- はしがき
- 第T章 現代学校の教育課題と学校経営
- 一 学校を問う視点
- 1 現代日本の教育状況と学校
- 2 学校社会と子どもの位置
- 二 学校経営を問う視点
- 1 学校の経営と教育の経営
- 2 学校経営の目的・対象・方法
- 3 学校経営論の今日的課題
- 第U章 組織体としての学校
- 一 学校の実体関係と学校経営
- 1 学校の実体関係に関する問題視角
- 2 学校における機能―実体関係
- (1)「教授―学習関係」と「教師―生徒関係」 (2)「管理―被管理関係」の実体構造
- 3 学校の内部構成実体
- (1)学校内部構成実体の多様化 (2)学校の内部構成実体と外部関係実体
- 二 学校の組織構造と学校経営
- 1 組織としての学校の把握
- 2 学校の組織特性
- (1)インプット―アウトプット構造からする特性 (2)行政機関に内包された組織としての特性 (3)組織成員による特性
- 3 学校組織の内部構造
- (1)「学校組織」概念 (2)学校の活動体系からする組織構造
- 第V章 学校の経営構造
- 一 学校経営における組織、機能、過程の関係
- 1 機能としての学校経営
- 2 学校経営機能の組織化
- 3 学校経営の機能要素と学校経営過程
- (1)経営機能の要素的認識 (2)学校の経営過程
- 二 学校経営の内部構造
- 1 学校経営の三層構造
- 2 学年経営と教科経営
- 3 学年経営の位置と問題点
- (1)学年経営の意義 (2)学年経営の機能と組織 (3)学年経営と学年主任
- 4 「学級経営」の位置
- 第W章 学校経営の規定要因
- 一 学校経営の外的規定性
- 1 「学校経営条件」の意味
- 2 公的規定性
- (1)法制度的規定性 (2)行政的規定性
- 3 非公的規定性
- (1)教員組合による規定性 (2)父母、地域社会からの規定性
- 二 学校経営の内的規定性
- 1 学校の経営方式とその特質化
- 2 法と慣習
- 3 知識
- 4 パーソナリティー
- 第X章 学校における教育と経営
- 一 教育と経営の組織的関係性
- 1 学校における活動体系
- (1)教育機関としての学校の活動 (2)学校における機能―実体―組織
- 2 教師の活動形態、「個業」と「分業―協業」
- (1)個業としての教育と学校教育の組織性 (2)学校における分業―協業関係
- 3 学校経営の構造認識と教育活動―経営活動の関係
- 二 教育と経営の機能的関係性
- 1 教育活動と経営活動の「生産性」
- 2 学校における目標とその実現構造
- (1)教育目標と経営目標 (2)潜在的教育目標の存在 (3)目標の実現構造
- 3 教育活動―経営活動のインプット・アウトプット関係
- 第Y章 学校経営の行為原理
- 一 行為原理の枠組み
- 二 学校経営の民主化と合理化
- 1 「民主化」・「合理化」の意味
- (1)学校経営の「非民主性」「非合理性」 (2)「民主化」「合理化」志向の問題点
- 2 学校経営における民主化と合理化の関係
- (1)学校経営における民主性確保の原理 (2)民主化=合理化の構造
- 3 学校経営の行為原理としての民主化と合理化
- 三 リーダーシップとモラール
- 1 学校経営における「人間関係論」
- 2 専門性原理と官僚制原理
- (1)リーダーシップにおける専門性と官僚制 (2)モラールにおける専門性と官僚制
- 3 教師の役割と行動
- 四 学校経営の基準性と自律性
- 1 公教育と学校の「公共性」
- (1)外からの「公共性」 (2)内からの「公共性」
- 2 学校の基準と学校経営の基準性
- 3 学校経営の自律性
- 第Z章 学校経営の日本的特質
- 一 日本の学校文化
- 1 国民文化と学校文化
- 2 日本の近代化と公教育構造の特質
- 二 公教育構造と学校経営
- 1 組織経営の特質化要因
- 2 学校経営特質における制度的要因
- 三 「日本的学校経営」の課題
はしがき
人間にとって、教育とはまず何よりも自己体験である。そして現代に生きる人間にとっては、この自己体験としての教育は、学校教育であり、その制度や組織の面から共通の、少なくとも世代的に共通の体験として語りうるものである。事実、多くの人々が自己体験に基づいて教育について発言し、書物を著している。
この面からだけしても、教育を専門的に語ることはきわめて容易ではない。つまり、教育という社会的事象は厳に存在するが、それは体験的あるいは日常的、感性的に把握できる事柄とそうでない事柄との線引きを明確にもっているわけではない。かつての教育学が、哲学、歴史を中心とする価値的、倫理的規範を中心課題とするものであったことは、一つの賢明な線引きをしていたともいえる。だが今日の教育は、一つの社会的な機能領域として、政治的にも経済的にも余りに巨大な存在となり、もはや「哲学的人間観」の問題に押し止めるわけにはいかなくなっていることも確かである。
ここに、科学として、とりわけ社会科学として教育事実を解明する必要性と必然性が存在しているが、教育事実を社会的事象として分析的に解明すればするほど、教育の枠を越えざるをえない学問的ジレンマが存在している。即ち、教育を理念的、観念的に捉えることに禁欲的になればなるほど、社会科学としての教育学は、経済学や政治学、あるいは行政学や経営学の一領域たることを乗り越えられないジレンマに陥るのである。だが同時に、人間形成の社会的メカニズムは存在するし、それを解明する必要性も失われてはいない。
私にとってこのジレンマは、教育学を志した時から意識せざるをえなかったものであるし、将来にわたっても持ち続けざるをえないものと思われる。そしてこの社会と教育の関係は、マクロには政治と教育、経済と教育、あるいは国家と教育の緊張関係を、ミクロには個々の学校における教育過程の組織化、管理化を問うことで、一つ一つの解答を積み重ねて明らかにすべきと考えている。
本書は、このマクロな視点に立って、ミクロな事象を明らかにすることを課題とするものである。つまり、国民社会における公教育の経営、組織化にとって、個々の学校の経営管理は、いかなる機能と構造をもっているかについての分析を課題としている。その意味で、学校経営に関する論稿ではあるが、実際の学校経営領域、教育課程経営や人事管理、施設・設備管理等を直接に対象とし、いかに経営管理すべきかを扱うものではない。あえていえば、そのような経営事実がそもそも何であり、どのように成り立っているかを考察検討することを課題としている。
社会的事象を扱うのに、その機能や構造を問うことは、もはや「時代遅れ」かもしれない。だが、教育、学校については、そして学校経営については、その解明を欠いて余りに「べき論」が語られてはこなかっただろうか。具体的には、今日のわが国の教育状況下において、組織として学校がいかに存立しているのか、その組織としての学校内部で教育と経営はいかなる構造関係をもっているのか、そして学校教育を組織化し、経営していく基本原理として何が問題とされねばならないか、について分析的に検討することが、本書の課題である。そして本書は、明治図書刊『学校運営研究』誌での連載講座「学校径営の基本構造―改革への課題を求めて」(一九八一年・四月〜一九八二年・三月)を下敷とし、加筆修正したものである。第四章「学校経営の規定要因」及び第七章「学校経営の日本的特質」は、新たに書き加え、他の章も展開順序を雑誌掲載時とは異にしている。
私自身の問題意識、課題設定から、学校経営という実際的かつ具体的な問題領域を扱っているにもかかわらず、論理的かつ抽象的展開に偏したことは否めない。そしてまた、ひとえに力量不足から仮説的提示に止まったり、不十分な批判に終始したところがあることと思われるが、願わくば読者諸兄の御叱正を仰ぎ、所期のねらいを今後なりとも果たしたく思う次第である。
本書は直接的にも、また私自身の学習・研究生活を通じて間接的にも、ひとえに東京教育大学名誉教授・吉本二郎先生の学恩に負うものである。長年にわたる先生のご指導に対し、ささやかながら本書をもって御礼の一端になれば望外の喜びである。また筑波大学教授・永岡順先生、九州大学教授・高野桂一先生はじめ、多くの方々のご指導、ご助言に心から感謝したい。そして、学校現場の実態や生の声を伝えてくれた、京都教育大学教育経営研究会に集う若い教師会員に謝意を表したく思う。
最後に、本書の出版にあたっては、『学校運営研究』連載時より多大なお力添えをいただき、またご迷惑をかけた明治図書の樋口雅子氏に心よりお礼を申し上げたい。
一九八四年十一月 /堀内 孜
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- 明治図書
- 学校経営のすべてがわかる本だと聞きました。是非、復刊して欲しいです。2012/6/10千