- 監修のことば
- T 競争的学力から全人的学力へ
- 1 日本の教育が、今問われています
- 2 私たちは、本当に子どもを育ててきたのか
- 3 「学力」って何
- 4 学力低下論の「本当の要因」
- 5 本当の学力が付く教育課程の編成と実施
- 6 学校週五日制は、学力低下の引き金ですか
- 7 家庭・地域にも広げよう学力の輪
- 8 何のための校内研究か
- U 今だって、学校は、ここまでできる
- 1 教育研究校を引き受ける学校、そうでない学校
- 2 藍に育てられた子どもたち
- 3 少人数指導で学力アップ
- 4 学力とコミュニケーション能力
- 5 英語活動と総合的な学習
- 6 絶対評価って大変?
- 7 学力と読書
- 8 名人先生大活躍
- V 全人的な学力を育てる「生活科」「総合的な学習の時間」
- 1 「自立への基礎」を「生き物とのかかわりで育てる」生活科の実践(第一学年)
- ―大田区立中富小学校 石川由美子先生の実践
- 2 野菜を育てることから「課題を見つける力」を育てる実践(第五学年)
- ―府中市立矢崎小学校 池上泰子先生の実践
- 3 学校の課題を「町の課題に広げる力」を育てる実践(第四学年)
- ―横浜市立寺尾小学校 相澤昭宏先生の実践
- 4 「地域の人や産業に積極的にかかわる力」を育てる実践(第五学年)
- ―大田区立馬込第三小学校 大塚康子先生の実践
- 5 近くを流れる川とかかわって「自ら学ぶ力」を育てる実践(第三学年)
- ―大田区立池上第二小学校 坂木啓一先生の実践
- W 学びの場を広げる家庭学習のすすめ
- 1 一人だって学習できる力を
- 2 これだけは必要、家庭での学習
- 3 家庭学習のやり方を覚えよう
- 4 こうすれば学力が付く
- 5 こうすればより伸びる
- 6 家庭が基本、心の基本
- 7 学びの基となる体づくりを
- X 子どもとともに育つ学びのターミナル 夏の学校
- 【夏休みの学校をワンダーランドに―始めよう大人と子どもの生涯学習】
- 1 サマーワークショップ プロフィール
- ―矢口小学校 サマーワーク・プロジェクト
- 2 サポートセンターから見たサマーワークショップ
- 3 学校支援ボランティア―「おとうさんクラブ」が目指していること
- 4 NPO―学校支援活動への取り組み
- 5 地域貢献へ取り組む企業―キヤノンの場合
- Y 新しい時代の学校は、こう変わっていく
- 1 新しい教育改革へのアプローチ
- 2 子育てネットワークの核は学校
- 3 「さまざまな学校の姿」を提案していく時代が始まった
- 4 学校週五日制は、積極的に生かされる
- 5 学校独自の特色ある教育課程の編成
- 6 子どもを生かす・育てる生活科
- 7 少人数指導における全人的学力
- 8 総合的な学習の時間は、「個人カリキュラム」になる
- 9 本当の学力はこうして身に付ける
- 10 新しい時代の校内研究に期待すること
- 11 子どもが主役に変身する授業
- 12 新しい時代の道徳教育はここを変える
- 13 外部評価制度を生かして
- 14 「わかる、できる、頑張れる」学校経営方針
- あとがき
監修のことば
二十一世紀初頭の平成時代にあって、今、新しい学校づくりが求められています。そのポイントは何でしょうか。端的に言って、学力の向上です。学校は人間形成の場ですが、それは、換言すれば知・徳・体の学力を身に付けさせるということなのです。
では、具体的にどうするか、現状の取り組みでよいのでしょうか。本書は、学力とは何かを踏まえ、全人的な学力を目指す学校づくりの在り方を、実践を通して問題提起したものです。まず、このことを冒頭で指摘しておきたいと思います。
今、学校が問われています。どうしますか。学校のどこを、どのように改めたらよいのでしょうか。学校を見つめる外部の目はきびしい。また、それぞれの学校にあっても、あれこれの改善策を掲げて頑張っているところが少ないのです。
学校の内外にあって、今学校づくりを問う契機となったものは何でしょうか。それが、学力低下論であることは、多くが認めるところでしょう。学校で学力を付けることに反対する人は、誰もいないからです。学力を付けることが、学校の任務であり、仕事だからです。このことは、まず確認しておかなければなりません。学校は学力を付けているか、学力が低下しているのではないかと言われるとき、教育に関心をもつ人ならば、誰もが注目することは、言うまでもないことでしょう。
この数年来の我が国における学力低下論は、どんなものだったのでしょうか。それは、戦後教育五十年にあって、何回か指摘された学力低下論とは、異なっていたと言えます。端的に言って、その特色は大学からの指摘であったということです。すなわち、「分数ができない大学生」であり「小数ができない大学生」でした。そして、その原因が小・中学校の教育にあると言われたとき、この学力低下論は、一気に国民的課題に発展するのです。まさに、マスコミを加わって、火を吹く学力低下論でした。義務教育に問題があるとなると、それも当然のことでしょう。
ただ、果たして学力が低下しているのかどうか、ということになると単純ではありません。IEAなどの国際的な調査で、我が国の児童生徒の算数(数学)、理科の学力は、トップクラスであるという指摘があります。また、文部科学省が平成十四年に実施した教育過程実施状況調査(小学校五・六年―国語、社会、算数、理科、中学校一〜三年―国語、社会、数学、理科、英語)について、その結果は、「全体としてみれば、おおむね良好といえる」としているのです。
しかし、ここでは学力低下論の内容について、これ以上深入りしません。要は、言われたとおり、学力が低下しているとしましょう。ではどうするかです。学力向上を望まない人は、おそらく一人もありません。それは保護や一般の人々だけではなく、学校の教師は、とりわけそうであると言ってよいのです。
では、どうするかです。学校は学力の向上にどう取り組むかです。学力低下論にあって肝要なことは、学力向上をどう図るかを明確にし、それに取り組むことです。この視点のない学力低下論は、単なる告発だけであり、肝心の学力向上の有効な方策を提示できないのです。このことは、戦後このかた何回かの学力低下論が、有効な教育実践に結び付かなかったことで明らかです。同じことを繰り返してはなりません。それへの有効な対応こそ、今求められているのです。
では、今回の学力低下論に、学力向上の考え方や方策があるのでしょうか。残念ながら、それがないのです。算数・数学の学力が低下していると言います。だからどうする、どうせよの示唆がないのです。学力向上は、算数・数学だけなのか、受験教科かそれとも全教育活動なのか、よくわからないのです。だから、多くの学校での対応は、「ドリルの時間」の設定や「繰り返し指導」の徹底ということになるのです。
学力問題にあって重要なことは、学力の向上策です。どんな学力を、どのようにして身に付けさせるかです。ドリルや繰り返しの対応だけでよいのでしょうか。ここには、学力とは何かの基本的な考察とそれへの対応が欠落しているのです。
学力向上を考え、それに取り組むとき、少なくとも学力は何かが検討されなければなりません。どんな学力を、どのように保障するかです。今回の学力低下論にあって、学力とは何かが問われなかったのではありません。ただ、学力について語るとき、その多くが抽象的であり、具体的でないことです。例えば、計画可能な学力とか、転移する学力を言い、また、学ぶ力も学力とか言うのです。しかし、このようなレベルで学力を論じても、学力向上策は、ほとんど出てこないのです。
大切なことは、学力を具体的に指摘することです。例えば、一年生にはどんな学力が求められているか、また、六年生にはどんなものがあるか等です。このように、学力を具体的に指摘することが、学力の向上策を考えるとき、重要な事柄なのです。
では、一年生でどんな学力を、また、六年生ではどんな学力が求められているのでしょうか。その一つの例示が学習指導要領なのです。われわれは、学習指導要領以外に、その手がかりを知りません。各学年や教科等の具体的な学力は、学習指導要領に示されているのです。
学力向上策を考えるとき、少なくとも学習指導要領レベルの学力の内容を提示することが求められます。その学力の程度が低いというのであれば、高くして示せばよいのです。要は、学力の向上を図るためには、具体的な学力の内容を、まず示すことです。それは、少なくとも学習指導要領のレベルであることが求められるのです。その目指す学力を示さないで、学力向上の具体策など出てこないのです。学力の問題は、学習指導要領のレベル、すなわち、教育過程のレベルまで具体化しなければ、その有効な対応策は、およそ不可能と言ってよいのです。
低学力論も含めて、学力論は教育過程のレベルまでおりてこなければ、有効な方策の提示はできません。その教育過程の編成・実施こそ、学校の仕事であり、また、学力の総体にかかわる事柄なのです。学校の任務及び仕事は、教育過程の全面実施であり、そのねらいの達成を図ることなのです。
このように、学力は教育過程の全体にかかわることであり、その一部だけが学力ではないのです。端的に言って、国語と算数(数学)だけが学力ではなく、また、それに加えて、受験教科だけが学力ではないのです。学力は教育過程の総体にかかわっており、例えば、新設の総合的な学習も、学力を育てているのです。
受験教科にかかわる学力が、学力であることは言うまでもありません。しかし、それ以外の教科や領域も学力を育てているのです。学力向上と言うとき、すぐに前者に結びつくのですが、ここでは、後者の人間形成も、学校の重要な学力として位置付けるのです。本書で言う競争的学力とは前者にかかわる学力であり、全人的学力とは後者を含めた学力と言うことができます。全人的学力を育てる学校づくりとは、競争的学力を否定しているのでは全くありません。これからの学校の役割は、全人的学力を育てることにあると考えるのです。そのためには、学校の全教育活動において、また、例えば土・日曜日や夏休み期間中の保護者や地域と連携した教育活動など、大いに推進されなければならないのです。
学力とは、学校で身に付けさせたい力です。また、身に付けた力であると言ってよいでしょう。その具体的な内容は、学校の教育課程に示されています。学力向上策は、教育過程にたちもどることこそ大切なのです。そして、その達成を図ることです。そのとき、今日的な教育課題である校内暴力やいじめ、不登校などへの積極的な対応が求められることは言うまでもないことです。
およそ以上の論述を、拙著『学力低下論とゆとりの教育』(明治図書)で展開しました。本書は、その実践版であると考えています。宮本朝子先生をリーダーとする「新しい教育を考える会」の活躍に心から敬意を表するとともに、本書が、書名どおり「平成の学校改革」の道しるべとなってくれることを心から念じています。本書で言うとおり、学校改革は教師から、学校から発信しなければならないのです。
本書の作成に当たっては、明治図書の樋口雅子編集長に多くの示唆をいただきました。記して感謝申し上げる次第です。
平成十五年四月 /中野 重人
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明治図書
















