- 「はじめに」に代えて 声を届ける。声を受けとめる。
- T 今こそ求められる教師の話す力・聞く力
- 一 今こそ求められる教師の話す力・聞く力
- 1 教師に話す力が求められている
- 2 話し方と教え方とは、どう違い、どう同じか
- 3 教師に聞く力が求められている
- 二 話力とは
- 1 「話力」とは
- 2 豊かな人間性としての心格力(つまり、人間性)
- 3 正確で豊かな内容力
- 4 的確な対応力
- 5 話力は三要素の積である
- 三 表現の原則
- 1 正確に言う
- 2 分かりやすく言う
- 3 感じよく言う
- U 話の対応
- 一 対応の仕方
- 1 対応の仕方
- 2 聞き手にさせるための工夫
- 二 挨 拶
- 1 挨拶の目的
- 2 挨拶の言葉
- 3 挨拶の仕方
- 三 紹 介
- 1 自己紹介の目的
- 2 自己紹介の仕方
- 3 他者紹介
- 四 聞くことの大切さ
- 1 教師の聞き方
- 2 訊く──単発質問・二重質問・多重質問
- 五 言語環境づくり
- 1 現代社会における言語教育
- 2 日本人の言語的な対人距離
- 3 場づくり・空気づくり
- 六 非言語コミュニケーションの活用
- 1 非言語コミュニケーションの種々相
- 2 非言語コミュニケーションの活用
- V 話の機能
- 一 知らせる・分からせる 報告・説明
- 1 「説明」と「報告」の機能
- 2 「報告」とは
- 3 報告の仕方、受け方
- 4 「説明」とは
- 5 説明の仕方
- 二 説く・納得させる 説得
- 1 「説明」と「説得」との関係
- 2 説得の基本的条件
- 3 「一対衆」ないし「一対多」の説得
- 4 「一対一」の説得
- 5 説得の仕方
- 三 感動させる・語る スピーチ
- 1 脱「長い。しつこい。押しつけがましい」
- 2 スピーチは総合的な音声表現
- 3 スピーチの話題
- 4 会合に合った話を、会合に合った話し方で
- W 教師の力量としての話力
- 一 授業運営力としての発問
- 1 深い教材研究
- 2 子どもたちへの熱く鋭い対応力
- 二 話し合いの巻き起こし方
- 1 話し合いを進める態度
- 2 話し合いを進める手順
- 三 評価の言葉
- 1 褒める
- 2 叱 る
- 3 励ます
- 四 面談・面接
- 1 相づちの言葉
- 2 非言語コミュニケーションの活用
- 五 朗読・読み聞かせ・語り(ブックトーク)
- 1 朗 読
- 2 読み聞かせ
- 3 語り(ブックトーク)
- X 教師の話力を支える理論的背景
- 一 言葉は事実そのものではない
- 1 私たちは報告の世界にいる
- 2 言葉は事実そのものではない
- 3 言葉は人を枠組みにはめる
- 二 言語には必ず話し手の視点が入る
- 三 情報的内包と感化的内包
- 四 抽象のはしご
- 五 二値的反応と多値的反応
- 六 早急な断定
- 1 全体化の現象
- 2 日付無視の現象
- Y 教師の話力を支える人間的背景
- 一 教育愛
- 二 会話を楽しむ
- 1 話材を選ぶ基準
- 2 会話のエチケット
- 三 ユーモアで包む
- 1 ユーモアとウィット
- 2 ユーモアの生み出し方
- 3 ユーモアの表し方
- おわりに
「はじめに」代えて
声を届ける。声を受けとめる。
今、教師は、子どもたちに、的確に話しているだろうか。
今、教師は、子どもたちに、存分に語っているだろうか。
今、教師は、子どもたちを、本心で褒め、本気に叱っているだろうか。
今、教師は、子どもたちの声に、真剣に耳を傾けているだろうか。
表面的に、なぞっているところはないか。安易に言葉を発していることはないか。
例えば、教師は、「何でもいいから質問しなさい」と言う。そして、子どもからの質問に対して、時に、「何だ。そんなことが分からないのか」とけなしたり、「それは、いい質問だ」と褒めたりする。いずれも、子どもたちは不審に思う。「えっ、先生は何でもいいからと言ったのに、いい質問、悪い質問と分けているんだ。評価してるんだ」と考える。次から、「何でもいいから質問を」と言われても、もう、どんな質問でもしてよいとは思わなくなる。質問が少なくなる。
言葉は正確に発しよう。「どんな質問でもよい」と言ったのなら、質問の質を評価するのはやめよう。質問の質を評価するのなら、「今日は、質の高い質問を期待します」とか「質問の程度を競う質問ゲームをしよう」とか、評価することを明言しよう。そうすれば、子どもたちは質問の作り方・仕方を勉強することになる。
教師の話す行為・聞く行為は、子どもたちの知と心とを拓く大きなエネルギーとなる。それは、子どもたちと教科内容や教材とを結びつけるものとしての力でもあり、その話す姿・聞く姿そのものが教材となって子どもたちに学ばれるものともなる。反面教師にだけはなりたくない。話すこと・聞くことのプロとして、教師自身の知と心と技とを磨きたい。人前で話すことを職業とする教師は、話すこと・聞くことのプロなのだ。他の職業の人たちとは違うのだ。自覚を持とう。力をつけよう。プロの人間として、子どもたちに語りかけよう。
子どもたちを取り巻く言語環境は、大きな変貌を見せている。音声言語、文字言語に加えて、携帯電話やパソコンによるメールなど新しいメディア言語とも言うべき言語媒介が生まれている。子どもたちの理性や感性や、人間としての態度そのものにも、強大な刺激を与えている。
加えて、近年、「見る、聞く、話す新ロボット」が数社によって開発され、既に売り出している企業もある。このロボットは相手を認知し、その人に合った会話をする能力を持っている。顔写真や誕生日などを事前登録しておくと、「お帰りなさい」「お誕生日おめでとう」と、話しかけてくるのだそうだ。「その人に合った」というところが、面白くもあり、危険でもある。気に入った会話が交わされるであろうが、思いがけない展開という事態は生まれないだろう。また、ロボットが気に入らなくなったらどうするのか。初期設定を変更したり、ロボット本体を捨ててしまったりするのか。
ロボットならいいが、相手が人間の場合どうなるか。気に入った人以外とは接触しない、忌避するという事態は生まれないか。相手を自分に合うように、ネジ曲げようとはしないか。そうなったら恐いことである。子どもたちがそれを始めたら、教師はどうするか。手をこまねいて傍観しているか。
一方、音声発生装置なる機械も開発され、これもまた既に売り出されている。インプットした文字言語を、適切な日本語音声で読み上げるのだ。聞いてみると、日本語として少しも不自然さを感じない。この装置には、例えば「ハ」の音が何十通りも用意されていて、「橋」と「端」のアクセントの違いどころでなく、「話」と「発信」の「ハ」を瞬時に区別するなど、文脈からそれぞれに合った「ハ」を瞬間的に選び出し、音にする。純正で自然な日本語に聞こえる。
この装置を前にして、教師の範読をどうするか。この機械は、読み間違えない。訛もない。感情を抑えて読んでもいる(もともと感情などないのだ)。まことに範読の典型としての性格を備えている。また、教師の語りをどうするか。この機械は、日本語としての発音は完璧に近い。ただし、この機械には、欠点がある。いわば、「欠点がない」という欠点がある。日本語として適正だ、完璧だということは、即座に人間として魅力があるとはならない。
また一方、泣いている乳児の傍らに置くと、数秒で乳児の泣き声を、空腹、退屈、不快等の五種に分析し、該当するランプが点灯するという機械が売り出された。「あっ、お乳だ」「あっ、おむつだ」と、瞬時にして分かるのである。便利だけれど危険でもある。
泣いている乳児を抱き上げ、問いかけ、語りかけるところから、コミュニケーションが始まり、乳児は日本語のリズムを体得していくのだろうに、そのチャンスが奪われかねない。最初、これは国外からの移入品であったが、国内でも同種の機械が開発され、発売され始めた。これへの対処を、対乳児の問題であって、学校教育の対象外だとしてしまってよいか。またもしかしたら既に、教師にも、子どもの訴えを、便利に素早く分類して処理しようとの気持ちがありはしないか。
以上の三種の機械にはできないことがある。それは、人間として話し、語り、聞くということだ。
人間の声を届け、人間の声を受けとめよう。教師は、その力を持とう。教師には話力が必要なのだ。
平成一七年一一月 /高橋 俊三
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