- プロローグ
- パート1 死刑
- 一 「死刑」とは何か ――国家による殺人か、当然の刑罰か――
- 二 復讐 か 断罪 か、それとも… ――「目には目を、歯には歯を」の真意――
- 三 『聖書』は刑罰・死刑をどう考えているのか
- 1 苛烈な「旧約」の世界
- 2 「新約」の愛の世界
- 四 死刑を続けるべきか否か ――世界の死刑観――
- 1 死刑廃止への世界的傾向
- 2 それでも多い死刑の存続国
- 3 日本の死刑――昔と今
- 五 死刑執行のバリエーション
- 1 「一三階段への道」は本当か
- 2 死刑のシンボル――ギロチンと電気イス
- 3 人道的な死刑の執行とは
- パート2 子どもの犯罪と刑罰
- 一 子どもたちの犯罪ナウ ――オヤジ狩り・援助交際・ドラッグ――
- 二 「子ども」とは何か ――児童・少年・女子少年――
- 三 「少年法」という法律を読む
- 1 何のための法律なのか
- 2 問題点はあるのか、ないのか
- 3 世界の「少年法」を比べてみると
- 四 子どもの犯罪へのアプローチ
- 1 教育・治療か刑罰か
- 2 少年院・鑑別所という世界
- 3 刑務所と子どもの犯罪
- 五 おそるべき世界の子どもたち ――子どもの犯罪アンソロジー――
- パート3 グローバル社会と犯罪・刑罰
- 一 日本人の常識と世界の常識 ――「八百万の神」の国の危険性――
- 1 お宮参り・教会ウエディング・お寺の墓地という一貫性
- 2 クリスマスやバレンタインも犯罪になる?
- 二 「軽微な犯罪」と侮ると…
- 1 シンガポールでの「ポイ捨て」
- 2 アメリカでの「一枚のヌード写真」の重さ
- 3 日本での「○○はご遠慮ください」の意味
- 三 「公」と「私」と犯罪
- 1 ダイアナ元妃の事故死と「パパラッチ」
- 2 芸能人とテレビ・ワイドショーとリポーター
- 3 皇居は公館か私邸か
- 四 グローバル社会での共生と異文化 ――居・食・住をめぐって――
- 五 犯罪・刑罰と教育
- 1 喫煙・飲酒・自転車は勝手でいい?
- 2 犯罪をテーマにディスカッション、ディベート
- 3 宗教と教育
- エピローグ
プロローグ
一九九七年五月二四日、金曜日。
神戸市須磨区の閑静なニュータウンで、ショッキングな殺人事件が発生した。小学校六年生の男児が殺害された上、その首が切り取られ、中学校の校門前に置かれるという、猟奇的 なものだった。
やがて、「酒鬼薔薇聖斗」を名のる犯行声明文が、地元の神戸新聞社に届けられる。そこには、「さあゲームの始まりです……積年の大怨に流血の裁きを」とあった。事件の真相は、犯人像はと、マスコミは連日このニュースを追い続けた。
しかし、一か月後の六月二八日。ショックは更に増幅する。犯人として、一四歳の中学校三年生の少年が、殺人・死体遺棄の疑いで逮捕されたのである。それは、第一六期中央教育審議会が、「二一世紀を展望した我が国の教育の在り方について」の第二次答申を行った二日後であった。
この事件は、日本国内だけにとどまらず、海外のジャーナリズムも大きく取り上げ、様々な視点からの議論を巻き起こして、今日に至っている。例えば、
「今日の学校教育は機能しているのか」
「学校が子どもを窒息させ、圧殺しているのではないか」
「少年法と、現在の少年犯罪とにギャップがあるのではないか」
などの論点をめぐってである。文部大臣は、第一六期中教審に、幼児期からの「心の教育」のあり方についての緊急諮問を行った。
子どもと犯罪、そしてその処理のし方に関する問題が、にわかにクローズアップされてきた。
ところで、犯罪そしてその処理のし方である刑罰には、その国や地域の「文化」が強く反映する。人間という存在を、どのように捉えるのかといった「人間観」など、世界の異文化が、取り分け刑罰を通してリアルに見えてくる。そして、その背後にある歴史や宗教が――。
宗教性が、世界の諸国に比べて、極めて稀薄な現代の日本と日本人にとって、この切り口から世界を見つめることは、異文化理解の上からも意味深いのではないか。これが本書を産んだ動機である。
子どもとおとなの「犯罪と刑罰」ということだが、力点は刑罰の方にある。なかでも、最も象徴的な刑罰である「死刑」と、冒頭の事件も含めて、子どもによる犯罪とその対処のし方を中心にして考えてみた。これを通して、「世界の中の日本」を、改めて見つめ直してみたいと思う。
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明治図書















