- まえがき /大森 修
- 第1章 全ての教師が驚嘆した横山ドクターの授業介入
- 1 宮木栄一氏の授業を横山ドクターが斬る
- (1) この授業では何をしなければいけなかったのか
- (2) 大森修は自閉症児にこう対応していた
- (3) 学校としての仕組みが必要になる
- (4) 授業をどう組み立てるのか
- 2 津田浩氏の授業を横山ドクターが斬る
- (1) 横山ドクターはここで介入した
- (2) ワークづくりにも原則がある
- 3 和田清治氏の授業を横山ドクターが斬る
- (1) 横山ドクターはここで介入した
- (2) 現実の教室ではこれが四六時中である
- 第2章 同時解説で横山ドクターが明らかにする授業技能
- 1 周囲の子たちへの配慮はできているか
- 2 学ぶべき対応がある授業
- 3 作文ワークの授業は,たった一言言うだけでよい
- 1回目「ADHDの反抗しないタイプの子がクラスにいる授業」
- 2回目「ADHDで反抗するタイプの子がクラスにいる授業」
- 第3章 同時解説で横山ドクターが明らかにする国語科授業のキーポイント
- 1 テンポが子どもにあっているか
- 2 教師がきちっと範読できているか
- 3 正しく音読できないうちは先に進めない
- 4 「分かったこと・気がついたこと・思ったこと」の発問で国語の授業は成立するか
- 第4章 横山ドクターの批評を受け続けることでのびる授業技量
- 1 授業を通して,「分かること」が何か変わったか
- 2 グレーゾーンの子どもの隣の子を確認しているか
- 3 易しくしてやればいいというわけではない
- 4 これが上級者の視線の配り方だ
- あとがき 大森塾編集委員会
まえがき
大森塾は,当初,新潟塾として出発をした。新潟塾は,さまざまな教育問題を最先端の講師を迎えて指導を受ける会であった。
例えば,宇佐美寛氏からは「論理的な思考」の指導を受けた。
小森茂氏からは,国語科の諸問題への取り組みの指導を受けた。
こうした一方で,サークルのメンバーが自らの実践を公表し,授業をして見せた。
新潟塾から多くの教師が巣立った。彼らは行政や各地区で指導的な役割を果たしている。主立った者が巣立ったことで,会としての役割も一段落をしたのを契機に,会の在り方を一新することとなった。
そして,大森塾が誕生した。
大森塾が発足と同時に取り組んだのが,特別支援教育である。
大森塾の記録は冊子としてまとめられて,多くの教師にも届けるようにした。特別支援教育にかかわるさまざまな課題が緊急なものであったからである。
参加者数や冊子の数は,教師の数からするとたかだか0.1パーセントにも満たない。たかだか,それくらいの数でしかないが,大森塾に参加した教師が,地元で特別支援教育の重要性と緊急性を訴えるセミナーを次々に開催するようになった。
大森塾の種はまかれ,育ったのである。
大森塾のこれまでの冊子をテーマごとに編集をして,特別支援教育への実践的な提案をしてはどうかという依頼を受けた。提案者は江部満明治図書相談役である。ありがたいことである。
本書が特別支援教育の充実に資することがあれば望外の喜びである。
なお,「大森塾」は「OMORI塾」と改称してバージョンアップをした。毎年,8月の第3週の土曜日に開催している。
平成19年4月 /大森 修
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- 明治図書