- はじめに―― 歌舞伎のある学校
- スナップ集―― 子供歌舞伎写真物語
- T 二十八の瞳≠フ子供歌舞伎物語
- 一 歌舞伎十八番「勧進帳」公演
- 1 さあ、出番だ
- 2 見事な演技が観客を感動で圧倒する
- 二 公演中止の危機をのり越えて 〈伝統芸能と「地域・家庭・学校の連携」の危機体験〉
- 1 五・六年生が二人、公演中止か
- 2 危機を越えて連携のあり方を学ぶ
- 三 全校の子どもが歌舞伎体験をくぐる
- 1 意味のわからない口上を棒読みすることから始まった
- 2 仮衣装を着て所作に挑戦する
- 3 舞台ができた、のぼりを立てた、衣装がきた
- 4 通し練習からリハーサル、本番直前まで
- U 学校と伝統芸能の出合い
- 一 地域の「教育力」との出合い
- 1 地域の伝統芸能を学校に取り込む 〈教師が指導できないことを取り込む〉
- 2 地域と共に子どもを育てる態勢をつくる
- 3 子供歌舞伎公演までの練習を組み立て
- 二 伝統芸能の体験と子ども
- 1 子供歌舞伎体験が子どもに育てるもの
- 2 伝統芸能体験が提起する「もう一つの教育」 〈小さな学校から問題提起する〉
- 3 公演が招いたあたたかい交流
- 4 子供歌舞伎公演史
- V 伝統芸能を核にした総合的な学習づくり
- 一 地域の特色を生かす総合に練りあげる
- 1 伝統芸能を核に課題を練り合わせる
- 2 他の地区に伝わる伝統芸能と練り合わせる
- 二 学校の特色を生かす活動に練りあげる
- 1 「ふるさと学習」の展開
- 2 「全国子供歌舞伎ネットワーク」の発信
- 3 歌舞伎体験と国際理解
- 三 総合的な学習の全体計画
- 1 現段階における全体計画
- 2 実践してみえてきた課題
- おわりに―― 子ども歌舞伎フォーエバー
はじめに――歌舞伎のある学校
島の小さな小さなごく普通の学校です。でも、この学校には歌舞伎があったのです。
片野尾小学校は一年生が一人、全校で一四人の佐渡が島で一番小さい学校だ。波が荒れるとしぶきがグラウンドに降ってくるほど海が近い。小さな木造校舎の後ろは急な崖で竹藪だから、風が強いと風の又三郎の物語のように「どどー」という音が校舎を包む。たっぷりと自然に囲まれて、子どもたちの瞳はきらきらしていて、『二十八の瞳』という映画ができそうなのである。
そして、この学校の子どもたちは歌舞伎をやる。
歌舞伎といっても子どもだから学芸会のようなものだろうと思われそうだが、とんでもない。生半可なものではない。台本は大人と同じで省略など一切なし。口上も所作も、化粧も衣装も、手抜きの許されない本格歌舞伎である。一年ごとに大人の「片野尾歌舞伎」と交代で「子供歌舞伎」を公演する。大人の年・子どもの年に分けて、毎年、地域をあげて歌舞伎公演が開催される。公演の年には、子どもたちは言葉どおりの歌舞伎役者を務めるのである。
とくれば、「子どもに歌舞伎を伝承させる地域の活動がある。学校を場所に使って練習や公演をしている」と解されそうだが、違っている。
学校が教育活動として取り込んだ。学校としてやっているのである。ここに大きな特色がある。
片野尾歌舞伎は地域をあげて伝承活動が盛んだ。お年寄りはむろん、働き盛りの中堅どころが中心にいて、高校生くらいまで含めた若い人達も熱心に活動に参加している。だから子どもに伝承活動をさせてまで守るという必要がない。子供歌舞伎は学校が誕生させた。二十年も前に(U・一・1「地域の伝統芸能を学校に取り込む」五三頁参照)。その子供歌舞伎に出合った。
すごさに圧倒されてしまった。たちまち、とりこになった。子供歌舞伎はほんとうにすごい。子どもの舞台を観た大人は、おおげさでなく九九パーセントは涙ぐむ、必ず目頭が熱くなる、あるいはぽろぽろ涙する、そう断言していい。観たものに圧倒する感動を呼ぶ。
このすごさを伝えたいと思わずにいられない。世の中にそれほどのものがある、こういうことをやりきる子どもがいる、「世の中捨てたもんじゃない」と伝えたい。これが本著の動機一である。
歌舞伎のある学校から一石を投じる
動機二は問題提起である。「地域の教育力」について一石を投げようと思う。
学校のなかに「地域が教育力を発揮する」実践を、長期に本格的に取り込んで進めるとき、向き合わねばならないことがある。伝統芸能である場合によくぶつかることだ。《時間》や《負担》などである。
《時間》や《負担》をめぐる〈すじがき〉を述べる。◆に注目していただきたい。
・地域に歌舞伎が伝承されている。学校として生かしたい。子どもに伝統芸能「体験」をさせたい。これが出発点。
・しかし、学校は逆立ちしても指導できない。そこで、学校のなかに「地域の教育力」を取り込む。歌舞伎の指導には地域の人に当たっていただく。ところが、指導は働き盛りの人が中心だから──
◆練習は夜が中心になる。練習が学校の時間わくから出ることになる。学校の教育活動とするのは無理なのではないか。ということで、これが《時間》の問題。
・この問題はすぐ解決しそうに見える。昼間、お年寄りにみてもらえばよいと。だが、そうはならない。ちょっとだけ「教育力を借りる」ではすまないのである。歌舞伎は(本格的な伝統芸能とは)全力を要求する。歌舞伎にかかわる地域の教育力は、思いっきりの 全力、総力 になっており、地域ぐるみで発揮されるものになっている。
・さすがに佐渡が島だ。郷土の伝統芸能に対する志が高く、誇りが高く、「おらが片野尾歌舞伎」に限りなく熱い想いが寄せられる。子どもに体験させるなら半端じゃだめだ、やるからには本格的にやるという世界なのである。
・地域の現役の役者(保存会の皆さん)が本気で教える。片野尾歌舞伎の名に恥じない見事な公演にしてみせる、そこまでもっていってみせると、大人の指導者は心に決めて子どもに向かうのである。たいへんな労力だ。
・子どもにも大きな《負担》がかかる。それは学校にかかるということだ。これが《負担》の問題である。
◆それでも歌舞伎をやるか。この時勢に、これだけの《時間》や《負担》を受け止めてやるのか。
片野尾小学校はやってきた。これが一石である。
学校が手を引けばそこで消えるものを当校はずっと続けてきた。伝統芸能をくぐる体験がすばらしいからである。総力をあげて発揮される地域の教育力がすばらしいからである。受けて続けるだけの値打ちがあるからである。
地域の教育力を発揮させる学校の実践のあり方について、共に考えていただければと思う。
「総合」に一石を投じる
さて、子供歌舞伎も新指導要領を受ける。
まもなく「総合的な学習の時間」が始まる。子供歌舞伎にとってすばらしいことになった。「地域の特色を生かした活動」としてのびのびと進めることができるのである。何というタイミングのよさだろうと思う。
動機三はこの「総合」について一石投じることである。伝統芸能を核に取り組むことで三つの「一」石を投げる。
〇 総合は「自ら進んで動く」方向を掲げる。ところが伝統芸能はそれと対極の姿勢を求める。
・子どもはほとんど一方的に「受ける」ことに撤する。芸能だから『守・破・離』の世界があって、ひたすらの 『守』である。教えてもらうばかりの体験である。新指導要領の掲げる「総合」の姿と反対向きに見える。
・「総合」で育てようとする子どもの姿について、対極の一石を投じる。
(U・二・2「伝統芸能体験が提起する「もう一つの教育」七一頁へ)
〇 地域と家庭と学校の三者がしっかり連携しないと歌舞伎公演は絶対に成功しない。
・これまでの公演活動をとおして、この連携は相当に強固になっている。危機場面、緊張場面があってもその都度のり越え、連携を強めてきている。私もくぐった(T・二「公演中止の危機をのり越えて」二二頁)。
・くぐってみて、連携を強めるあるものが豊かにある、地域の皆さんはわかっている、だから強いと思った。
・それは──おっと、ここでは割愛。連携についての一石は、ちゃんと読んでいただかないと。
(T・二・2「危機を越えて連携のあり方を学ぶ」二九頁へ)
〇 一年ごとに大人の歌舞伎と交代で子供歌舞伎を公演するので公演のない年度がある。この年のメイン活動に何をもってくるか。ここは「開発」するところである。創意工夫の世界であり、楽しいところである。
・「ふるさと学習」を実践してきた。子どもが自ら進んで動く方向にある。子どもと共に創っていく学習だ。
・要はバランスなのだ。「白紙・開発」と「特定・継続」との。このようなバランスについて一石を投じる。
(V・二・1「ふるさと学習の展開」一〇三頁へ)
地域にある特色を生かし学校の特色をつくろうとするときの参考になればと願って、一石を投げる。
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