- はじめに
- 第T章 基礎的・基本的な内容の確かな定着を目指して学校教育を機能させよう
- 序 学力低下と,基礎的・基本的な内容について
- 1 日本人として生きていくのに必須な,基礎的・基本的な内容の指導を
- 2 基礎的・基本的な内容の劣化を防ぐ工夫を
- 3 学び方を学ばせて,基礎的・基本的な内容の確実な定着を
- 4 潜在的なカリキュラムの整備で,不易の教育を
- 5 義務教育では,溜まりに溜まった贅肉を捨て,知・徳・体の指導を
- 第U章 管理職はその責務を自覚し,確かな学校管理をしよう
- 序 時代の変化に対応した管理職の責任と実践力
- 1 激しく変化する社会の中,不易を踏まえた教育課題の管理を
- 2 幹部職員や組織を機能させて,児童生徒の指導と管理を
- 3 適時,的確な判断で危機管理を
- 4 行政等,外部の力も活用して教職員の自己管理を
- 5 保護者・地域・教職員等と,様々な連携を創って相互理解を
- 第V章 管理職は,指導を怠らず,教職員の力量を高めよう
- 序 管理職として,教員の資質向上に向ける努力
- 1 日常的に指導・助言を積み上げて,教育者としての自覚を
- 2 教育課程の編成と管理を通して「授業が命」の認識を
- 3 組織を機能させて職責を自覚させ,学校教育の活性化を
- 4 教職員や保護者・地域と話し合う機会を優先させ,意思統一と相互信頼を
- 5 常に先んじて学び,先見性をもって積極的に指導・助言を
- 第W章 学校を開いて,家庭・地域の教育力を復活させよう
- 序 今,なぜ学校を開くのか。家庭・地域の教育力の必要性
- 1 学校をどう開くかの話し合いから,教職員の意識改革を
- 2 教職員の意識を変えることで,家庭・地域との積極的な相互参入を
- 3 学校を開くことで,家庭や地域教育力の活性化を
- 4 家庭や地域の教育力を復活させて,社会をよりよく生きる力を
- 5 学校を開き,地域に根ざさせるために,家庭・地域・学校の連携のエンドレス化を
- 第X章 教育基本法を改正して,日本の教育の方向づけをしよう
- 序 教育基本法の見直し,改正の動向
- 1 日本人を育てる教育基本法を
- 2 意識の実態からも改正を
- 3 新しい教育理念に応じた改正を(前文,第1,2条)
- 4 時代や社会の変化に応じた改正を(第3条以下)
- 5 日本人を育てる教育理念に基づく教育基本法を
- 第Y章 「教育の日」と「教育憲章」を制定して教育尊重の意識を喚起しよう
- 序 日本の教育危機の克服には,教育の理念を具体化し,教育尊重の意識の喚起を
- 1 国民全体の,教育尊重の気運を高めるために,「教育の日」を
- 2 事例に学び「教育の日」の制定と実施を
- 3 日本の教育の理念をより具体的にし,その指針や心構えとなる「教育憲章」の制定を
- 4 「教育憲章」についての理解を深め,教育改革の推進を
- 5 「教育の日」「教育憲章」を制定し,日本の教育の再建を
- 編集後記
はじめに
会長 /土橋 荘司
本書は,平成12年度に上梓した『日本の教育はこれでいいのか』の,いわば続編と言える。
前書は,世の共感を呼んだが,既に完売し,希望者に届けられない。
しかし教育界は,いまだ混迷を続けている。特に現場の管理職や,志のある幹部職員は,次々と打ち出される「教育改革」の流行を,どう咀嚼し,どう対応すべきか,困惑しているのが実情である。
私たちは,この,現場の苦悩を座視するに忍びない。管理職としての永い経験を生かし,なんとか現場の志ある人たちを勇気づけたい。そういう想いで,今日の教育課題に対し,討議・追究を重ねてきたのが,当「教育課題刷新委員会」である。
本書に述べるところが,完全にして十分でないことは承知している。しかし,単に流行に迎合することなく,不易の教育哲学を追究しようとする人々の勇気の源となればと願い,本論を開陳する次第である。
本書に流れる「教育への想い」を受け,読まれた方々の力によって,「日本の」新しい教育の流れが,確かな一歩を踏み出すことを切願してやまない。
今日ほど,教育への関心が高まっている時代はない。
それは,今日の,急激な社会の変化の流れの中で,「今こそ,日本人の教育が必要である」という人々が多いからである。今のまま,社会の変化という流れに教育を委ねていたのでは,「21世紀の日本人」は,その存在さえ危ぶまれるという,危機感をもつ人々が多いからである。
だから,現場の管理職や,志ある幹部職員が,唯々諾々と,流行に乗っていっていいわけがない。かつて,世界に冠たる初中教育を樹立させた「不易の教育哲学」を,もう一度,見直してみることも必要である。
と言って「教育における不易」を見直すということは,社会の変化に応じた流行を無視するということではない。
例えば,従来の「指導法」をそのまま踏襲していいわけがない。かつての学校は,「文化の伝承」が主目的であった。だから,画一的な内容を一斉に,児童生徒に教えることに努めた。従って指導法は,どのように伝え,どのようにして覚えさせるか。どのようにして問題を解くかのノウハウであった。
今日は,科学・文化の発展とともに,国際化・情報化の時代である。ある学者は,「明治初期に伝えるべき文化としての量が,今は700倍になっている」と試算している。従って,すべてを伝承するわけにはいかなくなっている。
そのうえ,情報源が多極化し,価値観は多様化している。このことからも,一斉画一的な指導は,馴染まなくなっている。従って当然,情報の,集め方・分析の仕方・整理や表現の仕方・まとめて保存する仕方などが学習の対象になる。俗に言う,関心・意欲,資料活用,思考・判断,発表・表現などの,数値化しにくい内容を,どう学ばせるかが「今日的指導法」となる。
そういう「今日的な変化」は十分認めた上で,基礎的・基本的な内容として,不易の「覚えさせる指導」も大切だと言っているのである。
福沢諭吉は,『学問のすゝめ』の中で,次のことを強調している。
すなわち「これからの世の中はどんどん変わる。今大切だと思っていても,すぐ大切でなくなる。そういう新しい時代に向かっていくには,物事を,頭の中に入れておくのが一番いい。とにかく,頭の中に叩き込んでおけ」である。
これは要するに,「ただ,経験だけで物事を判断してはいけない,あらゆる情報に目を向けて,それを把握し,分析し,判断していかないと,時代の急激な変化という波を乗り切ることができない」ということである。
何人も,物事を判断する時に,経験に照らし合わせるのが普通である。これを,考える拠り所とするのは間違いではない。しかし経験は過去のものである。その時々,様々な方法で解決してきた積み重ねは,それなりに尊い。しかし,激動の時代である。過去の対応では対処できない問題が起きて当然である。従って,経験だけにとらわれず,様々な知識や情報の収集と分析が必要なのである。
よく言われることだが,従来の学校では,答えが確実で一つのものしか教えなかった。それが,子供の思考を,脆弱なものに育ててしまったような気がする。
だから,既成の知識をどんどん詰め込めというのではない。解き難い困難に当面させたり,どうすればよいか思い惑う場の設定も必要であるというのである。子供たちが,答えが必ず一つある問題しか経験せず,しかもその答えが,いつも大人から出された解答で正否が決められたのでは,子供たちの依頼心を育ててしまうではないかというのである。
そういう意味では,今日の流行の一端に,賛成するものがある。
戦前のように,社会的規範が明確であった時代は終わった。しかし,戦後既に五十余年,戦前に代わるべき,当然あって然るべき規範が,いまだに確立されないのは,まことに嘆かわしいことである。
規範が多様であることは,当然,子供を混乱させる。いずれ自分で道を選び,自分で道を切り開いていかなければならない。それもまた真理である。が,とすればなおさら「自分で考える力」が必要になる。
それが「生きる力」なのだろうが,両親や教員が,時には先輩が,愛情をもって,困難に打ち勝つ知恵を授けていくことは当然であろう。自ら学び,自ら判断する学習を偏重する「生きる力」の流行は,先行き不透明である。
また「ゆとり教育」の流行にも疑義がある。ゆとりを与えれば,教育効果が上がるという考えは,誤りである。まず「自己を高めたい」という志があって,そのために,よく学び,よく努めることが必須の条件である。単に,時間を与えればよしとする考えは,既に,破綻の姿を露呈している。
また本年度からは,学校完全週5日制が実施されている。しかしこの流行も,当初期待したとおりの成果を上げているだろうか。否である。逆に我々が危惧した問題点が,次々と現実のものとなっている。文科省は,慌てて小手先の修正をするから,かえって現場の混乱を招いているのが現状である。
土・日の時間の活用を,児童生徒の主体性に委ねるということは,理想である。しかし,知識や経験,それに基づく意識の異なる児童生徒に,一律に主体性を求めることは,教育の原理を無視するものである。「主体性」などという高邁な理念は,学び,努め,知識や経験が積み重ねられた結果,それぞれに身についてくるものである。
単に流行に乗って,主体性を求めることは,根拠のない思いつきを良しとし,これを助長させることになる。教育が本来果たすべき「深く考える力」の涵養には,かえって逆効果とさえなりかねないのだ。
今日,不登校と怠学の児童生徒が,13万人にも達しているという。教員は勿論,保護者や児童生徒自身も,様々な努力をしての結果である。とすると,学校には行かなくてはいけないという,不易と見られてきた義務教育制度に対しても,見直す必要が出てきている。
以上述べてきたように,変転きわまりない流行に対応し,自分のものとして咀嚼しながら,不易の教育を堅持していくことは,並大抵のことではない。
そういう,流行と不易の狭間で苦悩する管理職や幹部教員に,「新しい教育の流れ」を示しつつ「気迫ある管理」を遂行する「知恵と勇気を!」の想いで創ったのが本書である。
本書を読まれた方々の力で,確かな「新しい教育の流れ」が実践されることを願って,「はじめのことば」とする。
-
明治図書
















