- まえがき
- 第一部 教科書の使い方を変える
- 一 「教科書を教える」ということの本当の意味
- 1 教科書だけを教える時代は終わった
- 2 補充・発展教材開発の大切さ
- 3 教科書を教えることの本当の意味
- 二 「教科書を教える」ことのむずかしさ
- 1 キーワードは何か
- 2 中核になるものは何か
- 三 教科書を使うべきところと発展教材を使うべきところ
- 1 教科書のいい教材は使うべき
- 2 日本海側はなぜ雪が多いのか
- 四 総合的学習はなぜ教科書を作らなかったか
- 生きた教科書を活用するため
- 1 総合的学習の本当の目的は?
- 五 自分が使いやすい形に書き込み、はりつけをして、自分流の教科書を作る
- 1 自分流の教科書を作る
- 2 自分が使いやすい形式に
- 3 教科書がまっ黒になるまで書き込む
- 六 新しい教科書に向けて新しい勉強法を考えよう
- 1 文字で教える時代は終わった
- 2 教科書をワークにしてみる
- 3 新しい教科書の使い方
- 七 「手間やひま」をかける指導のしかたを考えよう
- 1 有田式の教科書を作りたい
- 2 総合は本当に定着するのか
- 3 手間・ひまかけることの大切さ
- 八 「何を」「どのように」鍛えるか常に考えておく
- 1 ある新聞のコラムから
- 2 文を正しく書くということ
- 3 「鍛える」ことを忘れてはならない
- 九 いろいろな人に学びながら自分で教材を作ること
- 1 自分で努力して教材を作ること
- 2 誰からでも学びたい
- 十 本来の教育のあり方を考えさせてくれた総合的学習
- 1 教育は子どもを変えること
- 2 教える主体は教師である
- 十一 複数の教科書を検討してみよう
- 1 同じようで異なる教科書
- 2 二種類以上の教科書を比べて見る
- 3 学習指導要領のために子どもがいるのではない
- 十二 教科書は誰のためにあるのか?
- 1 誰のために教科書があるのか?
- 2 「子どものために」とはどんなこと?
- 3 「子どものため」とは子どもに活動させることだ
- 第二部 魅力ある子どもを育てる技術
- 一 基礎・基本を考える
- 1 タラントのたとえ
- 2 これからは教育の方法を変えるべきだ
- 3 教材の条件
- 4 発展学習
- 5 授業も変える
- 二 魅力ある教師が魅力ある子を育てる
- 1 「はてな?」発見力を育てる
- 2 将来魅力ある人物になることを信じて
- 3 応用力とユーモアのある子どもに
- 三 教科書をしっかり教えれば自然に発展する
- 1 教科書だけで満足できるか
- 2 教科書を面白く教える工夫を
- 3 教科書から発展させる
- 四 白神山地の写真から導入
- 1 教師が一番面白いところから始める
- 2 白神山地は教材の宝庫
- 3 木を育てるということ
- 4 秋田杉の歴史
- 五 子どもが自分で考える授業
- 1 教え込む授業が多すぎる
- 2 知的好奇心をゆさぶる資料の提示
- 六 教師の「教えたいもの」が、子どもの「学びたいもの」になっているか
- 1 「これだけはなんとしても教えたい」ものが鮮明か
- 2 「発問・指示」が的確か
- 3 構造的な板書ができているか
- 4 資料活用がうまいかどうか
- 5 「話し合い」が上手かどうか
- 6 話術・表情・パフォーマンスなどの技術
- 7 「対応の技術」と授業の雰囲気
- 七 補充・発展的学習までやれると面白いのだが?
- 1 発展学習まで本当に行えるのか
- 2 補充学習をどこまで充実できるか
- 3 補充・発展までやると面白い
- 八 考えることが楽しいネタを提示する
- 1 子どもは考えることが好きだ
- 2 考えることは楽しい
- 3 面白いネタの提示を
- 九 体験から店はてな点を見つける力を鍛える
- 1 知識がないとものが見えない
- 2 興味関心がふくらむときは本物
- 3 問題意識はひょいと出てくる
- 4 手がかりの発見は数量
まえがき
学力低下の声が吹きあれているが、その大もとをたぐってみると「教科書」にいきつくようだ。なぜなら、学習指導要領を忠実に反映し、具体化したものが教科書であるからだ。内容三割削減を具体的に反映しているのが教科書で、これを削られた授業時数で指導すれば、当然の結果として学力が低下する。
学習指導要領に書かれている内容が基礎・基本とするならば、教科書も当然、基礎・基本が欠ける状態になっているといってよい。これは著者の責任というよりは、学習指導要領の責任であり、文部科学省の責任である。
しかし、文部科学省をいくらせめても、学力がつくことはない。
わたしの授業は、今使っている「教科書の使い方を変える」ことによって、学力低下を防ぐだけでなく、学力向上さえできるということを具体的に示したことである。それは、「教科書を教える」ことに徹することだ。「教科書を教える」ということは、教師がその内容を完全に自分のものにし、自分の使いやすい形に書き込みやはりつけをして、「自分流の教科書を作る」ことで可能になる。
「教科書を教える」ということは、実は大変むずかしいことなのである。「教科書で教える」ことの方が、まだやさしいといってよいだろう。総合的学習は教科書を作らなかった。このため定着度は悪いけれども、本気でやってるところは、まさに「生きた教科書」を作って指導している。教師が「手間ひま」かけて教材開発をし、指導のしかたを工夫している。だからきちんとやってるところは、すごく力がついている。
教科書は、「子どものために」あるのであり、子どもに指導する教科の手がかりにするためにあるものである。
わたしたちの教育活動は、「子どものために」行っているのである。そうならば、教科書も教師が自分流に解釈し、教えやすいように書き込みをしたり、はりつけをしたりして、内容をふくらまして指導に使うべきである。
もう一度いう。「教科書を教える」ということは「自分流の教科書をつくり出し、それをわかりやすく教えること」である。このための方法を「第一部」で詳しく述べた。有田式の教科書を書いたことも述べた。間もなく明治図書から出ると思うが、これはわたしの教科書観を具現したものである。
「第二部」では、「魅力ある子どもを育てる技術」を、九つの分野に分けて詳しく述べた。
これは、「第一部」の具体編である。「教科書を教える」ことによって、「魅力ある子どもを育てることができることを具体的に述べたものである。教科書の使い方によって、「こんな魅力ある子どもが育つのか」ということがおわかりいただけると思う。
今まで「教科書を教える」ことによって、魅力ある子どもが育つということを主張した人はいないのではないかと思う。わたしは、昭和五一年より社会科の教科書の著者をさせていただいている。教科書に対する思い入れも大きい。わたしが、教材開発に力を入れてきたのは、教科書に新しい教材を入れ、子どもがよろこぶ社会科をつくり出したいと願っているからである。「第二部」から先に読んで、後で「第一部」を読んでいただくと、「教科書を教える」ということの本質がわかりやすいかもしれない。
本書は、明治図書編集部の江部満編集長より、ご支援をいただいてまとめることができた。記してお礼を申し上げたい。ありがとうございました。
二〇〇五年五月 /有田 和正
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- 明治図書