- まえがき
- T データから見た築地学級の子ども達
- 一 有能感をもつ築地学級の子ども達
- 1 授業者と研究者の共同作業
- 2 自分を信じている子ども達
- 3 自分の意志で動く子ども達
- 4 勉強がよく理解できると評価する子が九十四%いる
- 5 子どもの自立を目標とした授業
- 6 築地のコメント
- ―本当は誰でも実践している「子どもの自立を目標とする授業」
- 二 授業の中で学級づくりが行われる
- 1 ソシオメトリーは何を語ったか
- 2 選択関係はどう変わったか
- 3 位置づけた子の地位が上昇する
- 4 排斥関係はどう変わるか
- 5 一年後、子どもはどう変化したか
- 6 教育内容を反映する選択排斥理由
- 7 包容力のあるクラスになる
- 8 学級づくりと授業
- 9 築地のコメント
- ―ソシオメトリーの利用の仕方
- U 討論過程の秘密
- 一 子どもだけで討論を組織できる理由
- 1 メインの討論がまず教えられる
- 2 二者択一の課題にして徹底して追求する
- 3 たった二つの規則で、子どもは自分達で授業を組織できるようになる
- 4 築地の授業構成
- 5 築地学級の討論の規則
- (1) 前時の最後に出た学習問題を確認する段階
- (2) 相互の立場を明確にする段階
- (3) お互いの立場を共有する段階
- (4) 相手に働きかける段階
- (5) 目標にそって教師の手立てがある段階
- (6) 意見変更する段階
- (7) 学習問題の解決の段階
- (8) 新たに突き動かす教師の手立てがある段階
- (9) 次時の学習問題が生まれる段階
- (10) 座席表で全員の意見分布をはっきりさせる段階
- 6 論理語を指導できるわけ
- 7 築地のコメント
- ―子どもが燃える授業の構成
- 二 子どもは作戦をたてて授業に臨む
- 1 授業の中の「作戦」とは何か
- 2 見通しがあるから作戦が立つ
- 3 「作戦」という言葉を授業で使う
- 4 敵味方を知ることが作戦の始まり
- 5 時計の振り子のように意見を変えない
- 6 座席表による意見チェックの効用
- 7 座席表の教え方
- 8 築地のコメント
- ―授業過程における子どもの役割
- V 討論指導の技術
- 一 モデルを使った討論指導
- 1 討論指導を分析する観点
- 2 二種類の討論指導の方法
- (1) メタ討論
- (2) 討論の経験を実際にさせる方法
- 3 討論についての討論・メタ討論
- 4 発言に対する戸惑いを拭い去る
- 5 公開班授業
- 6 築地のコメント
- ―私が何故討論をさせるのか
- 二 年間計画に基づいた討論指導
- 1 一年は四期に分かれる
- 2 築地学級の年間指導計画
- 3 第一期で討論の基本を教える
- 4 討論、発言の基本形を比喩で説明
- 5 授業は仲間で支え合うもの
- 6 情報を収集・処理できる子を育てる
- 7 築地のコメント
- ―待つことと引き込むこと
- 三 聖徳太子になる聞き方を指導する
- 1 十五人前から授業を再現した
- 2 聞き方の訓練法
- 3 同時に二つのことをする指導は、一斉授業を抜け出す突破口になる
- 4 声の訓練から始まる
- 5 討論は証拠となる事実の信頼性を吟味するもの
- 6 討論で降りることを教える
- 7 吟味過程と納得過程
- 8 築地のコメント
- ―1から2にすることで授業を立体化する
- W 個を生かす技術
- 一 位置づける
- 1 たった一人の子のために授業を組む
- 2 教師はどこを見て授業をしているのか
- 3 「追う子」から「位置づける子」へ
- 4 教材≪で≫何を教えるのか
- 5 位置づけた子による単元構成例
- 6 クラスの状況と位置づける子との関係
- 7 位置づけるとどんな効果があるか
- 8 築地のコメント
- ―位置づける子と抽出児の違い
- 二 知識でなく人間としてのものの見方に目を向ける
- 1 第一日目に何を見、何を伝えたか
- 2 一つ一つの行動の背景をとらえる
- 3 人間を伝えることの効果
- 4 背景に目を向けるから予測ができる
- 5 座席表に書かれる内容
- 6 築地の考える自立ということ
- 7 指導要録改訂内容との一致点
- 8 築地のコメント
- ―位置づけた子のいる授業に必要なカルテ
- 三 授業中、座席表に授業記録をとる
- 1 根強い「べき論」
- 2 授業中に授業の記録をとる
- 3 授業中の記録だから見えるもの
- 4 個性がものの見方の差として表出されて初めて、個に対応できる
- 5 「バスの運転士さん」の授業
- 6 座席表に記録をとると個が見える
- 7 「位置づける」は、えこひいきか
- 8 職員会議で訓練をした
- 9 築地のコメント
- ―個性のとらえ方に深みを
- X 人間教育
- ― 生き方についてのメッセージを伝えたくて授業をする
- 1 「教師からのメッセージ」
- 2 驚いた書道「友」の授業
- 3 詩の授業でのメッセージ
- 4 国語で1の場面から順番に進めない
- 5 知識に及ぼすメッセージの役割
- 6 国語のメッセージが算数の知識に文脈を与える
- 7 築地のコメント
- ―元型を忘れてしまいかねないパック授業をちょっと変えてみよう
- 二 知識は学ぶプロセスの中でわきあがってくるもの
- 1 人間教育
- 2 シュタイナーとの類似点
- 3 メッセージが知識を結びつける
- 4 教師からのメッセージの五つの柱
- 5 自我と社会性を同時にのばす
- 6 知識と態度の二分法の誤り
- 7 態度を育てる学習課題
- 8 基礎・基本は知識か
- 9 築地のコメント
- ―子どもはともに学ぶ仲間
まえがき
私が築地学級に出会ったのは、常葉学園大学に赴任してきて三年目である。東京教育大学の大学院時代以来十四年間、自分なりに必死に取り組んできた実験的な発問研究の不毛さに、自分の研究者としてのあり方が問われていた。
研究をやり直そう。そう考え、最初は、斎藤喜博氏の授業記録「私の授業」、「介入授業の記録」を分析した。この分析は、すぐれた実践を研究することのおもしろさを私に教えてくれた。
一区切りしたところで、やはり本格的に現場に出ようと決心し、機会あるごとに授業を見せていただいた。後に、ある学会で、現場に出るという自殺行為を何故したのかと聞かれたほど、研究者としての大きな転換点だった。
おもしろい授業をするという噂を聞き、静岡市立安東小学校の公開研究会に行ったのが、築地との最初の出会いである。子どもたちの姿、授業の形態に衝撃を受けた。
それ以来、私のなかに、築地の授業を体系的にはっきりさせたいという強烈な思いが生まれた。
安東小学校も十年目、もう今年が最後かもしれないという年の二月。小学校を訪ねた私は、夕闇の校庭で、一年間の授業の記録を取らせてほしいと築地に迫っていた。「今が年齢的に一番いいときだから、記録として残しておこう。後できっとよかったと思うから」というのと、「私を研究者として育てて欲しい」というのが口説き文句であった。
斎藤氏の授業を分析していた頃、介入授業の「あとがき」に書かれた、研究者による分析を待っているという言葉が、とうとう氏に出会うことのなかった私を支えてくれた。だが、私か分析した記録は、氏の晩年のものであった。
私がいい時期だと言ったのは、斎藤氏の教えを受けたことのある教師が、若い頃の氏の授業は素晴らしかったというのを聞いたことがあったからである。教師にも、油の乗り切った時期というのがあるのではないかと思えた。
研究者として育てて欲しいという私の言葉に、築地は、「もう育っちゃってるじゃないの」と笑っていたが、この時の話が、結局、本シリーズの内容となった。
記録は大変な作業で、結果として、私にとっても築地にとっても、本当に「今が一番いい時期」だった。
私も怖いもの知らずだったと思うし、一年間の記録をとるというような作業は、もう二度と出来ないであろうとも思っている。また、今更ながらに、普段の授業を一年間にわたってとらせた築地のすごさを感じる。
一年間の記録を取り始めたとき、同時進行で大学の授業で築地の授業を取り上げた。記録づくりを助けてくれた学生たちに感謝したい。すでに教師になっている彼らが、どこかで本著を手にしてくれたらうれしい。
この本は、こうした人々とのさまざまな出会いの上に成立している。
斎藤氏の授業分析が終わりに近付いていた頃、私は一年程、人生についてひどく迷ったことがあった。自分の研究の意味もわからなくなっていた。
それでもようやく立ち直りかけた頃、日本教育技術学会の懇親会の席で、明治図書の編集者の江部さんと樋口さんに会った。私が挨拶をすると、江部さんが、「ああ、あの斎藤喜博の研究をしている人ですね」と言われた。ささやかな仕事でも、世の中にはちゃんと見ている人がいるのだと思った。私は、この江部さんの言葉で救われたのである。
学会から帰ると、さっそく明治図書に手紙を書いた。その頃、築地の「位置づける」ということが三年目にしてようやくわかった時期で、今なら築地の授業について書けると感じていたからである。
樋口さんは、私の手紙を出張先の沖縄まで携えて行き、さっそくご返事をくださった。女性研究者に頑張って欲しいとも書かれていた。
さて、本著は、素人の目で貫かれていると思っている。ある意味で自分を無にして、授業を見たり、実践記録を読む。すると、他の授業では見られない独自な部分が浮かび上がってくる。ひっかかる部分が出てくる。
すぐれた実践家というのは、実験的な目で事実を見つめ、数十年も壮大な実験を現場で繰り返してきている。効果のあった方法は繰り返され、洗練され、効果のない方法は捨てられ、その教師独自の体系を形づくっていく。
斎藤喜博氏の発問も授業形態も独自であった。築地の授業も独自である。しかし、子どもを本当に変え、動かすことができるものである。
従来の自分たちの方法と違うということで批判してしまうのではあまりに惜しい。
今、教育の世界は大きく変わろうとしている。
新しい教育の方向を見いだす上で、本シリーズが何かの役に立てばうれしい。
一九九三年十月 /落合 幸子
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