見る目を育てることである。これは、「はてな?」を発見することであるといってもよい。体験をすることによって、「はてな?」を発見しやすくなるのに、そうなっていないのは、体験のしかた、させ方に問題がある。
二つは、「追究の鬼」を育てるには、どんなスキルを育てるべきかということである。
知識も必要だが、知識を生産できる技能・スキルがより必要である。なのに、知識偏重の教育から脱却できない実態がある。また、教科を分断して指導し、横断的、総合的な指導が欠けている。この結果、PISA型「読解力」の低下という結果を招いた。
この欠陥を補い、力をつけるため、教科書を短時間で指導し、これ以外の多くの教材を授業に持ち込むようにしたらどうかという。これはかなりむずかしいことである。従って、教科書の内容をもっと総合的に、他教科との関連を深めていくようなものにすべきである。それに、今の教材は、あまりにも面白くない。もっと面白い教材はいくらでもあるのに、学習指導要領は、面白くないものばかり選定しているのはどうしてだろうか。
もっと面白い教材を、次々と布石となるように、きちんと提示すべきである。なぜなら、「教育は(授業も)布石の連続」であるからだ。
「追究の鬼」を育てる道具の一つに、ノートがある。ノートというのは「思考の作戦基地」である。だから、書くことを嫌がるようでは思考力は育たない。それこそ、「鉛筆の先から煙が出るようなスピードで書ける子ども」を育てることだ。つまり、書くことを楽しむ子どもを育てることだ。「学ぶことは、書くことである」といってもよい。
教師は、何よりも「子どもが追究したくなる教材を開発して提示すること」、これにつきる。このためには、アンテナを高くして、広く教材をさがし求めることである。
「社会科で育てる新しい学力」として全六巻、一度に出版するようにとりはからって下さった明治図書の江部満編集長に厚くお礼を申し上げたい。ありがとうございました。
二〇〇八年四月 /有田 和正
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明治図書
















