- 刊行にあたって 名古屋大学教育学部長 /日比 裕
- はじめに /安彦 忠彦
- 第1章 本校における総合学習の歩み…「総合人間科」前史
- 1 研究旅行における“実験”
- 2 総合学習の2つの試み
- (1) 中3における総合学習「人間について考える」
- (2) 高3文系選択科目としての総合学習「生命について」
- 第2章 総合的学習としての「総合人間科」
- 1 生きる力とは何だろう
- (1) 卒業式の答辞から 〜かけがえのない平和を〜
- (2) “学ぶに値する”もの 〜それが生きる力を育てる〜
- (3) 新しいタイプの中高一貫教育を 〜現代の課題を教育の目標に〜
- 2 国際理解と平和の教育を目指して
- (1) 憲法講演会 〜笠木透のコンサートから〜
- (2) 演劇鑑賞 〜本物の芸術を〜
- (3) 修学旅行を「国際理解と平和の教育」の学びのフィールドワークへ 〜中3は広島・大久野島,高2は沖縄へ〜
- (4) 中1・高1の野外学習の積み上げ 〜地域から人間的な生き方を〜
- 3 “総合人間科”の誕生へ
- (1) 総合人間科とはどんな教科か 〜現代の課題を学ぶ総合的学習〜
- (2) 中高6ヵ年で,現代の課題をどう取り上げるか
- (3) 全校すべての教師が教科の壁を乗り越えて
- 4 新しい学習方法を取り入れて
- (1) 学年会は総合人間科の教材研究の場
- (2) 250ヵ所を超すフィールドワーク
- (3) 大学(名古屋大学)に学ぶ生徒たち
- (4) インターネットで発信する
- 5 総合人間科の「評価」をどうしたか
- (1) 評価主体をどう考えたか 〜4つの主体〜
- (2) 総合的能力とは 〜4つの観点〜
- 第3章 総合人間科の実践(1)
- ・・・・・中学校編“感動の卒業式”
- 1 チンプンカンプンでも中学生――1年生
- 何がなんでもコミュニケーション
- 学生服着た先生登場
- 生き方の扉を探せ!
- 訪問された大人からの感想
- 2 「生命の源」って何だろう?――2年生
- 不安とわくわくからのスタート
- 「え〜っ?!」という声で始まった総合人間科
- 生徒の力で動き出した
- 「牛乳のことなら何でも聞いてください」
- 親も子どもを見直す
- 名古屋大学でいろいろできる
- 工夫を凝らした中間発表
- 世界で1冊の研究論文をつくろう
- 生徒と総合人間科
- 3 「多くの人はどちらかに片寄っている」――3年生
- 海外の話を聞きたい
- すいとんを作ろう
- インターネットをどう使うか
- 夏休みを利用して広島修学旅行の事前学習
- いよいよ広島へ
- 昨年よりさらにおもしろい研究発表
- 一年を振り返って
- 第4章 総合人間科の実践(2)
- ・・・・・高等学校編
- 1 自分を知る――1年生
- 好奇心の扉
- 自分探しの旅
- いのちのネットワーク
- 学校を飛び出して 〜地域に広がる学びの場〜
- 心の力をつける
- 2 個から集団の学び合いへ――2年生
- 生徒が授葉をつくる 〜高校2年のテーマ授業〜
- ともに学ぶ力 〜1人からみんなに〜
- 「高いお金を出して,観光ができない旅行なんて…」
- ディベートで学ぶ沖縄
- 「沖縄の米軍基地は撤廃するべきである」
- 沖縄でのフィールドワーク
- 「太陽のありがたみがわかるだろう」 〜アブチラガマ
- 放課後の編集会議 集団生活で人間が分かる
- 3 あらためて生き方を考える――3年生
- スピーチによる学び合い
- “小学校の教師になりたいわけは?”
- CDで総合人間科の記録を
- 卒業論文で自分の生き方を考える
- 本当はまじめに考えたいのだ
- 第5章 学校の主人公は子どもたち
- 〜生徒会活動と生徒指導のあり方を求めて〜
- 1 中・高一貫の生徒会活動 〜学校祭を中心に〜
- (1) 学校祭の「テーマ」決めは全員で
- (2) 学校祭のテーマを象徴するものって?
- (3) 「エイサー」で結ぶ心“命どう宝”
- (4) 名古屋大学の研究室を訪問
- (5) 総合人間科の展示で,他の学年と交流しよう
- (6) アイディアを形にしよう。新しいことをやってみよう
- 2 「生きる力」と生活指導 〜生活指導はどう変わったか〜
- (1) 「総合人間科」と生活指導 〜すぐには表れない効果〜
- (2) 「生き方」を考えさせる生活指導
- (3) 生活指導の具体的事例をめぐって
- (4) 家庭・スクールボランティアとの連携
- 第6章 成長する教師たち
- 〜総合人間科から教師が学んだこと〜
- 総合人間科を行った感想
- 総合人間科実践にともなう苦労
- 教師も生徒も“ともに学ぶ”
- 総合人間科で生徒はどう学ぶのか
- 総合人間科で生徒は何を学ぶのか
- 開発法の手順化・附属学校の存在意義
- 第7章 21世紀の教育のあり方を求めて
- 1 20世紀の教育から21世紀の教育へ 〜2つの生きる力〜
- 2 附属学校のあり方
- (1) 附属学校の果たしてきた役割
- (2) 入試選抜の方法の変遷をめぐって
- (3) 新しい附属学校を求めて 〜その課題をみてみよう〜
- 3 生きる力を育てる総合人間科の持つ意義
- 4 おわりに 〜まとめ〜
- (1) 現代が要請する学力はどんなものかをさらに追求し続ける
- (2) 教科学習のあるいは学校教育のさらなる人間化
- (3) 覚えさせる教育から考えさせる教育へ
はじめに
本書は,名古屋大学教育学部附属学校が,長年の実践的研究をもとに,平成7年度から本年度までの3年間,文部省の研究開発学校として,とくに精力的に取り組んできた共同研究の成果である。
現今の教育問題は世界各国の主要関心事の一つであり,政治的課題としても最大の論点の一つとなっている。日本においても,中央教育審議会は,去る6月に出した「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」において,小・中・高のすべての学校段階で「総合的な学習」の時間を設けるよう提言している。本校が「総合人間科」のカリキュラム開発を志したのは,そのはるか以前のことであるが,この度の提言を見ると,本校の研究実践は,その「高校における」具体的な実践例として,そのモデルとなりうる性質のものである。
そもそも,学校の教育課程を「総合」と「分化」の観点から見ることは,カリキュラム論的には極めて古くからのものであるが,「総合」の方が常に多くの問題を提起してきたと言える。ここでも本校の実践研究において,やはり「総合」人間科と言える内容,性格はどのようなものであるかという点が,重要な問題となっている。しかし,結局この点については,本校はほぼ現在の社会的な重大問題,私のいう「究極的な問題」としての「環境問題」「国際理解」「平和問題」などを主とするテーマを中核にし,それらを,生徒自身の「生き方」の学習の流れの中に位置付けていることに特徴がある。
第2にここで強調したいことは,中・高6年一貫の「総合人間科」カリキュラムを開発しようとしたことである。その内容構成を見ると,「生き方」−「生命・環境」−「平和・国際理解」−「生命・環境」−「平和・国際理解」−「生き方」という順序になっており,中・高を通した「生き方」の観点からすると,6年間を義務教育の中学校と非義務教育の高校に二分した上で,1−2−2−1という区切りの形をとっていると言えよう。このように区切ることは,実際上6年間のカリキュラム全体の構造にも適用されてよいと考える。なぜなら「生き方」から入り「生き方」に終わることは,生涯学習の時代にふさわしい青年期教育の在り方の一つを示しているからである。
第3に,「総合」を「脱教室」「脱教科」「脱学校」「脱偏差値」などの既成の学校教育の枠組みをこわす方向で実現しようとしていることである。そもそも「総合」の意味するところを明確に規定することはむずかしい。ここでは,「分析」の対概念として考えれば,「教科」の対極にあるものとも言えるが,それ以上に「教科」横断的で,時に教科無視,ただ体験や経験そのものを重視するものと言ってもよい。実際、「教科」の学習成果を「総合人間科」の時間に「総合」することよりも,初めから教科の枠組みなしに学習が展開されており,その特性は教科外活動たる「学校行事」との組み合わせの強化あるいはフィールドワークやディベートなどの「学習方法・表現方法の転換」として具体的に示されている。
第4に,評価面では,「総合人間科」が求める「総合的能力」とは何かを少しでも明確にし,教師評価に加えて「自己評価・相互評価」を重視し絶対評価で評定しており,あくまでも学習者主体の授業であることを貫こうとしている。ここに示された「総合的能力」の内容はほぼ妥当なものであり,よく考え抜かれていることが知られよう。実際,ここまで明確にしたものは,とくに高校段階ではほとんどなく,本格的なものとしては本校のものが最初といってもよいであろう。ただ,やはり,これらと「教科」での目標や学力との関係がまだ明らかでなく,今後の大きな課題である。この関係がそれほど単純なものでないことは,生徒の日常の言動の様子から知られる。またこれは,生徒の自己評価を評定に使っていることとも関係があり,今後はもう少しきめ細かく吟味されてよい。
最後に,総合的な学習の教育課程全体の中での位置付け,重みづけの問題がある。本校では,高校では必修と選択の2種類の教科として設置したが,とくに必修では時間数が不足し,実際は所定単位以上の時間を費やしている。最低2単位ぐらいは必要ではないか,と考えているが,教科の学習を圧迫せず,むしろ促進するような,相互活性化の働きが生まれるとよい。本校でもそのような例はかなり認められる。
終わりに,このような試みが実のあるものになるためには,これを社会的に高く評価する声が強まり,大学や企業などの産業界が今日的な要請に応えるものと認めなければならない。しかし,学歴主義や一元的評価基準からの一日も早い脱却が求められ,保護者の意識変革を促す大学入試方法の改革が期待されながら容易に実現しない。子どもの方が,このような大人や社会に見切りをつけつつあるように思われる。教育における大原則は,「子どもの未来決定の自由」である。子どもが,自由に学習の内容を総合化し,自ら望む社会にしていくことを許すような教育や学校でなければ,「教育」ではなく「教化」である。本校はこの自由をこそ今後も大切にしていきたい。
本書の刊行まで,さまざまの面からご援助を頂いた名古屋大学の加藤廷夫総長,森 正夫副総長はじめ,本部事務局の方々,教育学部の日比 裕学部長はじめ,すべての学部教官・職員の方々に,この場をかりて厚くお礼申し上げたい。
1997年10月27日
名古屋大学教育学部附属中・高等学校長 /安彦 忠彦
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- 明治図書