オピニオン叢書 緊急版
“学力低下論”と“ゆとり教育”
どちらが“出来ない子”に心痛める教育か

オピニオン叢書 緊急版“学力低下論”と“ゆとり教育”どちらが“出来ない子”に心痛める教育か

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ゆとり派の代表格である著者の抵抗の書。学力低下を言う人たちが、何を根拠にどういう方向にもって行きたいと思っているのか、資料を元に問う。


復刊時予価: 2,332円(税込)

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電子書籍版: なし

ISBN:
4-18-102007-X
ジャンル:
学校経営
刊行:
5刷
対象:
小・中・他
仕様:
A5判 128頁
状態:
絶版
出荷:
復刊次第

目次

もくじの詳細表示

はじめに
第一章 火を吹く学力低下論
一 いま最大の関心事は
二 大学からの問題提起
三 小・中学生の学力とゆとり教育
四 ストップ・ザ・新学習指導要領
第二章 戦後学力観の変遷と特色
一 戦後教育と学習指導要領
二 学習指導要領の学力観とその特色
1 学校教育と基礎・基本
2 基礎・基本としての学習指導要領
3 生活(経験)主義の学力観
4 知識・理解(主知主義)の学力観
5 新しい学力観とその特色
第三章 学力論の非生産性
一 昭和二十年代の学力論――経験と学力――
二 昭和三十・四十年代の学力論――科学と学力――
三 平成初期の学力論――人間と学力――
第四章 新しい学校づくりと学力低下論
一 問われている学校
二 基礎・基本とは何か
三 教育課程の次元で学力を
第五章 新しい学校づくりの方向と課題
一 二十一世紀の学校と生きる力
二 横並び学校の克服
三 特色ある学校づくり
四 総合的な学習が目指すもの
終 章 改めて学校とは何か
一 当面する諸課題への対応
二 あるべき学校とは

はじめに

 二〇〇一年である。二十一世紀に入った。それは、単なる暦の上でのことであるが、この世紀の変わり目は、世の中の大きな転換期であることは、日常生活でだれもが実感していることである。「IT革命」といわれるように、いま革命の真っ只中にあるのかも知れない。

 この変革の波は、教育の世界にあっても例外ではない。いま、学校が問われ、その変革が求められているのである。学校改革にあって、不易流行を求めたのは、臨教審であった。変えてはならないものと、変えるべきものを見極め、改革に当たるべきであるとしたのである。その中にあって、何を、どのように変えるかが、学校改革の中心的な課題であることはいうまでもない。

 というのは、いま学校が問われているからである。我が国の学校は、これまで経験したことのない深刻な事態に直面しているのである。それは、例えば校内暴力であり、いじめである。また、不登校であり、学級崩壊である。これらのいずれも、学校が当面し、その解決を求められている緊要の課題である。なかでも、不登校は今日の学校が抱える象徴的な課題である。その数は、平成十二年度にあっては、小・中学生で十三万四千人に達したという。中学校では、一クラスに一人は不登校生がいるということになる。この不登校は、毎年増加の一途をたどっているのである。

 もちろん、不登校は学校だけの責任ではあるまい。その背後に複雑な要因があることは、多くが気付いている通りである。しかし、その責任の一端が学校にあることも、また確認されなければならないのである。不登校は、既存の学校を拒否しているのである。それは、学校の存在理由(レーゾン・デートル)にかかわる重要事なのである。

 今日の学校が抱える課題は多様である。ほかにも多くの課題を抱えている。それらの課題への一つの対応が、学習指導要領の今次改訂であり、平成十年から十一年にかけて、新学習指導要領が告示されたのである。そして、二年間の移行期を経て、小・中学校では、平成十四年度から全面実施となっている。

 この新学習指導要領のキーワードが「生きる力」である。そして、それをはぐくむために、特色ある学校づくりや開かれた学校づくりを求めたのである。戦後教育五十年にして、この六回目の全面改訂は、まさに、二十一世紀の学校づくりを目指したのである。

 ところで、これまでの教育課題を踏まえ、それに対応した方向や内容の検討が行われ、その実施への移行が進められているとき、もう一つ、重要な課題が提起されたのである。いうまでもなく、学力低下論であり、そして、その発展としての新学習指導要領の批判とその中止論である。

 今回の学力低下論が、「分数ができない大学生」、「小数ができない大学生」から始まったことは、よく知られるところである。そして、その原因が、小学校や中学校の教育にあるといわれたとき、この学力低下論は、多くの教育関係者や国民の関心の的となるのである。大学生の小数や分数であれば、これほど問題とならなかったであろう。それが、義務教育である小・中学校に問題があるとされたとき、今回のような火を吹く学力低下論へと発展したのである。学力低下を喜ぶ人は、だれもいないであろう。そして、小・中学校にそれがあるということになれば、それが国民的な関心事になることは、だれでも予想できることである。

 二十世紀後半の戦後教育にあっても、学力低下論や学力論は、何回か展開されたが、今回のように、マスコミを含む広範な機関や人々が、それに関与したことはなかったといってよい。その意味で、まさに火を吹く学力論なのである。

 この火を吹く学力低下論をどう受け止め、どうかかわるか。そして、二十一世紀の学校をどうつくるかを考えることが、筆者の課題であり、願いである。というのは、これまでの学力低下論や学力論は、決して生産的な教育論や学校づくりに結びつかなかったと考えるからである。それはなぜか。学力論の抽象性である。どうすればよいかの具体的な提案がなかったということである。

 では、今回の学力低下論はどうか。いろいろな考え方があるが、かりに小・中学校の学力が低下していたとしよう。では、どうするかである。その具体的な提案があるか。筆者にいわせればノーである。具体的な提案とは、本書で述べるように、教育課程の次元で、あるべき学力を提示することである。そうでなければ、学習指導要領のどこを、どう変えるべきかを指摘することである。学力論は、教育課程の次元で、また、授業と評価の次元でなければ、具体的な学校づくりには結びつかないのである。

 なお、今回の学力低下論に対する批判については、筆者は寡聞にして多くを知らない。ただ、日垣隆氏が、「学力低下論の嘘」を指摘している(「偽系」文藝春秋)。氏は、それをエリート意識まるだしの論議であるとし、大学人が自らの責任を他に転嫁して恥じないことだとしている。

 本書も、これまでの火を吹く学力低下論に対する批判といえるかも知れない。それは、少なくとも、これまでの学力論の在り方を反省して、生産的な論議にしたかったからである。このままでは、過去の学力論と同じく、新しいものを創り出すことには、ほど遠い。これからの学校は、是か否かという二者択一の発想ではなく、少しでもよりよいものを、どのように創り出すか、知恵を出すことだと考えるからである。

 それからもう一つ、本書に託したいことは、子どもや教師や学校を、どのように元気付けるかということである。きびしく、叱咤激励すればよいというのであれば、事は簡単である。そんな子どもたちばかりではない。また、これまで一生懸命に取り組んできた教師を落胆させてはならない。何もしてこなかった教師に、それみたことかと言わせてはならないのである。そんな思いが、本書で伝わればと考えたことである。

 学力論は、つまるところ学校づくりである。二十一世紀の学校づくりに、本書がいささかでも役立てばと願っている。

 本書は、明治図書の樋口雅子編集長のおすすめによるものである。今回も多くの示唆をいただいた。記して感謝申し上げる次第である。


  平成十三年九月   著 者

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      明治図書

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