- まえがき
- 本書の使い方
- 1 先生,なんで道徳を勉強するの?――なぜ道徳教育は必要か【全学年】
- T 導入で使える小話
- 2 多様な発言を促す――友情 広い心【全学年】
- 3 導入と終末をつなげる――変容する自分を認める 思慮・反省 謙虚【全学年】
- 4 板書の工夫につなげる――勤勉・努力【全学年/終末】
- 5 「え−! うそ−!?」から始まる授業――努力【全学年】
- 6 「なんで? なんで?」から始まる授業――思いやり・親切【中・高学年】
- U 内容項目別小話
- 7 うれしい出来事――礼儀【高学年】
- 8 あたりまえを疑う――進取【高学年/終末】
- 9 発明家・ヘルツ――創意・工夫【全学年】
- 10 「よい」と「悪い」――善悪の判断力@【低・中学年/導入】
- 11 よい努力と悪い努力?――善悪の判断力A【全学年/導入】
- 12 「きれい」と「きたない」――敬虔【全学年】
- 13 明るい子ってどういう子?――誠実・明朗【中・高学年】
- 14 あいさつは形だけ?〜心を込めて〜 ――礼儀【中・高学年】
- 15 優先席って必要?――思いやり・親切【中・高学年】
- 16 友だち――信頼・友情・男女の協力【中・高学年】
- 17 1+1=?――友情・協力【低・中学年】
- 18 ありがとう――感謝【全学年】
- 19 雲の不思議――自然の不思議を愛する【全学年】
- 20 ヤゴのいのち――生命尊重【低学年】
- 21 家族の日――家族愛【全学年】
- 22 郷土自慢――郷土愛【全学年】
- 23 希望――希望・勇気 生命尊重【中・高学年/終末】
- 24 ココはオヤジ立ち入り禁止?――男女の平等 公正・公平 権利・義務【高学年】
- 25 世界の国々――国際理解【高学年】
- V エピソードでつづる小話 1
- 26 忘れた財布――思いやり【中・高学年】
- 27 二十四節気ってなあに?――節度【中・高学年】
- 28 1秒で30q――敬虔【全学年】
- 29 1秒で55回――生きものの驚異 敬虔 自然愛護【全学年】
- 30 電車内の座席を仕切る支柱は必要か――ルールとマナー 規則の尊重【中・高学年】
- W 論語小話
- 31 学びて時にこれを習う,またよろこばしからずや――勤勉・努力【高学年】
- 32 一を聞いて十を知る――賢さ・謙虚・学ぶ姿勢【全学年】
- 33 過ぎたるは及ばざるがごとし――節度・節制 思慮・反省【高学年】
- 34 図書室の本――公徳心 自主・自立【全学年】
- X エピソードでつづる小話 2
- 35 ドミトリ・ノソフ――不撓不屈【中・高学年/終末】
- 36 スタントマン――役割【中・高学年/終末】
- 37 自分を磨く――個性の伸長【高学年】
- 38 小学生200人に聞きました,自分にとっての憧れの人――目標【中・高学年/導入】
- 39 まじめってなあに?――誠実【高学年】
- 40 外国人から見た日本――愛国心 国際理解【高学年】
- 41 おばあちゃんのお話し玉手箱――誠実【全学年】
- Y ことわざ・格言小話
- 42 情けは人のためならず――思いやり・親切【中・高学年/導入】
- 43 後悔先に立たず――思慮・反省【全学年/終末】
- 44 早起きは三文の得――節度・節制【全学年/終末】
- 45 死ぬよりも苦しむ方が勇気を必要とする(ナポレオン)――勇気【中・高学年】
- Z 終末に使える小話
- 46 思わずほっとする人のやさしさ――思いやり・親切【高学年】
- 47 長生きしてね,シナモンちゃん――思わずほろっとくる命の物語【全学年】
- 48 我が家のシナモン――思わずほほえんでしまう動植物のいとおしさ【全学年】
- 49 思わず見たくなる,行きたくなる――自然愛 郷土愛 愛国心【高学年】
- 50 なぜ道徳を勉強するの?――道徳大好き【全学年】
◆まえがき◆
中・高で英語を教えている友人と話をしていたとき,道徳教育に話題が及んだ.「『道徳』という言葉をもっとやわらかいものに変えたらいいと思う」
大胆なことを言う.しかし,その意図するところはなんとなくわかった.
道徳というと,どこか重いイメージが伴わないだろうか.生命尊重とか,思いやりとか,公正公平などという内容項目のキーワードを並べられると,確かに大切なことであり,ないがしろにできないと思う.しかもそれが,いじめ問題や命を軽んずる事件・事故など,昨今の社会的問題と直結するだけになおさらだ.あたかもそれらの社会的問題を解決するために道徳が存在するかのような風潮さえ感じる.もちろん,道徳で大切にするものと社会で大切にするものとは根幹は同じである.社会的問題を道徳的アプローチから解決していく糸口を見いだそうとする試みもあってしかるべきである.
しかし,それを金科玉条にして一人一人に背負わせてしまうと,重くなる.その時点で道徳は知的好奇心とか探究心,興味・関心などという,他教科では当然心がける観点から離れた存在となる.面白いとか,やってみたいとかいう気持ちはとりあえず横に置いておいて,必要だから,将来役に立つから勉強しておこうという発想となる.子どもにとってそんな学習が面白いはずがない.指導する方も同様であろう.そのような背景から道徳を見るとき,冒頭の友人の言葉が妙に説得力を持って響いてくる.
「道徳好きの子ども」ってあり得るのだろうか.
その前に,「道徳好きの子ども」とはどういう子どもだろうか.「大人の言いつけやルールをよく守り,はきはきとした明るいよい子」だとしたら,あり得るかどうかの以前の問題である.そんな子どもをつくることが道徳教育の目的ではない.言いつけやルールが大切だと思っていても守れないときがある.悩み,落ち込むことがある.それは悪いことではない.なぜなら考えているからである.
人はよりよく生きたいと願う生きものである.しかし,何がよいことなのかということは,なかなか答えが見つからない.「こういうときはこうする」などという,マニュアルのようなたった一つの答えが用意されているわけではないからである.その答えは,自分自身で見つけ出さなければならない.そして見つけ出すために必要なものを道徳教育が教えてくれる.それを学ぶということは,自分の人生について考えるということであり,自分がよりよく生きるためにぜひとも必要なことである.他人事ではない.考えても考えても答えが見つからないかもしれない.それでも考えたい,もっと深く知りたい,そのような自己の内面を突き動かす衝動というのは,人が人として生きている限り必ず起きてくるものではなかろうか.それが生きるということである.生きるということは楽なことではない.つらいことも悲しいこともある.しかし,それらを全部ひっくるめて自分の人生として前向きにとらえることができたとき,「楽しい」と思えるのではないだろうか.自分の好き勝手をして,楽をして感じる楽しさとは次元を異にする楽しさである.
私は,人は「易きに流れる」と同時に,逆に「高みを求める」存在だと信じている.それはものごとを投げ出さずによりよい道を模索して生きていこうとする底力をそなえた子どもに通じる.
私が中学生の頃,山田太一さん脚本のドラマにはまった.視聴者に問題を突きつけてくる展開に,非常に考えさせられたものである.とても悩んだが,それは苦痛ではなかった.「なるほど,そういう考え方もできるのだな」「ああ,そうか.そう考えればいいんだ」などと,考えることの面白さを教えてもらった気がした.その思いがあまりに鮮烈だったことも現在の自分があることと無関係ではないのかと改めて思った.2年前,幸運なことにインタビューで山田太一さんと話をする機会に恵まれた.そのときに,前述のような自分の思いを伝えると,あっさりとこう言われた.
「あのとき作ったドラマは,意図的に問題提起をしましたが,自分としては異質の脚本です.本来は言語化してどうこうすべきということを扱うのではなく,いわく言い難い世界を書くことを心がけています」
なるほど,さすがに奥が深い.まだまだだ.やはり面白い.
きょう,どうとくのじゅぎょうがありました.わたしはこくばんに出てはっぴょうしました.ほんとうにわたしはどうとくのじゅぎょうが大好きです.いっしゅうかんに2かいか3かいあればいいなとおもいます.そうすればもっとクラスのみんなといろいろはなしあえるし,みんなのかんがえがわかるからです.先生,どうとくのじゅぎょうをふやせますか.
今年度,私が担任する1年生の子どもの日記である.考えたい,高みを求めたい,よりよく生きたい,このメッセージを,子どもは大人よりも素直に,ストレートに発してくる.私は道徳好きの子どもというのはあり得ると考える.
読者の皆様とも,「どうとく」について,ともに考えていきたい.本書がその一助となれば至上の喜びである.
授業にぜひ生かしたいでしすm(__)m