- はじめに
- 自 序
- T 子どもが生きる発表学習とは
- ―これからの国語学習に望まれるもの―
- 1 従来の教育の弊害
- 2 望まれる子どもの姿と国語教育
- 3 「発表学習」に向けて
- 4 「発表学習」の具体的なあり方
- U 発表学習の楽しさを求めて
- ―聞くこと話すことの力を―
- 一 毎時間の「私からのニュース」スピーチ
- 1 話題を求めて
- 2 三分間スピーチでの向上
- 3 ここでつく力は
- 二 私の短歌レポートを作ろう
- 1 発表学習への本格的な取りかかり
- 2 「私の短歌レポート作り」の学習展開
- 3 個人追究テーマの設定は
- 4 「私の短歌レポート」の発表に向けて
- 5 短歌の発表学習を振り返って
- 6 短歌創作への挑戦
- 三 特別ニュース番組を作ろう
- 1 意見文からニュース番組へ
- 2 「特別ニュース番組を作ろう」の授業展開
- 3 取材結果をまとめ、そして主張を見つける
- 4 更に効果的に伝える
- 5 学習の向上に向けて
- 四 宮沢賢治の童話「やまなし」に挑戦
- 1 文学的文章の「詳細な読解学習」と「発表学習」
- 2 難解な宮沢賢治の「やまなし」に挑戦
- 3 わたしの宮沢賢治「やまなし」
- 4 文学的文章を扱っての発表学習
- 五 古典の音読発表への挑戦
- 1 音読を中心にしての発表学習
- 2 「平家物語」を音読発表で
- 3 「扇の的」の音読発表学習の流れ
- 4 音読発表へ向けての取り組み学習あれこれ
- 5 評価によって更に向上を
- 6 古典の音読発表学習から学ぶもの
- V 学習の創造性を求めた発表学習
- 1 発表学習の楽しさ
- 2 「話す力」「聞く力」を育てる
- 3 発表学習の創造性
- おわりに
はじめに
今は、新学習指導要領への移行期にあたり、年間百時間もかけておこなわれる予定の総合的学習をどうするかで、教育界は懸命である。教科の枠をこえた、文字通りの総合学習をめざすので、これまでの改訂とはまったく異質の試みが求められている。
これまでに各教科の基礎・基本だけは十分に達成されたので、次には意欲的に総合、つまり応用をねらうのだ、という勢いであるなら、まことに慶賀すべき改革であろう。もっとも有効な応用力とは、一つ二つの教科においてではなく、いくつかの教科を含み、かつ、教科の枠にとらわれない、総合的な学習において、初めて真の到達度がはかられるものである。その意味で、総合的な学習が設けられたのは、意義のある試みだと言えよう。
だが、しかし、どの教科であれ、はたして自身の領域における基礎・基本が、もう十分に育成できている、と言えるのであろうか。もし、まだまだ、これまで以上に基礎・基本の学習を続けなければならない実態があるならば、問題は深刻である。時間数は減少する。それに、総合的な学習の大々的な実践は迫られている。今までの時間数でも不可能であった基礎・基本の力をどのようにして育てるのか。現在、はっきりしていることは、この問題を打開するには、従来とは別の、または、これまであまり重視してこなかった方法を採用しなくてはならない、という方向だけである。
「国語科で総合学習を支える」という本シリーズは、この方向をとり、どのような試みが可能かを提案しようとするものである。理論というよりも、現実に実践できる具体策をめざした。努力すれば、だれでもできる授業構築を、とねらった。中でも、指導者はむろんのこと、学習者自身が楽しく学べる国語教室でなくては意味をなさない、と覚悟を決めて試みたものばかりである。教室の主人公は、児童・生徒である、とは言葉で語られるわりには、実践化に乏しいうらみがあった。学習者主体の授業をと願った結果が本シリーズである。
国語科にそくして言えば、国語の基礎・基本を学ぶことが、そのまま総合的な学習の基礎となり基本となるような授業でなくては、現下の問題の解決にはならない。国語の時間の一時間一時間において、生きて働く言葉の力を、教室の全員に、つまり、一人のもれなく育成している授業形態にしていく必要がある。本シリーズのねらいは、そこにある。
そのために、さまざまな方策を試みた。中には、従来、安易に流れ、無視されてきた方法が、この度の改革に応えるためには、ぜひとも活用すべきである、という確信のもとに活用されたものもある。伝統の良さは、問題が深刻なときほど、かえりみるに値する。それは、歴史の教えるところである。
幸い、以上の私の考えに多くの実践家が賛意を表してくださった。その方々の努力の結晶がシリーズの形をとって世に問うことができる。現代が抱える教育の重い問題に、いつも敏感に反応される明治図書の江部満さんの賛同を得ることもできた。そのおかげで、ここに、総合的学習に向けて、ある意味では、ゆるぎない姿勢で取り組める国語科の一つの道を示すことができたのではないか、と考えている。多くの実践家の、さらなる提案をまって、この道をより確固たるものに練り上げていきたい。多数の批評を切に乞う次第である。
平成一二年七月 /中西 一弘
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- 明治図書
- おもしろく拝見しました。「発表学習」と言っても,「話す・聞く」だけの力ではなく,「読む」や「書く」と言った力がとても重要になることがわかりました。特に興味深かったのは,宮沢賢治の「やまなし」の授業でした。教師が,どんな課題にも対応できるように,深く教材を研究しておかないと,このような授業はできないと思います。参考にしたいと思います。2001/5/5東雲