- プロローグ
- T 荒野のうた
- 〈兎追いしかの山〉
- 一 桔梗ヶ原
- 母の手帳/ 小屋の板戸/ 切り株
- 二 ケンジ先生
- 面かぶり/ 黒板の前で/ その人生を
- 三 貧しく情けなく
- ゴミ小屋学校/ ゲイシャカイ/ ブドウ棚の下で
- 四 コーサたち
- 村の財バツ/ コーサとタイサ/ 三角形の面積
- 五 松岡ヨヒョー
- わが文化/ 張出し新聞/ 女工―ネエチャン
- 〈青春とは何だ〉
- 一 「デッチ」と中学生
- 室戸台風/ ひとつの岐路/ 若い教師・オカガ先生
- 二 甲と丁と
- ある出会い―カサハラ先生/ つまらん学校/ 戊をとれ!
- 三 模索一年
- ガキ的市民権/ タダの学校/ ヤミ勉
- 四 ストライキ前後
- ヒラ君/ ことの発端/ 陰謀対ストライキ/ 退学―欠落一
- 五 李の木の下で
- 迫いこみ/ 松高前後/ 暗い文化/ 母の涙
- 六 サボタージュ二年
- この対面/ これが教師か/ これが学校か/ 学成りがたし
- モノローグ
- U ここで勝負を
- 〈青い山脈〉
- 一 学級という集団
- 対面のさま/ ケンカ対策/ 原始的学力論/ 学級の学力構造
- 二 子どもの生活と学力
- 生活をめぐる教育論/ 美保の背すじ/ 英雄の提起
- 三 集団の組織と子どもの成長
- 「ここはお国を」/ 「手−むすびあうもの」/ 集団主義教育とは
- 四 突破口 ― 部落子ども会
- 子どもたちの成長をめぐって/ 子ども会の組織を/ 諸課題の表出
- 五 私が追われた道---「劇・先生が五人」をめぐって…
- その発端/ 劇・その内容/ 差別の所在/ 断層/ 子どもと親たち/ オノレみずからに
- 〈未来への挑戦〉
- 一 再出発・心ゆたかなり
- 岩倉と子どもたち/ 忍術でいこう/ 上・下水道方式
- 二 「これから大きくなる君たちに」
- 三年二組/ 親たちの思い/ 特集「歴史」
- 三 「むら」の歴史を探る
- グループ活動/ 戦争と私たち/ 親と子どもたちの間
- 四 試合―「はだかの王様」
- 文学作品と社会的背景/ 試合開始/ 「先生の負け」
- 五 点描 ― 一九六八年
- ある授業/ わが悔恨/ 別れに/ 私の教育・学力論
- エピローグ
プロローグ
汽車には「上り」「下り」がある。子どもの頃は坂を登るから「上り」、下るから「下り」だと疑わなかった。
ところが、さにあらず。いつ頃からか東京を中心とした「上」「下」なのだとわかった。事情はいまでも変わらない。
学力論についても、同じことがいえそうだ。「上り学力」の最終点は「東大学力」。これが日本の学力論とされ、あとはコッパ学力扱い。「上り学力」に対して「下り学力」というべきだろうが、これが多様。やがて太い根をはるにちがいないが、いまは黙したままだといってよい。
「下り学力」の典型が私の学力論だろう。「部落解放の学力」「解放の学力」となるのだが、これらは、いわば分野的な側面をもってはいる。だが「東大学力」ないしは「東大周辺学力」論との決定的なちがいは、教育実践から生まれているということだ。
それも、平均的ではない。私は高校を除いて、小学校から大学まで幅広く教師をしている。高校を除いた理由は免許状がないから。あるのは小・中学二級だけ。もし三級・四扱があったら、そこに居すわっていたにちがいない。
すると、私を知らない人は、こう想像するだろう。彼は貧しい育ちだが秀才だと。いや、とんでもない。貧乏はたしかだが、秀才どころの話ではない。小学生の頃は「勉強さっぱりグループ」の一番バッター。以後も、全部が全部とはいわないが、学校といえばサボタージュの場くらいにしか考えていなかったのだ。
だから私は、学力論に力をいれる。いれなくてはならないと思っている。もちろん、学校が窓口ではない。私の全生活、全体験から。出発点は、わが生育史からとなるだろう。
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- 明治図書