- まえがき
- T 『子どもによる授業』を、なぜ今?
- 1 子どもは力をもっている!
- 2 『子どもが育ち合う』という発想への転換
- 3 『子どもが育ち合う』という発想に立つことによって変わるもの
- ――『子どもは子どもによって育つ』――
- U 『子どもによる授業』を創るには、どのようなことから?
- ――取り組みの実況中継――
- 1 「おたずね」のもつ魅力
- 2 「おたずね」の力を育てることから取り組む
- ―― 一年一学期(平成一三年度)・朝の会での「元気調べ」と「友だちの発表」――
- 3 「類推」言葉を育てる
- ―― 一年一学期(平成一三年度)・朝の会での「元気調べ」と「友だちの発表」――
- 4 文章で表したものに「おたずね」をする
- ―― 一年二学期(平成一三年度)・朝の会での「日記発表」と「夏休みの自由研究発表」――
- 5 家に帰ってからの「調べ直し活動」に取り組む子に
- ―― 一年三学期(平成一三年度)・「冬休みの自由研究発表」多郷さん「十二支」――
- V 『子どもによる授業』を取り入れた「『気になる木』の『はっぱ』をふやそう」という学習を創る過程
- 1 「『気になる木』の『はっぱ』」が茂る教室
- 2 一年生で取り組む「『気になる木』の『はっぱ』をふやそう」の学習は『観察した絵を活用する授業創り』で行う
- 3 一年生での反省に立って、二年生での授業創りを改善する
- ――『観察した様子の場面劇を活用する授業創り』――
- W 大きく育った「気になる木」
- ――六年星組「『気になる木』の『はっぱ』をふやそう
- 〜阪神大震災・大研究」(二〇〇〇年度)の授業分析―― /岩ア 紀子
- 1 ぼくたちが主役
- ――「『気になる木』の小さな「はっぱ」たち」――
- 2 「お父さんとお母さんはなんでそこまでして仕事を続ける必要があったのかな?」
- ――森川さんの「授業者」体験から「気になる木」の授業をよむ――
- 3 「『気になる木』の『はっぱ』をふやそう〜阪神大震災・大研究」をよむ
- X 各研究者から見た、小幡学級の『子どもによる授業』
- 一 小幡肇実践―授業の魅力 /木全 清博
- (1) 小幡肇実践との出会い
- (2) 小幡肇さんの「授業」から見えてきたこと
- (3) 小幡さんの「授業」の意味合い
- 二 「気になる木」になる果実―小幡実践と自律的学習法 /松本 康
- (1) 子どもの勢い
- (2) 「気になる木」の秘密
- (3) 大きな「気になる木」の下で
- 三 子どもが存分に生きることへの感受性 /守屋 淳
- 四 「『気になる木』の『はっぱ』をふやそう」の事始めのころ /藤井 千春
- 五 「二十の扉」と小幡実践 /江間 史明
- (1) 「二十の扉」の発想
- (2) 「気になる―おたずね」活動の特質(三年月組の実践から)
- 六 小幡学級の教室風景 /森脇 健夫
- (1) 天井から吊り下がった「はっぱ」
- (2) 教卓と子どもの机の配置
- (3) 黒板の役割
- (4) 教室の小道具たち
- Y 五人の研究者のコメントを読んで考えたこと
- 1 『子どもによる授業』を支える授業観【木全氏への応答】
- 2 子どもの勢いを創る朝の会(お笑い係、大活躍・平成一四年度二年星組)【松本・守屋氏への応答】
- 3 『子どもによる授業』に託す教師の教育観【藤井氏・江間氏への応答】
- 4 子どもの発言を育てる板書【森脇氏への応答】
- あとがき
まえがき
奈良女子大学文学部附属小学校での教職生活を過ごす中で、私は「子どもは自力でのりきり、自分で自分をかえていく力をもっている。そのもっている力を発揮する場と機会を創っていく」のが授業だと考えさせられるようになってきていた。
そして、「子どもたちが自分たちで育ち合うような教室が作れないだろうか」そんな思いでこれまで授業をやってきた。
そのような、自律的な学習者を育てようとしてきた奈良女子大学文学部附属小学校の伝統(学習法)の今日的な意味を踏まえ、一つの授業実践を生み出した。そのことをぜひ皆さんに知っていただきご批判を受けたい。
また、私が創り出した「『気になる木』の『はっぱ』をふやそう」の授業がどのような経緯のもとに生まれたのか、どのような具体的な姿なのか、そしてどんな子どもたちを育てたのか、ということを明らかにしたいと思う。
子どもは、ある対象に関わり合いながら問題を発見する。自分の力で解決方法を模索し、あるいは他の子どもたちの発想や推察をてがかりに、その問題を解決していく。その際、また新しい問題を見つけていく。そしてそのサイクルの中に、「見る」「話す」「聞く」「書く」という力をどう組み込み、育てていけばよいのだろうか、子どもたちどうしがどのように育ち合う関係をつくればよいのか、と私は考えてきた。そして次のような構想に行き着いた。それが「『気になる木』の『はっぱ』をふやそう」の授業である。
その基本的な「流れ」は以下のとおりである。
(表省略)
くわしい説明は本文に譲るが、この順次性に意味があると考えている。「話す」ことは「聞く」ことによって行われなければ、本物にならないし、「書く」ことは自らの立場と意見を確固としたものにする、すなわち「考える」ということと連動しなければならない。しかも、十分に「対話」によって材料が出そろったときに行われなければならない。
そして、一九九五年度から六年間の授業構成は、実際には次のように変遷をたどっていった。
【第一学年】
・一年生にも可能な独自学習として、観察活動と表現活動によって絵に表す。
・観察した絵を活用する、相互学習の授業(「『気になる木』の『はっぱ』をふやそう」の授業)。「給食室ではたらく人、大研究」「家の人、大研究」
・「『気になる木』の『はっぱ』をふやそう」の授業を通して浮かび上がった、さらなる『気になる』ことを再度調べ直しに行く。
【第二学年】
・一年での構成を母体としながら、観察した絵を活用する手法から観察した場面劇を活用する手法に切り替える。「学園前の町、大研究」
【第三学年】
・観察した場面劇を活用する手法からインタビューしたことを使った劇創りに切り替える。
「観光客がよく来る・奈良の町、大研究」
【第四〜六学年】
・三年間かけて環境問題を意識していく題材に取り組む。
(第四学年)「大和郡山市の金魚生産家、大研究」
(第五学年)「木を育てる・木を使う、大研究」
「電気をつくる・電気をつかう、大研究」
(第六学年)「阪神大震災、大研究」
本書の内容をおおざっぱに紹介しよう。
第T章では「『子どもによる授業』を、なぜ今?」ということで、『子どもが育ち合う授業』という発想の転換に至った私の問題意識について述べたい。
第U章では、『子どもが育ち合う授業』の具体的な授業の姿を浮き彫りにしながら、「おたずね」を中心に授業を組み立てること。そして、見ること、話すこと、書くことを組み合わせていくこと。その意義について述べたい。
第V章では、この『気になる木』の授業がどのように生まれていったのか、具体的な方法論がどのように確立されていったのかを跡づけてみたい。いわば「はっぱの授業」の入り口、入門編である。
第W章では、六年生の子どもたちの「『気になる木』の『はっぱ』」の授業の分析である。第V章で一年生として『はっぱ』の授業に入門した子どもたちは、いったい六年生になったときにどのような成長をとげているのだろうか。研究者として一年間六年生の子どもたちと関わった岩ア紀子氏に分析をお願いした。第V章が入り口であるならば、第W章は出口という位置づけになるだろう。
第X章は、この一〇年間、それぞれの時期に私の学級に関わりを持った研究者たちの私の実践へのコメントである。忌憚のないところをコメントしていただきたい、と依頼した。
私は奈良女子大学文学部附属小学校に一九九〇年度に赴任してきた。奈良女子大学文学部附属小学校では原則的に一年生の担任はその子どもたちを卒業させるまで担任を持ち上がる。
九五年度から「『気になる木』の『はっぱ』をふやそう」の授業実践を始めた。そのきっかけは九三年度に持った五年生の子どもたちとの体験が大きく影響している。
九五年度、一年生だった子どもたちは二〇〇〇年度に卒業することになる(第一回目の巡り)。そして新たに私は二〇〇一年度に一年生の担任になった(第二回目の巡り)。
この実践記録では、九三年度から二〇〇一年度までの子どもたちが登場する。
第T章では九三年度の五年生、二〇〇一年度の一年生
第U章では九五年度の一年生、二〇〇一年度の一年生
第V章では九五年、九六年度の一年生、二年生
第W章では二〇〇〇年度の六年生
現在、二巡目の「『気になる木』の『はっぱ』をふやそう」の実践を行っている。一巡目はまさに模索を重ねながら実践を作り上げていった時期とするならば、二巡目の今回はその完成をめざす時期と言えよう。一巡目には果たされなかった、「相互学習をさらなる独自学習にどうつなげるか」という課題のもとに現在三年生の子どもたちと格闘しているところである。
二〇〇三年六月 /小幡 肇
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- 明治図書