- まえがき ――子どもは二度学ぶ
- T 第2教育言語とは何か
- ――学びを評価・注釈・支援する第2教育言語とそのヒューマン・パワー
- 1 教育言語と学びをリードする第1教育言語とフォローする第2教育言語
- 2 第2教育言語の3つの基本形と学びの活性化
- (1) 第2言語の3つの基本形
- (2) 評価言語(エバリュエーション)
- (3) 注釈言語(コメント)
- (4) 支援言語(アドバイス)
- 3 学びをひらく第2教育言語の構成とその活性化
- (1) 学びの状況と文脈を生かす第2言語
- (2) 学びの消極的・否定的側面に対応する第2言語の構成と表現
- (3) 3つの基本形の組み合わせによる学びのエンパワー
- U 第2教育言語の教育コミュニケーション力
- ――学びをひらく第2教育言語の力――
- 一 教師のかける第2教育言語の特質とその力
- 1 子どもとのコミュニケーションをひらく第2教育言語の意義と機能
- 2 教育コミュニケーション類型と第2教育言語の機能・役割
- 3 学びをひらく第2教育言語の6つの機能・効果
- (1) パイロット機能
- (2) ガイダンス機能
- (3) カウンセリング機能
- (4) パーソナル・リスポンス機能
- (5) カンファレンス機能
- (6) パラフレーズ・コメント機能
- 二 子どもの希求する第2教育言語
- ――教師に発信される子どもの希望――
- 1 子どもから遊離する第2教育言語
- 2 子どもの期待する第2教育言語の6つの中身
- (1) 肯定・受容する言葉
- (2) 挑戦させる言葉
- (3) 興味・関心をひろげる言葉
- (4) 固有なあり方を発見する言葉
- (5) 希望をひらく言葉
- (6) 信頼を伝える言葉
- V 学びを閉ざす第2教育言語
- ――ディスコミュニケーションを生むその一言――
- 1 学びを閉ざし・奪うもの
- 2 ディスコミュニケーションを生む第2教育言語のの指標
- (1) 自己診断(メタ自己認知)の欠落
- (2) アンバランスな言葉とその多用
- (3) 目標と手段の混同
- (4) 的外れとタイミングのズレ
- (5) 可能性の無視
- (6) 固定化と無改廃
- (7) 人権の無視とラベリング
- (8) 一貫性と具体性の欠落
- (9) 結果重視と過程軽視
- (10) 無責任と無修正
- (11) 身体性と対話性の欠落
- (12) 学びに対する想像性の欠如
- W 学びをひらく第2教育言語の構成法と話法
- ―― 子どもを元気にするその一言――
- 1 学びの数ほど創造できる第2教育言語
- 2 学びをひらく第2教育言語のの構成法
- (1) 肯定法・否定法
- (2) パラフレーズ法・コメント法
- (3) 形容詞・副詞・感嘆詞の活用法
- (4) 最大級(最小級)表現法・アナロジー表現法
- (5) 比較(対比)法・メタファー法
- (6) 直接話法と間接話法
- (7) 加点法と減点法
- (8) 点数法・評点法・評語法
- (9) 自己内省法
- (10) 個人的構成法・相互的構成法・集団的構成法
- (11) 非言語的伝達法
- (12) 活字媒介法・メディア活用法
- (13) 多元的スケール活用法
- X 教育言語論序説
- ――子どもと教師の間をひらく教育コミュニケーション技法の探究――
- 1 今日の教育問題を読み解く1つの見方とその処方箋
- 2 教育言語はストレートに教育言語内行為とは結びつかない
- ――指示待ちではなく、独自の判断で行為する子ども――
- 3 教育言語は子どもの内的対話と納得を介して言語内行為と連結する
- ――人間的で正当な教育言語を求める子ども――
- 4 教育言語は単数より複数の方が対話と言語内行為を呼び込む
- ――学びのために確かで豊かな情報を必要とする子ども――
- 5 教育言語の適切な構成が言語内行為の意味を効果的に伝達する
- ――教師の見方と教育言語の反映である子どもの学び――
- 6 教育言語の説得力ある構成が言語内効力を生み出す
- ――教師のシグナルやメッセージを自主的に判断する子ども――
- 7 教育言語の内実を左右するのは教師の刻々の教育的判断である
- ――確かな学びを促す教育言語を支持する教育的基礎とその過程――
- 8 教育言語を取りまく条件を無視すると確かな学びは遠のく
- ――適切な教育言語として必要な6つの条件――
- 9 教育言語を豊かにするのは教師の教育的能力である
- ――子どもにかける教育言語を支持する6つの能力――
- あとがき ――第2教育言語が変わると子どもは変わる
まえがき―子どもは二度学ぶ
学校教育は、教師と子どもとの間で行われるコミュニケーションを介して子どもの成長をひらく意図的な営みである。そこでは、一種の刺激であり、外化された音声あるいは文字であるコトバと、それが受容され意味づけられた言葉が、中核的な働きをしている。したがって、この両者間のコトバと言葉による遣り取り・コミュニケーションがうまくかみ合っている、両者が感得している限りにおいて、その教育は成立しているということになる。
ところが教育実践の場において、教師と子どもとの対話やコミュニケーションがうまくかみ合わない、進まない状況が、じわりじわり広がっているといわれている。その原因がどこにあるのか、現在のところそれに対する答えは、対人関係能力の未熟など様々であり、定かではない。筆者が指摘したいのは、教育において必要となる要素の内、ある要素だけを強調・絶対化して他を排除する、バランスを崩した教育のあり方である。それは具体的には、わが国の教育に棲み付いている以下のような3つの傾向である。
(1)今回の学習指導要領の改定に基づいて行われた新「教育課程・カリキュラムの編成」という教育の根幹になる教育内容や教科書を替えれば、現在の状況に変化が起こり、子どもは変わる。元気になる、意欲的に学ぶ(エンパワーされる)ようになる、と2つを直結させて考える傾向。教育の成果は教育内容だけでなく、教育方法や学習形態なども考慮しなければ、一時の効果は見られても長続きはしないものである。
(2)前回の学習指導要領に基づく教育以来、それまで重視されていた教師の直接的・一斉的な指導観・姿勢を見直し、時代の求めている自立した個性的な学び、自ら考え生み出す学びとするためにそれを間接的・個別的な指導観・姿勢(支援)に換えると、子どもの主体性・自主性・個性が育ってくる、と指導と自主性を二者択一なものとして捉える傾向。むしろ子どもは、根拠の無い自信を持ち、自分以外の他者を振り向かない、他者と関わらない独善的・閉鎖的・孤独でコミュニケーション不全の傾向を強めているように思われる。
(3)子どもの学びに対して教師の判断する評価や具体的にかける言葉の規準(基準)を変えると、彼らは満足する、達成感を持つ、学ぶ力が育つ、と短絡的に期待する傾向。だが子どもはそのようにはならず、「低学力」や「無欲」批判の対象となっている。
教育内容を変えても、指導のあり方を違えても、評価や言葉かけを工夫しても、子どもたちにはその効果は次第に見られなくなってきた。それどころか、子どもたちは学級崩壊・不登校・引きこもりの増加、学力や学習意欲の低下という姿・形で、そのような教育への回答を行っているように思われる。これまで大人の思案し、実行してきた対応の何かが、子どもとその育ちとの間で食い違っていると考えざるを得ない。
多種多様な教育改革とその実施、そのスピードの速さ、求められる成果、その説明・結果責任と外部評価、と矢継ぎ早に迫ってくる改革の大波の中で教師と学校は多忙化し、ゆとりと希望を無くしていると言われる。子どもの成長を指導・支援する教育はいつも、時代の変化や未来の見通しを受けた内容の下で行われる必要があるとは言え、安定した人間関係、安心して学べる雰囲気、納得や実感の持てる過程が何よりも大切になる。
上述のような情勢や状況の中で、子どもとの対話やコミュニケーションを主導する教師の言葉に拘り、そのあり方に焦点を当て、そこからこのような諸問題の原因とその改善内容を分析し、その一助を試みたのが本書である。それによって現在、求められている子どもの学びをひらく、教師の教え育てる力のパワーアップ、エンパワーの道筋が見えてくるのではないかと考えた。
授業において教師の利用する言葉には、これまでも言われてきたように、指示・説明・発問・助言・評価がある。これらの言葉にはそれぞれ次のように教育的な機能・役割が期待されている。
・子どもに適宜に声をかけ、特定の目標や方向に向けてその学びを促す、あるいはそれを抑制する指示
・学ぶ事象や事柄の本質的内容を子どもの成長と能力に応じて的確に伝え理解を誘う説明
・追究し解明したい課題を持たせ、それに関する子どもの固有な思考・認識表現を誘発してその達成へと方向づける発問
・学びで得た子どものイメージや考え方の深化・拡大を通して目標達成に向けて支援する助言
・学びの過程や成果を価値づけ、それを活性化し達成感を持たせると共に問題点を子どもに自覚させる評価
教師はこれらの言葉とその組み合わせにより、子どもの学びが目標に向けたゲマインテンポ(共同の足取り)の中でアイゲンテンポ(固有な足取り)を中心にして進むように支援しながら、その教育的意図の実現を目指すのである。その重要な役割を果たす言葉が子どもに届かない。彼らの身にかからない、また届いても彼らがそれを正確に理解しない、そのために両者間の対話やコミュニケーションが滞っているのである。
その停滞は、とりわけ子どもに学びのあり方やその内容の消極面の克服や排除を意図する場合に行われる教師の指示や要求において顕著になる。修正や再考の指示が彼らに伝わらず、無視・反発されるのである。その状態が打開できずに広範囲に及ぶと、次第に現在問題化している授業の不成立や学級崩壊と言われる状況に到るのである。
子育て環境と育ち方が大きく変化した今日の子どもには、教師の否定音コトバはミスマッチとなり、彼らの中で言葉として受容・意味づけられ、学びの内容修正に取り組むというシグナルとはならないのである。むしろ彼らにはそれは煩い、ノイズのコトバとして感じ取られ、彼らから聴くことを拒否される事態が発生している。
そのことから授業において両者がわかり合うどころか、むしろ相互間ですれ違い、誤解、対立が起こり、対話=コミュニケーション不全、信頼関係の構築不能に陥っている不幸な教育実態を直視し、その改善にあたることが求められている。
このような状況には、これまで授業における教師のカウンセリングマインド、学校カウンセラーとの連携、精神科医の助言などと、心理学や医学の支援が大切として、それらによって何とか対応や改善がなされてきた。しかしそれにもかかわらず、事態は解決・打開されること無く、拡がり深まっているのが現況である。そのような支援や連携は今後とも重要であることは間違いない。その上で学級定数の改善、子ども一人ひとりの学びを支援できる教員の配置、少人数授業やTT指導など、教育条件の改善や整備を基礎に、教師の確かに豊かに教え育てる力が発揮され、そしてその力量が拡大深化する一方で、子どもの学ぶ力や他の子どもとの関係力も身につき、さらにそれが向上するような教育のあり方を探究する中でも、その解決・改善を目指さなければならないと考えるのである。
そのようなことを意図しながら本書では、教師の利用する上記の言葉を含めた意図的な言葉を、教育言語と捉え、それを第1教育言語と第2教育言語に分けた上で、今日の授業や学びの指導における教育困難の原因とその改善を、とりわけ第2教育言語とそのあり方に求めた。そして教師の教え育てる力の内実を成す、(1)学びの目標と学びの状況に即したその適切な構成、(2)機と文脈に応じたその媒介、(3)子どもの状態や反応を受けてのその修正、(4)さらに子どもとその学びに対する表現のある真撃な受けとめ、という教育言語による「小さな・可動性のある教育」(教育課程や教科書による大きな・不動の教育と対比して)によって、子どもの学ぶ力、教師と子どもとの対話やコミュニケーション、両者の関係構築にも肯定的な変化、確かな効果が生まれることを述べた。
本書の内容は以下の通りである。第T章では、授業における教師の表現する言葉を教育言語と捉え、それを子どもの学びをリードする第1教育言語とフォローする第2教育言語に分けた上で、第2教育言語の基本となる3つのパターンを示し、その基本形となる教育言語による子どもとその学ぶ力、教え育てる力のエンパワーについて述べた。第U章では、様々なコミュニケーション類型の下で教師の子どもたちにかける適切な第2教育言語のあり方も、6つの内容面から論及し、彼らの学ぶ力や教師の教え育てる力の変化にも触れた。
また第V章では、教師の日常かけている第2教育言語が子どもとその学ぶ意欲や力をエンパワーするどころか、その性質やあり方によっては逆にそれらをパワーダウンすることがしばしば出てくること、その原因となる12の特質とはどのようなものか、を教え育てる力の力量アップも含めて指摘した。第W章では、子どもの学ぶ意欲や学ぶ力のエンパワーに寄与できる第2教育言語のあり方には様々な構成法が考えられること、それを可能とする13の方法を具体的な例を挙げ、合わせてこの側面からの教師の教え育てる力の向上を提案した。
さらにX章では、本書が提案する教育言語の特質を、「言語行為論」に習って理論的に追究し、未だ拙劣ながら「教育言語論」として提唱してみた。その中では今日の教育問題や教育課程の原因とその打開に関わって子どもの学ぶ意欲や力、教師の教え育てる力の向上も合わせ、これからの教育言語のあり方について論述した。
子どもは、いわば二度学ぶ。最初は第1教育言語で引き出される学びとして、次に第2教育言語で発展的にひらかれる学びとして。
平成15年9月 /山下 政俊
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- 明治図書