- はじめに
- T 総合的学習をどう創るか
- 一 クロスカリキュラム論に立つ総合的学習の創造 /笠原 始
- 1 五日制へ向けた開かれた学校を/ 2 横断的・総合的な学習で一層効果的に/ 3 クロスカリキュラム 論に立つ総合的な学習/ 4 規制緩和からの発想
- 二 総合学習と社会科の関連をはかる /有田 和正
- 1 社会科も体験活動が必要/ 2 総合学習と社会科/ 3 総合学習は社会科を充実させる
- 三 分業請負型社会科からプロジェクト編成型社会科へ /梅野 正信
- 1 分業請負型社会科との決別/ 2 社会科が取り組む二つのフロジェクト〈いじめ・登校拒否と国際化〉/ 3〈第一プロジェクト〉固有な人格の尊厳性を獲得するためのプロジェクト/ 4〈第二プロジェクト〉異質な文化を理解し、受容するためのプロジェクト/ 5 社会科は消えてしまうのか
- U ボランティア学習を特設せよ
- 一 ボランティア学習「時間」はなぜ必要か /向山 洋一
- 二 ボランティア教育は、人と人の隙間を埋める教育である /甲本 卓司
- 1 日本には、ボランティアを必要としないシステムがあった/ 2 ボランティア活動とボランティア教育は、異なる/ 3 ボランティア教育は、カリキュラムの中で成長する/ 4 新設の準備 ボランティア学習にこれだけは必要/ 5 人と人との心をつなぐボランティア教育
- 三 ボランティアを「総合学習の時間」に取り入れるときの視点と具体例 /明石 要一
- 1 学校の活動を分類する二つの軸/ 2 ボランティアをどの領域に位置づけるか/ 3 道徳の授業との違いは何か/ 4 教育課程の中に「福祉宣言」を位置づけた学校/ 5 「福祉宣言」をし、「福祉の日」を設けた実践
- 四 ボランティア教育の推進 /斎藤 勉
- 1 キリギリスもボランティア/ 2 ボランティア活動と学び/ 3 ボランティア活動の時間の保証を
- V 生活科の授業を三年生以降にどう展開させるか
- /中野 重人
- 1 生活科とは何か/ 2 生活科の波紋/ 3 三年以上へのつながりは/ 4 総合的な学習への発展
- W 国語科から日本語科への改編はなぜ必要か
- 一 国語国文学の国語科から論理と言語の技術の「日本語」科へ /市毛 勝雄
- 1 中教審に対しての提言内容/ 2 「提言」に至るまで/ 3 「日本語教育」と区別しなくてよいか/ 4 提案の主眼は「目標」と「内容」である/ 5 論理と言語の技術教育を強化せよ
- 二 「言語の教育」の新生のために /野口 芳宏
- 1 「国語科」の名称変更の時期/ 2 「国語」とはどういう意味か/ 3 名称変更の重要性/ 4 名称変更についての私の見解
- 三 「日本語科」への改称と言語の教育の体系を /阿部 昇
- 1 「国語」に含まれる二つの問題/ 2 「国語」という名称の特殊性/ 3 「日本語科教育」の教科内容の改編
- X 小学校の英語学習をどうするか
- 一 コミュニケーション教育へのことばの教育の再編 /向山 浩子
- 二 小学校の英語学習の原則を探る /杉浦 宏昌
- 1 小学校の英語の学習の原則/ 2 小学校の英語の学習を将来に生かすための読書力
- 三 小学校の英語学習の導入について /藤田 房子
- 地域在住の外国人との交流/ 留学生との交流/ ALTとの交流/ 国際研修生との交流/ 青年海外協力隊との交流/ 海外経験者の日本人との交流/ 姉妹校/ 英語劇に取り組む
- コンピューターの利用/ 歌/ チャンツ・ライム・マザーグース
- 世界のニュースに学ぶ/ テレビ放送の利用/ 各教科との関連づけ
- Y 応募論文
- 一 マンガ教材を使った「読み方の技術」 /有田 和臣
- 要旨/ 1 マンガは「子どものもの」とは限らない
- 2 教材としてのマンガのメリット/ 3 サダカネアイコ作『チビチビ』/ 4 書かれていないことを読み取ろう/ 5 物語の(表と裏)
- 二 五時間でできる高校国語科デイベートの授業プラン /近藤 聡
- 1 本研究の目的/ 2 五つの指導事項/ 3 五時間の授業のアウトライン/ 4 五つの指導事項の詳細な発問・指示の記録
まえがき
『教育技術研究No.6』〈特集−五日制時代の教科再編の視点〉をお届けする。
われわれ教育技術研究に関心のある者は、現在の学校教育活動が社会的に適切な役割を果たしているか、これからの社会に教育がどのように位置づけられるべきか、子どもたちが自分の受けた教育を将来どのようにして評価するか、それに対してわれわれ教師はその評価をまともに受け止める準備はあるのか等の重要な課題に常に十分検討を加えつつ、日々の教育活動が確実に効果を上げるための指導技術の改善に努力している。わが学会に対する「悪しき技術主義」という見当違いの非難は克服され、「教育は技術である」という方針は広く受け入れられつつある。
二十一世紀を間近にひかえて、教育界が直面している課題は「五日制」である。この「五日制」問題は、日本社会が成長期を過ぎ、西欧先進諸国のような成熱型縮小均衡型になったことを示している。教育界のわれわれは当然、これに対して対応しなければならない。
認識しなければならないことは、教育界が息抜きのできる気楽な制度を期待したから、「五日制」になったのではなく、日本社会が「五日制」に移行しなければならないような社会になった、という点である。それ故、「五日制」が教育界においては「打ち出の小槌」のように、すべてのことをつごうよく叶えてくれると思うのは間違いである。むしろ、縮小均衡型の特性が前面に現れて、多くの抑制と犠牲とをともなうはずである。
例えば、(縮小均衡だから)カネとモノはないが工夫でやりくりする場面が増える、私立学校は五日制を採らないから進学希望の多くの児童生徒が公立小中学校よりは私立に流れる、公立小中学校は全滅するわけにいかないから私立に負けない学力を「五日」で保証しなければならない、暇つぶしのような授業をやっている学校はたちまち評判になって児童の入学者がなくなってしまう、児童数が定員に満たない小中学校は廃止される、(公立)学校でも先生の評判がわるいと翌年から入学者が激減する、そうなると過員になるから評判のわるい先生は即刻転任させられる、児童数は減る一方だから小中学校の統廃合が進んで先生の肩たたきが始まる等の、教師にとっては競争の時代に入る。これが、「五日制」の現実である。これは特に不景気な予測図ではなく、多くの民間会社ではとっくに「リストラ」と言われて続いている現実であるし、多くの高校や一部の小中学校では、すでに現実化し始めている。
「五日制」とはこのような教育界の構造的な変革を伴う大事件だから、二十一世紀の学校改革をめざすと言われる中教審第一次答申や、それに続く「まとめ」でも、現実を先取りして大号令をかける勇気は出ないようである。これは、賢い選択と言えるだろう。その日暮しの先生方の多い中で火中の栗を拾って恨まれるよりは、現実が進行し、のんきな先生方さえもこれは大変だ、何とかしなければ、という騒ぎになって危機感が盛り上がったときに、やおら立ち上がって方針を示すほうが、ずっとかっこいいからである。
このような「五日制」観に立てば、われわれの研究しなければならないことは、はっきりしている。教師としての競争に負けない指導技術を磨くことであり、何を削り、何をしっかり指導するかを見極める判断力をつけることである。
本特集は、その期待に応える内容を備えるべく努力したが、十分な成果と言えないかもしれない。そこは会員諸氏がこれは「問題提起」にすぎないとして、大いに自分なりの展開を計っていただきたい。火の粉はいよいよ他人ごとでなく、我が身にふりかかる事態となったのである。
会員諸氏の健闘を祈る。
一九九七年十一月 編集委員会委員長 /市毛 勝雄
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明治図書















