教師修業への挑戦7
「授業」でこそ勝負したい「京浜サークル」を目指した田舎サークルの歩み

教師修業への挑戦7「授業」でこそ勝負したい「京浜サークル」を目指した田舎サークルの歩み

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教師の仕事の中心は授業。授業でこそ勝負したい。

「授業でこそ勝負したい」と京浜教育サークル、向山洋一に憧れて「いなば教育サークル」は始まった。授業のヘタな私たちは法則化関係の本を読みあさり、少しでも向山氏、有田和正氏、野口芳宏氏に近づきたいと努力してきた。この書はそんなサークルの苦闘の記録。


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ISBN:
4-18-409714-6
ジャンル:
授業全般
刊行:
対象:
小学校
仕様:
A5判 168頁
状態:
絶版
出荷:
復刊次第

目次

もくじの詳細表示

はじめに
T 京浜教育サークル,向山洋一に憧れてここから「いなば教育サークル」は始まった
1 サークル結成前
2 学級崩壊の学級を救った法則化
3 同級生との再会
4 第1回いなば教育サークル
U 教育技術の法則化関係の本を読みあさる私を変えたこの本,私の宝
1 2冊の本との出会い
2 有田,向山両氏の本は道しるべ
3 『授業の腕をあげる法則』と出会うことで
4 野口芳宏『作文で鍛える』
V 学級通信を毎日書く
1 学級通信の激変
2 「アチャラ」に憧れて
3 学級通信は実践記録だ
4 学級通信1500号をめざして
W 合宿で学ぶ
1 山陰なしの会,島根合宿への参加
2 本合宿他参加
3 いなば教育サークル冬合宿
4 講座を開く
X 立ち会い授業にチャレンジ
1 ミニ立ち会い授業
2 安住・長谷立ち会い授業
3 いなば教育サークル附属小部会 氏橋VS長谷の授業の腕を上げる会
Y 研究授業奮戦記圧巻指導案に憧れて
1 圧巻指導案の大不評
2 研究通信へ移行
3 久しぶりに圧巻指導案に挑戦
4 時折研修記発行
Z 法則化論文200本への道
1 私の法則化論文第1号
2 100本を超えると見えてくる世界がある
3 法則化論文143号
[ サークル活性化への道
1 サークル執筆編
2 飲み会で夢を語る
3 サークルに喝を入れる
4 雑誌原稿を書くことで鍛えられる
\ 優れた授業を観る
1 ビデオを買うしかない!
2 よい授業を見ることが糧となる
3 吉川芳則氏の授業
4 優れた授業との出会い
5 一番衝撃を受けた授業
] サークルを続ける
おわりに

はじめに

 向山先生に野口先生に有田先生に憧れた。

 もちろん,各先生方の授業に夢中になった。

 少しでも近づきたい。

 子どもたちに力の付く授業ができるようになりたい。

 子どもたちが集中したり,笑顔で楽しく発言し合うような授業をしたい。

 そうした強い思いこそが,私たちを法則化運動に駆り立てた。

 そこには,「子どもたちに力を付けられない私」「楽しく知的な授業のできない自分」という自覚があったからだ。

 教師の仕事の中心は授業である。

 授業でこそ勝負したい。

 普通の先生では到達できない授業ができる教師たりたい。

 少しでも子どもたちにとって価値ある教師になりたい。

 サークルのメンバーはそうした熱き思いを抱いて2週間に1度例会に集まった。

 自分の実践を文章化し,正直に思ったことを言い合う会に自主的に参加したのである。

 私たちは,平素の実践を毎日振り返り文章化し,サークルに持って出かけることを10年以上続けた。

 それは,やはり授業が上手くなりたいという思いからだ。

 1年に何度も合宿を開いたのは,大量の法則化論文を書くためだ。そうした壁を設定するためだ。

 授業を見合う会は,真剣勝負の場だった。

 文章発表と違い,そのままを見られる。これ以上に緊張の場はなかった。

 授業を見合う会にはいろいろな問題があったので,自分の授業のビデオを撮り,見合う会も行った。

 あちこちの研究会に参加して勉強することも各自で行った。

 私たちのサークルは,他のサークルと違いイベントが苦手だった。授業をしたり,実践記録を書き,検討したりするのは好きだったが,チャレランなどのイベントには抵抗感が強かった。

 これも,いなば教育サークルの1つの特徴だろう。

 そして,日々の修業の中心は,何と言っても本を読み教材研究をし授業したことを記録にまとめる作業である。

 その中心は,学級通信であり法則化応募論文である。

 本書には,法則化運動に関わりながら私たちが修業してきたことをまとめた。


 法則化運動では,論文審査やビデオ検討,模擬授業などでバッサリと向山先生に斬られる。そうした経験が,教師を大きくしていく。

 私にとっては,附属小学校の存在も授業修業,教師修業としては大きかった。

 27才で附属小学校に転勤したが,そのころは法則化まっしぐらだった。

 年度当初の職員会で「今年きた先生の授業の腕を見る会」の提案があったとき,私は嬉しかった。

 附属は,授業をどんどんして見て指導してもらえる学校だと思ったからだ。

 だから,「授業やります。いくらでもやらせてもらいます」と職員会で諸先輩方を前に言った。

 純粋にそう思っていたのだ。

 ところが,先輩はこれを「生意気なやつだ。研究授業はそんなに甘いもんじゃない。ふざけるな」と言うのである。

 飲み会のときに,先輩教諭のある方からがつんと言われた。

 授業は惨憺たるもので,公立校では味わうことのできない強烈な批判を山ほど浴びた。

 しかし,私にとっては実に快い経験だった。どうでもよい指摘,傷口をなめ合うような同情。そうしたことのない研究会だったからだ。

 次に忘れられないのが,校内研究授業で再授業をすることになったことだ。

 2年生を担任し,生活科の授業を公開したときだ。

 授業が終わり,ある意味でほっと一息職員室に帰り休んでいると,研究主任の中林義一教諭からきつい一言。

 「何だあの授業は。話にならん。お前には秋の公開研究会で授業させられん」

 怒り口調で大声で,先生方の前で言われた。

 流石に多少ショックだった。

 しかし,どんなに酷く言われようがそれが自分の実力だと思っていたし,腹も立たなかった。

 授業の日の夜,反省会(飲み会)があり,研究主任に呼ばれた。

 授業のよい点悪い点を正直に言ってもらった。

 そして,「9月に授業案を書きますから,もう一度見てください」と自分からお願いした。

 中林氏は,「よし,やれ。見てやる」と言われた。

 9月,教育実習生が来ている中,指導案を書いて研究主任他先輩の先生方に指導案を持っていき,授業を見てもらった。

 「前よりましになった。まあ最低線の合格かな」

 中林氏の授業評であった。

 こうした授業修業は,法則化運動に参加しているからこそ苦痛でなく楽しくできたのだと思う。

 もう,15年くらい前のことであり,今となっては懐かしい。


   いなば教育サークル代表 /長谷 博文

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