- T 解放教育の二一世紀
- /長尾 彰夫
- 1 解放教育のグローバリゼーション
- 2 グローバリゼーションから何を学ぶのか
- 3 「反差別統一戦線」としての解放教育
- 4 予定調和論を超えて
- 5 二一世紀への解放教育の展望
- U 反差別の連帯をめざす解放教育の創造
- 一 在日朝鮮人教育の苦悩 /趙 博
- 名称・自称・呼び方
- 教科・民族クラブ・学校行事
- 国籍・法理
- 「在日日本人」のススメ
- 二 奪還としての学びと生き方
- 〜障害児の教育から解放教育を考える〜 /堀 智晴
- はじめに
- 1 胸が躍る思いだった
- 2 奪いとることのできない学び
- 3 生き方を主張せざるをえない現在の状況
- 4 子どもの生き方を支援する教育へ
- 5 自己決定の機会が奪われてきた
- 6 学校知としての「勉強」
- 7 自分の考えを育てる「学び」の実践
- 8 一斉援業中心から多様な学習活動へ
- 9 共同の「学び」の奪還
- 10 「学び」と「生き方」を奪う「勉強」
- 三 女性解放教育の発展
- 〜マイノリティの視点の内在化〜 /木村 涼子
- 1 フェミニズム批判からフェミニズム第三の波へ
- 2 学校教育の中で「生き残る」者 〜女性の中の不平等
- 3 女性解放のための教育を目指す、絶えざる運動
- 四 外国人(ニューカマー)の子どもたちの教育保障
- 〜多文化多民族共生は日本の学校で実践できるか〜 /榎井 縁
- 1 子どもたちを受け入れる 〜どの子どもも自ら望んで日本に来たわけではない
- 2 第二言語としての日本語教育
- 3 ことばとアイデンティティ 〜親から子への絆の断絶
- 4 あれる子どもたち 〜進学と将来への希望
- 5 違いを豊かさに 〜多文化を享受するためには
- 6 学校がひらかれる 〜市民の協力
- 7 むすびにかえて 〜日本の学校が突きつけられているもの
- 五 「教育運動」を再定義する
- あるいは「教育労働者と反差別の教育運動」再考 /北爪 道夫
- はじめに
- 1 「教育労働者」という「倫理」
- 2 労働の場がコミュニケーションの場であることの意味
- 3 コミュニケーション空間を消去するイデオロギー
- V 世界とつながる解放教育の創造
- 一 誰のための教育?
- 〜イギリス多文化教育をめぐる攻防〜 /野入 直美
- なぜイギリスを見るのか
- 多文化教育に対する向背@ 〜マジョリティの脱出
- マジョリティにとって多文化教育とは 〜見えない有益性
- 排除と包摂のダイナミクス
- 多文化教育に対する向背A 〜イスラム学校の設立運動
- 多文化教育が宗教学校を拒む理由 〜「すべての子どもに共有されるべき教育」
- 宗教学校が求められる根拠 〜示唆される別の統合のかたち
- 宗教学校という向背を引きとめるのか 〜共有されるものとされないもの
- 求められるマジョリティのアイデンティティ
- 二 マルチカルチュラリズム再考
- 〜対抗ヘゲモニー形成の視点から〜 /井口 博充
- 1 はじめに
- 2 対抗ヘゲモニー形成のための学校カリキュラム
- 3 カリフォルニアにおける「マルチカルチュラル」教科書をめぐる紛争
- 4 カリキュラム問題としてのカリフォルニア教科書論争
- 5 対抗ヘゲモニー及び過程としての「共通文化」
- 6 終わりに
- 三 メルボルン定点観測
- 〜オーストラリアの多文化教育・人権教育を考える〜 /中島 智子
- 1 オーストラリアの多文化教育・人権教育の概要
- 2 多文化教育・人権教育実施上の弊害 〜一皮むけば、どこも同じ悩み?
- 3 オーストラリアの学校の特徴 〜「個人主義的・問題解決型」
- 四 人権教育十年を解放教育の跳躍台とするために /森 実
- 1 「十年」をめぐる危惧の内実
- 2 解放教育から見た人権教育の原則
- 3 十年をネットワークのチャンスに
- W 座談会 切りひらかれる未来
- /長尾 彰夫 /池田 寛 /森 実 /中村 拡三
-
- 明治図書