- はじめに
- 序
- 音楽教育と「批判=批評=クリティーク」
- 「美」について
- 「公共」について
- 「非他律論」を語ること
- 本書の構成
- 趣味判断の非他律論──カント『判断力批判』と音楽科教育
- 序論
- 音楽科教育とカントの不遇な関係
- 学習指導要領における「よさや美しさ」と音楽における美
- 本論の射程と翻訳本について
- カントの認識論概説──コペルニクス的転回と趣味判断の位置づけ
- 哲学におけるコペルニクス的転回
- 美の主観と客観
- 趣味判断とその四つの契機
- 第一の契機「美の無関心性」と音楽科教育
- 「知る」と「感じる」の違い──認識判断と趣味判断
- 三つの「感じる」を腑分けする──善いもの・快適なもの・美しいもの
- 美の無関心性
- 第一契機の総括と音楽科教育の関係:純粋美的判断への憧憬
- 第二の契機「主観的普遍性」と音楽科教育
- 「美しいものは人それぞれ」はどう克服できる?
- 快感情が生まれる仕組み──構想力と悟性の「自由な戯れ」
- 主観的普遍性の意味と意義
- 第二契機の総括と音楽科教育:「自由な戯れ」がもたらすもの
- 第三の契機「目的なき合目的性」と音楽科教育
- 「美しさ」の根拠はどこにある?
- 「目的なき合目的性」──趣味判断の根拠
- 「自由な美」と「附随する美」──趣味判断の射程
- 第三契機の総括と音楽科教育:「附随する美」がもたらす主観と客観の非他律的関係
- 第四の契機「範例的必然性」と音楽科教育
- 「美しさ」は他者と共有できるか
- 「理念」としての共通感覚
- 趣味判断の範例性
- 第四契機の総括と音楽科教育:趣味判断の超越論的肯定性
- 趣味判断の非他律論──音楽科教育と「美」
- 『判断力批判』における四つの契機の総括
- 趣味判断における他者の存在可能性──バーンズのカント論と本論の差異
- 結語:趣味判断の非他律論
- 公共音楽試論──アーレント、ベイリー、エスペラント語
- はじめに──音楽と公共の接面
- アーレントの公共哲学
- 『人間の条件』と活動的生活──労働・仕事・行為
- 公共性の二つの定義──公開性と人為性
- 私的領域は不自由?
- 公私概念の変容と「社会的なもの」の台頭
- 音楽と言語/自然と人工
- 公共の制作──人工言語の思想
- 自然音楽と「美の規準」
- 自然音楽に公共性はあるか?
- 公共音楽試論──フリー・インプロヴィゼーションのその先へ
- 人工音楽としてのフリー・インプロヴィゼーション
- 公共音楽の構想
- 結語:公共音楽論と趣味判断
- 音楽科における主体性と主観性
- ──「文化の創造」を中心とする新たな音楽教育原理の提案
- はじめに──音楽科における主体性への問い
- これまでの音楽科教育は「過去につくられたよさや美しさの規準」を子どもに継承させてきた
- 子どもの表現は文化的なルールに束縛される
- 「よさや美しさを取り扱う科目」であることの特殊性
- 「文化の創造」としての音楽教育
- 「文化の継承」の価値
- おわりに──開かれた学びへ
- 音楽科における「学びに向かう力」とは何か
- ──カリキュラムの余白と到達目標の排他性
- 「一生使える知識」は存在するか
- 「学びに向かう力」は育成可能な資質・能力である
- 「学びに向かう力」= 「自分で自分をレッスンする力」
- 音楽科の授業における「自律性の高い学習環境」の具体
- カリキュラムに余白をつくる
- 固定的な到達目標を超えて
- 音と音楽の分水嶺──「よさや美しさ」と音楽づくり
- 「音を音楽へと構成する」という発想の謎
- 音楽とは何か──記述的事実と規範的問い
- 「よさや美しさ」の視点から音響を捉える教科
- 「よさや美しさ」の主観と客観
- 音楽づくりと「よさや美しさ」
- 音楽科教育の公共性──美と公共の倫理的邂逅
- 公教育の公共性について
- 公共性の諸相── official, common, open
- 音楽科に公共性はあるか
- 公教育が直面する困難
- 「美」と公共性──音楽科教育の倫理
- おわりに
- 初出一覧
- 文献一覧
はじめに
音楽教育に関して建設的な議論がしたい──それが本書の根底にある私の素朴な欲求である。音楽ほど私にとって魅力的な対象はない。かつてクラシック音楽に夢中になった身として、あるいは即興演奏に人生を救われた身として、音楽への偏愛と感謝を私が忘れることはないだろう。一方で、言葉はどうだろうか。この先の序論に(半ばぼやき気味に)書いてあるように、音楽を捉える慣例的な言葉のあり方に対して私はいつも不満を抱いてきた。音そのものとしての音楽とその周りに浮遊する語彙の関係性──「言葉と物」の関係性、と言い換えてもよい──について言葉で考えること、その難しさについて自覚的であること。本書が目指すのはそういった思考に接続されるような言説だ。
とはいえ硬くならないでほしい。あるいは、音楽と言葉の関係性についてメタに思考することを恐れないでほしい。私は実は何も大したことをいっていない。「音楽教育について私とお話ししませんか?」とカジュアルに誘っているだけのことである。本書は、私のポリフォニックな独り言に付き合ってくれる仲間を探すために書かれている。
/長谷川 諒
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明治図書

















