地域と共に“学校文化”を立ち上げる

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中学でこれだけ地域と結びついた実践が可能なのか。歌手で俳優の河島英五氏がびっくり。東大の佐藤学氏が絶賛される南中の志と具体は総合の指標。


復刊時予価: 2,563円(税込)

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電子書籍版: なし

ISBN:
4-18-061901-6
ジャンル:
総合的な学習
刊行:
3刷
対象:
中学校
仕様:
B5判 160頁
状態:
絶版
出荷:
復刊次第

もくじ

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本書をご覧いただくにあたって
巻頭言 長岡市教育長 /大西 厚生
はじめに 対話から創造される学校文化 東京大学教授 /佐藤 学
序章 地域と共に学校文化を立ち上げる 校長 /平澤 憲一
地域の人の横顔1
1章  地域に学ぶ総合的な学習
どう「地域に学ぶ総合的な学習」を進めてきたか
・3年 総合的な学習 常在戦場を胸に
〜「米百俵」の学習を通して,復興に携わった人の思いを知る〜
・2年 総合的な学習 調べてわかった先人の思い
〜戊辰戦争と長岡空襲,2つの戦争と復興〜
・1年 総合的な学習 郷土長岡の人を知ろうよ
〜長岡の文化を築き上げた人々調べを通して〜
・教育課程の編成 地域に密着した教育課程の編成
〜南中学校の学びの再生を求めて〜
地域の人の横顔2
2章  調べ,考え,発表する教科学習の取組
どう「調べ,考え,発表する教科学習の取組」を進めてきたか
・国語 1年 総合的な学習との連携 長岡花火の裏側で…
〜おじいちゃん,おばあちゃんから戦争体験を聞こう〜
・社会 3年 公民 今のままで,日本は大丈夫?
〜保護者と共に考える日本の政治〜
・数学 2年 多角形の角 親子でチャレンジ! 正多角形の敷き詰め
〜パズルみたいで楽しいな! ほら,きれいな模様ができたよ!〜
・理科 2年 化学変化 みんな集まれ! 親子科学教室だよ〜!
〜親子で実験楽しいな! 家でもチャレンジしてみよう!〜
・音楽 全学年 合唱 心の最優秀賞を目指して。私たちの合唱コンクール
〜学級の願いを合唱に込めて〜
・美術 1年 デザイン 作ってみよう! 世界で1つのはがき入れ
〜箱の形状とデザインを考えよう〜
・保健体育 1年 水泳 もし,溺れてしまったら…!?
〜着衣泳を通して,安全について考えてみよう!〜
・技術・家庭 1年 木材加工 お父さん お母さん 頑張って!
〜親子で作る木製品〜
・技術・家庭 2年 食物分野 魚を見直そう!
〜食材としての「魚」を学ぼう!〜
・英語 1年・3年 国際理解 Hello, Fortworth!
〜姉妹都市フォートワースと交流を続けよう〜
・選択教科 生き生きと調べる。学ぶ。発表する。学習をパワーアップ!
〜教科書を離れて自分で学びたいことを深く追究します〜
・学級活動 1年 こんなクラスにしたい!
〜生徒たちの願いに保護者の思いも込めて学級目標を考える〜
・道徳 1年 生き方について考える
〜親子一緒に今までの人生を振り返り…〜
地域の人の横顔3
3章  地域と共につくる学びの共同体
どう「地域と共につくる学びの共同体」づくりを進めてきたか
・映画撮影 生徒の作文が映画になったよ!
〜教育映画「まじめで悪いか!」完成〜
・2年 火打山登山・笹ヶ峰キャンプ 全員見事に登頂成功!!
〜保護者と共に感動の景色〜
・学校行事 運動会 地域の方々とつくる運動会
〜父も,母も,そして先生も走ったよ!〜
・2年 職場訪問 働くことってどういうこと?
〜実際に企業や事業所を訪問してみよう〜
・1年 学年旗樹立式 私たちの学年旗を創ろう!
〜学年旗樹立式に向けて〜
・3年 先輩と地域の人に学ぶ会 自分の進路が見えてきたよ!
〜先輩や地域の人の話から,進路について考えよう〜
・食文化をつくる 食事を見直しパワーアップ!
〜給食を通して,食生活を改善しよう〜
・部活動 保護者,地域とスクラム組んで!
〜地域に根ざした部活動を目指して〜
・南中学校ボランティア活動 おじいちゃん,おばあちゃん,こんにちは!
〜南中の福祉活動,まちだ園訪問〜
・学校文化の土台づくり 南中 ここを変えれば もっと好き
〜生徒と保護者も予算要求にチャレンジ〜
・温かい学校づくり 心も体もほっと一息
〜相談室,保健室,心の教室の取組から〜
・学校行事 芸能発表会 地域と共に創りあげた芸能発表会
〜保護者・地域の方と共に創る南中文化〜
・生徒の活動から あの日あの時
〜生徒が創る南中学校の文化〜
・学校と地域の協力体制に思うこと―後援会・PTA会長の言葉―
あとがき 教頭 /目黒 進
研究同人

はじめに対話から創造される学校文化

   東京大学教授 /佐藤 学


1 沈黙から対話へ

 本書は,中学校の改革が何から出発すればよいのかを教えてくれる好著である。不登校,校内暴力,いじめ,学びからの逃走など,今日の学校をめぐる危機の大半が中学校を舞台として発生していることは広く知られている。しかし,中学校の改革にどこから着手すればいいのかについては,今なお明確になっているわけではない。どの中学校でも,非行対策の生活指導に力を入れたり,部活の指導や進路指導を充実させたり,文化祭や体育祭などの学校行事を盛り上げたりと,教師たちの精力的な取り組みが展開されてきた。しかし,中学校教師たちの精一杯の努力にもかかわらず,中学校をめぐる危機は年々深刻さを増すばかりで,いっこうに解決してはいない。

 長岡南中学校の平澤憲一校長と教師たちの実践は,中学校を改革する出発点がどこにあるのかを示してくれる。この2年間,長岡南中学校は,不登校の生徒を激減させ,教師と生徒が相互に心を開いて信頼関係を回復し,生徒一人ひとりの学びの喜びを教室に実現させて学力を向上させ,地域の人々との信頼と協力の関係を築き上げてきた。私は,1998年の6月と1999年の10月に同校を訪問して,生徒,教師,保護者の方々と話し合う機会を持ったのだが,この1年余りの同校の前進に驚嘆せずにはいられなかった。学校の危機的な現象が激減し,学力が向上しただけではない。生徒,教師,校長,保護者の間にすぐれた教育を模索する信頼と協力の絆が結ばれ,学校が学校としての公共的な使命を回復し,中学校ならではの学校文化が築かれていたのである。

 平澤憲一校長が,学校改革の出発点としたのが対話であった。生徒との対話,教師との対話,保護者との対話である。教育に必須な条件として,教師と生徒の信頼関係が言われ,教師と保護者の信頼関係が言われる。そして,人と人の信頼関係の基盤として対話の重要性が叫ばれている。しかし,考え直してみると,学校ほど対話の重要性を強調されながら,対話が欠如している場所も少ないのではないだろうか。学校という場所では,言葉は一方向に流れる水道のようである。教育委員会から校長へ,校長から教師へ,教師から生徒や保護者へという一方向的な流れが基本となっている。もちろん,教師たちは職員会議をはじめ,たくさんの会議によって学校運営に参加しているし,生徒たちも授業の中では発言を積極的に促進され,生徒集団の中でも自治が推奨されて生徒会が組織されている。保護者たちもPTAをはじめとして積極的な意見の交流が求められている。しかし,対話は一方的な「意見の発表」でもなければ,単なる「意見の出し合い」でもない。なぜなら,対話の文化を成立させているのは「話す」文化ではなく,むしろ「聴く」文化だからである。「聴く」文化が熟していない場所では,いくら対話の重要性が叫ばれようとも,ほとんどの人は沈黙を強いられているのである。


2 聴くことからの出発

 平澤校長がまず開始したのは,月に1,2回もたれる全校朝会における生徒たちとの「対話集会」であった。「対話」と言っても対談ではない。平澤校長が行ったのは生徒の声を聞き出すことであった。最初は文化活動やスポーツで表彰される生徒へのインタビューという形式で出発した「対話集会」だったが,その後は「学ぶ意味」とか「自由とけじめ」とか「正直とうそ」など,生徒たちが日頃悩んだり考えているテーマを中心に話し合う場となり,そこから生徒たち自身による自律した思索が生み出されている。

 この「対話集会」で求められてきたのは,いわゆる「討論集会」で求められるような「意見」の交流ではない。もっと素朴でもっと一人ひとりの生徒の内面に根ざした「声」である。いつも心の奥に飯粒のようにくっついていながら,なかなか言葉にならない一人ひとりの内面の「声」。その言葉にならない「声」が心を開いて受け止めてくれる大人の存在によって,沈黙の裏にある声をかたちと意志をもった言葉へと結晶してゆくプロセスを援助するのが,平澤校長の開始した「対話集会」の真意なのだと思う。そうであればこそ,本書でも紹介されている高橋一君の作文「梅雨明け」(文部大臣賞受賞,映画化「まじめで悪いか!」)が生まれたのである。「みんな違って,みんないい」というこの映画のメッセージは,一人ひとりの内面の声を尊重し合う「対話集会」の精神が生み出した主張なのである。

 「対話集会」の実践は,小さな取り組みでありながら,今日の中学校に欠落しているものを見事についているとは言えないだろうか。沈黙の裏側に秘められた声を言葉へと紡ぎあげてゆく協同の行為である。中学校は大きな組織である。通常,三十人以上の教師が働き,四百人を超す生徒が学び,三百人以上の保護者が存在している。そのうち,いったい何人の構成員が学校の運営に自らの声を反映させているだろうか。さまざまな声が学校の中で交わされ,さまざまな意見が交流されてはいるが,それらの意見や声は,誰かの意見につじつまを合わせるものだったり,その場の流れや慣行に合わせるものではないだろうか。教師たちの間でも一人ひとりの声に耳をすますことは不充分であるが,生徒の声や保護者の声は,ほとんど沈黙の中にうずもれて発せられていないのが現実だろう。一人ひとりの言葉にならない声に耳をすます「聴く」文化が熟していない場所では,沈黙の裏側にある声は言葉にならないまま沈潜するほかはないのである。

 学校の改革は,沈黙の中に埋もれている声を言葉とする対話(聴き合い)から出発する。今まで職員室で黙っていた一人の教師の言葉,教室で沈黙していた一人の生徒の言葉,PTAの会合で黙っていた一人の保護者の言葉が,学校を内側から改革する出発点となるのである。平澤校長の始めた「対話集会」はその実践の起点を準備したのである。


3 表現の追求

 対話(聴き合い)は,学びの中核でもある。学びとは,教育内容の題材(テーマ)との対話であり,教室の教師や多様なイメージや意味を構成する仲間たちとの対話であり,自分自身との対話である。「対話集会」を契機として創造された長岡南中の「対話」(聴き合い)の文化は,日常の教室の授業にも対話的な関係を創り出した。この教室における学びの創造において先導的な役割をはたしているのが,総合学習の取り組みである。

 長岡南中は,旧長岡藩の藩邸が立ち並んでいた地域に位置している。幕末期,戊辰戦争の戦火で街の大半が焼き滅ぼされた長岡市,その焼け野原の地域で明日への希望を託して「国漢学校」が創設された歴史は,山本有三の戯曲「米百俵」において有名である。長岡南中の生徒たちは,「米百俵」の主人公,小林虎三郎の生涯を調べ,その物語を演劇で表現する学習に挑戦している。地域の歴史と対話し,地域の人々と対話し,教室の仲間と対話し,自らの生き方と対話する実践である。

 学習指導要領の改訂にともない,全国の小学校,中学校,高校において総合学習の実践が注目を集めている。しかし,その多くが環境や福祉など,限られたテーマに集中しがちである。長岡南中の総合学習は,地域の歴史を自らの生き方と結びつけ,それを演劇という様式で表現する総合学習として展開された。今日の中学生の現状から,身体と言葉で表現する活動が重要であると判断されたからである。

 表現を中心とする学びは,毎年,秋に市立劇場を借り切って開催される「芸能発表会」において全校の生徒や保護者や市民に公開される。1999年の「芸能発表会」では,三年生の創作劇「米百俵」が公演されたほか,各学級による全校合唱コンクールが開催され,保護者も合唱団を組織して参加している。対話を基盤とする学びの祝祭が「芸能発表会」において催されたのである。学校の隅々で埋もれていた一人ひとりの声が,対話の関係を基盤として響き合い,壮大なドラマと合唱を生み出したと言ってよい。


4 地域と創る学校

 長岡南中の学校づくりは,教師と生徒によって推進されているだけでなく,保護者たちの「学習参加」によって推進されている。「学習参加」とは,従来の「授業参観」のように保護者が授業を「参観」するのではなく,直接,授業に「参加」する方式を意味している。保護者も子どもとともに学び,教師とともに授業づくりに参加するのである。この「学習参加」の方式は,平澤校長が前任校の小千谷小学校において創始した方式であり,今では,全国の小学校において「地域に開かれた学校づくり」のもっとも有効な方法として普及している。しかし,中学校においては,まだ「学習参加」の挑戦は一部に限られているのが現状である。長岡南中の「学習参加」の実践は,そのもっとも先駆的な挑戦と言ってよいだろう。

 「学習参加」の実践は,教師と保護者が教育の創造において具体的に連帯する方法であるが,それにとどまらない意味を持っている。学校を「学びの共同体」として再編成する意味である。「学びの共同体」としての学校は,子どもたちが学び育ち合う場所であるだけでなく,教師たちも学び育ち合う場所であり,保護者や市民も学び育ち合う場所である。21世紀の学校を地域の文化と教育のセンターとして構想するならば,「学びの共同体」として学校を再組織しなければならない。子どもと教師と保護者と市民が未来への希望を託して共に学び合う学校を地域につくりあげること,その挑戦が中学校においても実現できることを長岡南中の実践は示してくれる。

 保護者や市民の学校づくりへの協力は,「学習参加」に限られているわけではない。老朽校舎の撤去や武道館の改築,不登校や学力問題,総合学習や文化活動など,学校の施設やカリキュラムへと多岐に及んでいる。対話(聴き合い)の文化が,地域の中に埋もれていた声を言葉へと結晶させ,具体的な要求として実現させているのがすばらしい。

 長岡南中の2年間の実践を見てみると,今日の中学校の複雑な問題がそれぞれ解決不能な問題ではないことを教えてくれる。中学生は多感であり傷つきやすい世代と言われている。中学生時代は,子どもが大人へと脱皮するもっとも危うく困難な時代である。誰もが傷つき,挫折し,悩み,苦しむ時代と言われている。しかし,それだけに中学生は多くの可能性を秘めた存在である。後の人生につながる生き方の核のようなものが形成される時代でもある。その中学生たちに必要なものは,それぞれの個性を表現できる自由な関係とその表現を受け入れ励ましてくれる大人(教師,保護者,市民)の存在ではないだろうか。

 長岡南中の実践を記録した本書は,生徒の学びの軌跡であると同時に,一人ひとりの生徒の学びと成長を支えてきた教師たちと保護者たちの実践の記録である。本書は,中学校教育の実践の進むべき方向を示しているだけでなく,今の中学生たちが大人たちに何を求めているかを彼らの成長の事実によって具体的に示している。

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