脱・教育ポピュリズム宣言
迎合のツケ,誰が払う

脱・教育ポピュリズム宣言迎合のツケ,誰が払う

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子どもにおもねる大人、叱れない教育の結果、どんな子どもが生まれたか。自己中心主義で甘えが目立ち、耐性喪失。ここから脱出する道を示す。


復刊時予価: 3,927円(税込)

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電子書籍版: なし

ISBN:
4-18-101628-5
ジャンル:
授業全般
刊行:
対象:
小・中・他
仕様:
A5判 352頁
状態:
絶版
出荷:
復刊次第

目次

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まえがき
序 教育ポピュリズムの意味
脱・教育ポピュリズム宣言
ポピュリズムとは
古くして新しい現象
T 子どもへの迎合
――教育ポピュリズムの典型
1 子どもにおもねる大人
世代の断絶
社会的風潮
チャイルド・パワー
2 「叱らない」のか「叱れない」のか
「叱る」主体の研究の乏しさ
「叱れない教育」の原因
3 しつけの崩壊
しつけ不在
しつけ不要
しつけ不安
4 甘やかし
主観的社会の重要性
甘やかし
例外としての入試
あらさがしの風潮
U 教育ポピュリズムの成長
――その背景と力学
1 プライバタイゼーションへの迎合
成熟化と教育
臨教審答申/ 成熟化
教育におけるバブルの後遺症
臨教審の時代/ 臨教審の楽天観
プライバタイゼーションの横行
プライバタイゼーション/ プライバタイゼーションとポピュリズム
2 教育ポピュリズムの正当化理論
教育論争の分析枠
対立型″対 並立型″/ 総論型″対 各論型″/ 事実解釈型″対 実践指針型″
教育論争の日本的背景
ナショナリズム的傾向/ 学歴主義/ 論争回避の風土
教育論争の日本的特徴
エキストリーミズム(極端論)/ エモーショナリズム(感情主義)/ インサイダリズム(身内主義)/ 論争と実践との分裂
3 教育ポピュリスト運動
教育論争から教育運動へ
論争発生の原因/ 論争の発展段階
教育ポピュリスト運動の土壌
教育ポピュリスト運動の形態/ ナショナリズムと学歴主義の衰退/ 統制力の剥奪
教育ポピュリスト運動の戦術
誘い込み/ おどし/ やらせ
4 教育ポピュリズムの成長過程
許容から弁護へ、さらに謝罪へ
見て見ぬふり/ 弁護から謝罪へ
悪平等
「学生消費者主義」/ 「反エリート主義」/ グレシャムの法則
悪循環
連鎖反応/ 焼け太り効果/ マタイ効果
V 教育ポピュリズムの帰結
――迎合のツケ
1 教育のこわさ
教育の土壌汚染
後世、恐るべし
2 どんな子どもが
――自己中心主義
自己中心主義
自己中心主義の成長/ 「甘え」の構造/ 自立心と自立力/ ホームレスと「オヤジ狩り」/ 「有名病」患者
失われたもの
耐性/ 強靭な意志/ 努力/ 希望
3 どんな社会が
――新しい公私混同
けじめなき社会
けじめの特徴/ タテのけじめとヨコのけじめ/ 外的けじめと内的けじめ/ 「けじめ」の伝統/ 超「けじめ」の伝統/ 現代的特徴
失われた「礼節の国」の評判
最近の礼儀観/ 日本の礼儀の特徴/ 一公的礼儀の欠如/ 二功利的礼儀の優位/ 三タテの礼儀の優越/ 新しい礼儀とその教育
学級崩壊
私語の研究/ 「日本的」言語行動/ 学生運動の影響/ 大衆化の象徴としての私語/ 小1プロブレム
4 ブーメラン効果
――迎合のツケ
ブーメラン効果
迎合のツケ/ 大人の側の潜在的エゴ
教育病理の蔓延
学生運動の教訓/ 長期戦略
若者の反逆
連合赤軍の教訓
五つの特徴
一反逆信仰/ 二実践信仰/ 三暴力信仰/ 四階級制/ 五集団信仰/ スパルタ教育への郷愁
W 教育ポピュリズムの克服
1 教育ポピュリズムへの反省
振り子理論
教育における振り子現象/ わが国の場合
子どもも反ポピュリズム要求
「叱る教育」への郷愁/ 「叱らない教育」への反発/ 子どもからの要求
ゆれる大人の気もち
「きたえる教育」/ 「きびしさ」と「やさしさ」の間
近親憎悪と共倒れ
近親憎悪/ 「共倒れ」の危険
2 新・教育立国論
教育は国家百年の大計
二十一世紀の日本/ 二十一世紀からの留学生/ 国づくりと人づくり
教育立国論の歴史
ミレニアム/ 文部省の教育立国論/ 先覚者たち/ 「危機に立つ国家」と教育/ 明治の群像/ 明治教育の先達たち
老人よ大志を抱け
3 臨床教育学からの提言
基本的方向
臨床教育学/ 志の教育/ 学校固有の役割
教育病理への対応
予防/ 協力/ 潜在的教育力/ 「受け身」の教育の再評価
あとがき

まえがき

 歴史や理科などの教科内容に表れているように、必要不可欠な学力、いわゆる基礎学力は時代とともに増大する。早い話、日本史を例にとれば、明治時代の子どもは明治までの歴史を学んでおけばよかったが、今の子どもはその後の歴史まで学ばなくてはならない。基礎中の基礎とされる識字能力(文字や数字に関する読み書き計算、英語でいうスリーアールズのリテラシー)に加えて、コンピュータの処理能力が第四のリテラシーとして認知され、国際化の進展とともに生きた英語の能力も広く求められるようになった。

 上級の学校では資格社会、クレデンシャリズムの到来とともに、職業上の資格取得に必要な「学力」が重視される一方、真の意味での「エリート」に必要なノブレス・オブリージュを養うための「カルチュラル・リテラシー」(文化あるいは教養的識字)の重要性が指摘され始めている。

 このように求められる「基礎学力」は増大する一方なのに、読み書き計算という基礎学力さえ、ドリルや暗記ではなく、ワープロ、パソコン、電卓などに頼るようになり、五十音図、九々、年表、地図などを頭にたたき込むことは軽視される。その中で教科の内容や授業時間がともに約三割削減され、総合的な学習と週五日制が実施されるのだ。

 単純計算しても「ゆとり」のなさは以前通りだし、学力低下の不安も起きる。自由裁量に表される総合的な学習や土曜日の使い方次第で、学力の学級差、学校差、地域差は拡大し、生徒の「学力」差も大きくなるにちがいない。総合的な学習と学校五日制とがねらい通りの「新しい学力」や「生きる力」を養うことに成功するには、家庭、地域、学校の並々ならぬ持続的な理解、協力、指導力などが必要であり、それを欠くなら「基礎学力」はおろか「新しい学力」も「生きる力」さえ期待できず、そのツケはやがて大学、さらには社会にも及んでくる。こうした状況の中に現代の教育はおかれている。そしてこの流れを作り出し、学力崩壊と学級崩壊という深刻で相互に強く関係する代表的な教育病理を生み出しているのが、教育ポピュリズムではないかと思う。「失われた十年」とか「時間との戦い」とかいう語があるが、一刻も早く教育ポピュリズムに真剣な反省を加える必要がある。


   著 者

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      明治図書

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